表千家一期一会

MIHO MUSEUM



滋賀県甲賀市にある
MIHO MUSEUMで開かれている

2019年春季特別展
「大徳寺龍光院 
国宝曜変天目と破草鞋」に
行ってきました


折しも
枝垂れ桜が満開で
美しさの中に
一日酔いしれました
















早起きをして
開館一時間前に着いたのですが
エントランスの前には
既に数十人の人が並んでいました




10時の開館直前には
振り返ると
後ろにこんなに長蛇の列ができていました!


館内はどんなに混雑するかと思いきや

案内係のスタッフの方々の
的確な指示のもと

心配していたような混雑もなく
整然と並んで

思っていたよりもゆっくりと
国宝 曜変天目を始めとした
龍光院の至宝の数々を
拝見することができました





お昼は
レセプション棟にあるレストラン ピーチバレイで
館長の熊倉功夫先生監修「一汁三菜」をいただきました




そして
午後2時からは
大阪市立東洋陶磁美術館の小林仁氏による
講演会「曜変天目の魅力と謎に迫る」に
参加いたしました

この講演会で
私が初めて知り得たことを
メモしておきます

・宋時代のお茶の色は今より白かったので黒い茶碗が好まれた

・天目茶碗の覆輪は日本に入ってから鎌倉時代の金工により
つけられたと考えられる

・静嘉堂文庫の曜変天目は徳川家光から乳母の春日局を通じて稲葉家に伝わった

・藤田美術館の曜変天目は徳川家康から水戸徳川に伝わった

・龍光院の曜変天目は津田宗及から津田家の菩提寺である堺の大通院に伝わった後
江月宗玩和尚が住持する龍光院に入って今に至る

・江月和尚は堺の豪商 天王寺屋津田宗及の子どもだった

・曜変天目の青い光彩は重金属によって作られたものではなく
膨大な数の天目茶碗を作っていく中で偶然生まれた

・近年 南宋の宮廷跡から曜変天目の破片が発見されたことから
曜変天目は中国においても宮廷の文物として貴重なものであった

・藤田家の曜変天目に添っている天目台は
藤田家に入った後に合わせられた


・曜変天目は時代によりかつて「窯変」「容変」などと書かれていて
「君台観左右帳記」に「曜変」の記述がある

・国宝の三つの曜変天目以外に歴史的に「曜変天目」と呼ばれている
茶碗があるがそれらは厳密には曜変天目ではなく油滴天目である


ところで
今回の特別展のタイトルにある
「破草鞋」とは

自らが学んだ法や修めた道をちらつかせることなく
人知れず平凡に
ひとつの破れたわらじのように生きていくことこそが
禅の修行の境地である

という意味なのだそうです
(HP”美術手帖”より)


ブログなど書いている私には
語るような資格の無い境地です。。。





MIHO MUSEUMに行った翌日
婆沙羅大名として知られる
佐々木道誉が眠る
「勝楽寺」に立ち寄りました






ん?



野生の猿でした!


コメント一覧

tomoko
雲や様

それはそれは驚きづくしでお疲れ様でございました(^.^)

私も天王寺屋津田宗及がいかに力のある商人であったかに驚き
現代における宗教の持つ力にも驚きました。

そして
曜変天目の持つ独特の美しさには驚かされましたね。

曜変天目のお茶碗も
この世に生まれて数百年以上を経て
こんなに大勢の人間が行列をなして
自分を見に来るような時代が来ようとは!と
驚いているのではないでしょうか。
雲や
本日このMIHOに行ってきました。その場所の距離感に驚き、その来客人数に驚き,龍光院のお宝に驚き,熊倉館長の展示手腕に驚き・・往復の渋滞にもまれて少し疲れて帰ってきました。
茶友から切符を頂戴しなかったら、私は行く気になれない場所でしたが、十分に堪能いたしました。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「美術館・お茶室」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事