内田 義彦
『読書と社会科学』
(岩波新書)
この本の説明
内容紹介
電子顕微鏡を通して肉眼では見えない世界を見るように、社会科学では、概念という装置をつかって現象の奥にある本質を見きわめようとする。自前の概念装置をいかにして作るか。それを身につけることで何が見えてくるか。古典を読むことと社会科学を学ぶこととを重ね合わせて、本はどう読むべきかの実習を読者とともに試みる実践的読書論。
本の情報
新書: 288ページ
出版社: 岩波書店 (1985/1/21)
ISBN-10: 4004202884
ISBN-13: 978-4004202882
発売日: 1985/1/21
レビュー1
社会をよりよく見るための、本の読み方 2002/5/11
By カスタマー
歴史や倫理で習った世界史に残る知識人・思想家たちの本は、
どうにも難しくて読む気になれない。
あの、重々しい文体や小難しい「概念」、
読みやすさを考えていないような構成など、
見ただけでウンザリしてしまう。
一体、社会科学っていう学問は、
日常生活とどう関係しているの?
などといった疑問を持つ方にこそ、オススメしたい本です。
社会を見る見方をより深め、
今起こっている社会の変化とその意味をより深く知ろうとしたときに、
「古典」といわれる社会科学の本が
我々の「目」を鍛えてくれる、著者はそういいます。
偉大な思想家たちが様々な労苦を重ねながら
「世のなかの動き」を捉えようとしたその姿勢を、
軽快な語り口で説明しながら、
その姿勢を我々が合点のいくような形で
再現してみせてく!れ!るのがこの本の最大の特徴です。
大切なのは、自分の実感にあった形で、
自身の経験とともに本と取り組み、
その意味を読み解くことであって、
それによって自分の考え方を鍛え、
そして練り直していくことにある。
歴史的な思想家たちが築き上げた「思想」の本質を、
自身の体験を交えて、身につけてみる。
そういった読書体験を通じて、
社会の見方が変化すると同時に、
社会へ向かう姿勢をも変化してしまう。
社会科学の本の読み方を伝授してくれると同時に、
自身の社会へ向かう姿勢をも改めて問い直す、
そんなきっかけを与えてくれます。
本当に身になる本の読み方を体験するためにも、是非ご一読をオススメしたい一品です。
レビュー2
読まなければ絶対に損!!読書論いや人生論といってもいい凄い本です! 2010/1/18
By よしきち
大学時代にこの本を読んだ私は、
内田義彦という人のあまりの凄さに
感動がこみ上げるのをおさえることが出来ませんでした。
「こういう本を読んだ方がいい」とかいう、
ありふれた読書論は世に数多いが、
この本はそういった類の本とは、
全く一線をかくします。
「本とはこういうふうに読むべき、
こういうふうに読んでは身にならない」という
「正しい読書の仕方」を教えてくれる本です。
「えー!本なんて自分の好きなふうに読めばいいじゃん!
読書に正しいも間違ってるもないだろう?」
という方も多いかもしれません。
しかし、考えてみてください。
スポーツでも音楽でもあるいは仕事でも、
正しい練習を積めば才能を伸ばしていけるが、
誤った練習をすると努力をしてもなかなか成果が出ない。
それどころか才能を殺してしまう場合もある。
無能な上司のやり方を強要されて、
成果をあげられず苦しむ営業マンも多いはず(笑)
同じ様に読書にも正しい読み方
(正しいという表現が適切でなければ身になる読み方・
と言い換えましょうか)
があるということを考えさせられます。
例えば、新聞の報道というのは
「起こった事実」を書くわけだから、
取材者の意思が入り込みにくい。
(というより、原則として意思・主観を入れてはいけない)
しかし、小説でもエッセーでも、
特に優れた文学作品には、
必ず「筆者が訴えんとしているテーマや理念」がある。
そういう物を読む時は
「作者が何を訴えようとしているのかを理解しようと、
格闘しなければいけない」格闘して、
初めは理解出来なかったことが、
自分が成長した分だけ理解できるようになる。
成長した分だけ、より深い読み方が出来る。
より広い視野で物事を捉える自分になれる。
というふうに、言われてみれば当たり前のことを、
非常に論理的に分かりやすく順を追って
説明してくれています。
しかも、内田氏が他の社会学者と比べ圧倒的に優れている点は、
文章の読みやすさ、分かりやすさ。
(講演形式になってるので話術も上手かったということになりますが)
「信じて疑え」「著者への信と自分への信」など、
至言と思われる言葉の数々。
そして音楽の世界や日常生活を例にあげながら、
読書をするうえで最も大事なことは何かを、
分かりやすくユーモアを交えながら教えてくれていること。
そこには、難解な言葉をもてあそんでいかにも学者気取りをする、
はなもちならない知識人とは違い、
いかに人々に分かりやすく物事を伝えていくかという、
氏の優しい人間性をもうかがうことが出来ます。
戦後日本の「知識の巨人」と呼ばれた加藤周一をして、
「内田さんは社会学という難解な学問を
日常生活の平易な言葉で表現することに成功した人」
と言わしめたというエピソードも納得出来ます。
まさに読書人必読の書といいっていいでしょう。
これを読まずに本を読むのは絶対に損をする!!
と声を大にして叫びたい。
レビュー3
本を読む際の作法と、社会科学が駆使する概念装置の組み立て及び効用 2008/9/24
By dvrm トップ100レビュアー
大学入学時に買ったムックに
この本が紹介されてあったのを最近思い出して、
入手して読んでみた。
ここ最近本を多く読むようになった自分としては、
読書という実践で得られる効果や読書という体験についての考えが
自分なりに浮かんではいたのだが、
この新書ではそんな考えに一つの道筋をつけてくれるものだった。
著者は、本を読んでも本に読まれるなと説く。
その言葉には、読書という行為が優れて体験的なもので、
読み手側の意志や意識が弱ければ、
読み手はすぐに著者の主張に自分の考えを乗っ取られてしまう
という洞察がある。
実際に社会科学の著作を読み出すと、
著者の主張は読み手を強く支配しようとするもので、
読み手側が常に著者の主張に一定の距離を取れていないと、
理論の向こう側にある著者の隠された価値判断や予断に気づくことが出来ず、
その主張を、
なぜそんな主張が形成されたのかを理解しないまま
宗教上の信者のようにその意見を絶対化してしまうことになる。
この新書では、そんな風にはならないために、
著者の主張を仮設的に信頼して、
読み手である自分の判断も信頼して読むこと、
そのふたつの態度を併用することで
著作上の考え方を自分なりに現実に適用できるようになる、といっている。
この言い回しの微妙な感じを
より確実にする為には、
出来るだけ違う著者、
または違う分野の古典作品を読むことが、
自分なりの仮説を作る際に重要だともいっている。
確かに、いろいろな分野の考えの組み立て方を知っていたほうが
独断的な考えに陥らずに済むと思う。
なお、入門テキストでわかった気になったとしても
古典といわれる著作はその書かれている密度は
入門本とはまったく違うので体験の質が違うのは確かだが、
入門テキストにも、
その分野の問題領域がどんなものであるかを示してくれる効用があるし、
そこから古典著作を読むとまったく質の違う体験がそこにあるので、
どちらかが良くてどちらかが劣っているわけじゃなくて
その目的と内容と効用が違う、
という事実を押さえておいて、
両者を使い分ければいい話ではないかと思う。
この新書では、
後半部分で社会科学の考え方の組み立てとその過程を、
自然法の含む内的論理と研究者の現状への批判的意識が
経済学の枠組を作り上げていった例で説明している。
何かのドラマで
「お前の言ってることはみんな本に書いてあるんだよ」
という台詞があったが、
そういうことを言いたがる人は
実際に古典といわれるような本を読むという実践はしないし、
実際に読み始めれば頭も体もつかれるが、
他の経験では換えることの出来ない効用を与えてくれる。
自分の才能やひらめきさえあれば全て大丈夫、
という考えの人はそもそも本を読まないだろうし、
読もうというきっかけもないだろう。
頭に思い浮かぶ閃きというのも
実際は誰かにすりこまれた考えのことが多いのだし、
そんな気持ちでたとえ読んでみても、
自分が前もって決め付けた予見の範囲でしか理解できない。
具体的に多くの時間をかけて、ある時は一生を賭けて
ひとつのことを考えつづけた専門家の努力をたどりなおすことは、
自分一人の限られた経験や思考能力では
辿りつけない問題性に気づかせてくれることが多い。
全ての人が一番最初から考え始めなければならないとしたら、
余り先へは進めなくなるだろう。
読書は、自分たちの前に悩みつづけた人たちの成果を、
読み手自身の身をもって通過できる実践の一つでもあると思う。
しかし一番大事なことは、
ここから得たものをいま生きて居て
特定の場所にいる自分の風景から捉え直して
自分なりに考え始め、行動の方針にすることだろう。
『読書と社会科学』
(岩波新書)
この本の説明
内容紹介
電子顕微鏡を通して肉眼では見えない世界を見るように、社会科学では、概念という装置をつかって現象の奥にある本質を見きわめようとする。自前の概念装置をいかにして作るか。それを身につけることで何が見えてくるか。古典を読むことと社会科学を学ぶこととを重ね合わせて、本はどう読むべきかの実習を読者とともに試みる実践的読書論。
本の情報
新書: 288ページ
出版社: 岩波書店 (1985/1/21)
ISBN-10: 4004202884
ISBN-13: 978-4004202882
発売日: 1985/1/21
レビュー1
社会をよりよく見るための、本の読み方 2002/5/11
By カスタマー
歴史や倫理で習った世界史に残る知識人・思想家たちの本は、
どうにも難しくて読む気になれない。
あの、重々しい文体や小難しい「概念」、
読みやすさを考えていないような構成など、
見ただけでウンザリしてしまう。
一体、社会科学っていう学問は、
日常生活とどう関係しているの?
などといった疑問を持つ方にこそ、オススメしたい本です。
社会を見る見方をより深め、
今起こっている社会の変化とその意味をより深く知ろうとしたときに、
「古典」といわれる社会科学の本が
我々の「目」を鍛えてくれる、著者はそういいます。
偉大な思想家たちが様々な労苦を重ねながら
「世のなかの動き」を捉えようとしたその姿勢を、
軽快な語り口で説明しながら、
その姿勢を我々が合点のいくような形で
再現してみせてく!れ!るのがこの本の最大の特徴です。
大切なのは、自分の実感にあった形で、
自身の経験とともに本と取り組み、
その意味を読み解くことであって、
それによって自分の考え方を鍛え、
そして練り直していくことにある。
歴史的な思想家たちが築き上げた「思想」の本質を、
自身の体験を交えて、身につけてみる。
そういった読書体験を通じて、
社会の見方が変化すると同時に、
社会へ向かう姿勢をも変化してしまう。
社会科学の本の読み方を伝授してくれると同時に、
自身の社会へ向かう姿勢をも改めて問い直す、
そんなきっかけを与えてくれます。
本当に身になる本の読み方を体験するためにも、是非ご一読をオススメしたい一品です。
レビュー2
読まなければ絶対に損!!読書論いや人生論といってもいい凄い本です! 2010/1/18
By よしきち
大学時代にこの本を読んだ私は、
内田義彦という人のあまりの凄さに
感動がこみ上げるのをおさえることが出来ませんでした。
「こういう本を読んだ方がいい」とかいう、
ありふれた読書論は世に数多いが、
この本はそういった類の本とは、
全く一線をかくします。
「本とはこういうふうに読むべき、
こういうふうに読んでは身にならない」という
「正しい読書の仕方」を教えてくれる本です。
「えー!本なんて自分の好きなふうに読めばいいじゃん!
読書に正しいも間違ってるもないだろう?」
という方も多いかもしれません。
しかし、考えてみてください。
スポーツでも音楽でもあるいは仕事でも、
正しい練習を積めば才能を伸ばしていけるが、
誤った練習をすると努力をしてもなかなか成果が出ない。
それどころか才能を殺してしまう場合もある。
無能な上司のやり方を強要されて、
成果をあげられず苦しむ営業マンも多いはず(笑)
同じ様に読書にも正しい読み方
(正しいという表現が適切でなければ身になる読み方・
と言い換えましょうか)
があるということを考えさせられます。
例えば、新聞の報道というのは
「起こった事実」を書くわけだから、
取材者の意思が入り込みにくい。
(というより、原則として意思・主観を入れてはいけない)
しかし、小説でもエッセーでも、
特に優れた文学作品には、
必ず「筆者が訴えんとしているテーマや理念」がある。
そういう物を読む時は
「作者が何を訴えようとしているのかを理解しようと、
格闘しなければいけない」格闘して、
初めは理解出来なかったことが、
自分が成長した分だけ理解できるようになる。
成長した分だけ、より深い読み方が出来る。
より広い視野で物事を捉える自分になれる。
というふうに、言われてみれば当たり前のことを、
非常に論理的に分かりやすく順を追って
説明してくれています。
しかも、内田氏が他の社会学者と比べ圧倒的に優れている点は、
文章の読みやすさ、分かりやすさ。
(講演形式になってるので話術も上手かったということになりますが)
「信じて疑え」「著者への信と自分への信」など、
至言と思われる言葉の数々。
そして音楽の世界や日常生活を例にあげながら、
読書をするうえで最も大事なことは何かを、
分かりやすくユーモアを交えながら教えてくれていること。
そこには、難解な言葉をもてあそんでいかにも学者気取りをする、
はなもちならない知識人とは違い、
いかに人々に分かりやすく物事を伝えていくかという、
氏の優しい人間性をもうかがうことが出来ます。
戦後日本の「知識の巨人」と呼ばれた加藤周一をして、
「内田さんは社会学という難解な学問を
日常生活の平易な言葉で表現することに成功した人」
と言わしめたというエピソードも納得出来ます。
まさに読書人必読の書といいっていいでしょう。
これを読まずに本を読むのは絶対に損をする!!
と声を大にして叫びたい。
レビュー3
本を読む際の作法と、社会科学が駆使する概念装置の組み立て及び効用 2008/9/24
By dvrm トップ100レビュアー
大学入学時に買ったムックに
この本が紹介されてあったのを最近思い出して、
入手して読んでみた。
ここ最近本を多く読むようになった自分としては、
読書という実践で得られる効果や読書という体験についての考えが
自分なりに浮かんではいたのだが、
この新書ではそんな考えに一つの道筋をつけてくれるものだった。
著者は、本を読んでも本に読まれるなと説く。
その言葉には、読書という行為が優れて体験的なもので、
読み手側の意志や意識が弱ければ、
読み手はすぐに著者の主張に自分の考えを乗っ取られてしまう
という洞察がある。
実際に社会科学の著作を読み出すと、
著者の主張は読み手を強く支配しようとするもので、
読み手側が常に著者の主張に一定の距離を取れていないと、
理論の向こう側にある著者の隠された価値判断や予断に気づくことが出来ず、
その主張を、
なぜそんな主張が形成されたのかを理解しないまま
宗教上の信者のようにその意見を絶対化してしまうことになる。
この新書では、そんな風にはならないために、
著者の主張を仮設的に信頼して、
読み手である自分の判断も信頼して読むこと、
そのふたつの態度を併用することで
著作上の考え方を自分なりに現実に適用できるようになる、といっている。
この言い回しの微妙な感じを
より確実にする為には、
出来るだけ違う著者、
または違う分野の古典作品を読むことが、
自分なりの仮説を作る際に重要だともいっている。
確かに、いろいろな分野の考えの組み立て方を知っていたほうが
独断的な考えに陥らずに済むと思う。
なお、入門テキストでわかった気になったとしても
古典といわれる著作はその書かれている密度は
入門本とはまったく違うので体験の質が違うのは確かだが、
入門テキストにも、
その分野の問題領域がどんなものであるかを示してくれる効用があるし、
そこから古典著作を読むとまったく質の違う体験がそこにあるので、
どちらかが良くてどちらかが劣っているわけじゃなくて
その目的と内容と効用が違う、
という事実を押さえておいて、
両者を使い分ければいい話ではないかと思う。
この新書では、
後半部分で社会科学の考え方の組み立てとその過程を、
自然法の含む内的論理と研究者の現状への批判的意識が
経済学の枠組を作り上げていった例で説明している。
何かのドラマで
「お前の言ってることはみんな本に書いてあるんだよ」
という台詞があったが、
そういうことを言いたがる人は
実際に古典といわれるような本を読むという実践はしないし、
実際に読み始めれば頭も体もつかれるが、
他の経験では換えることの出来ない効用を与えてくれる。
自分の才能やひらめきさえあれば全て大丈夫、
という考えの人はそもそも本を読まないだろうし、
読もうというきっかけもないだろう。
頭に思い浮かぶ閃きというのも
実際は誰かにすりこまれた考えのことが多いのだし、
そんな気持ちでたとえ読んでみても、
自分が前もって決め付けた予見の範囲でしか理解できない。
具体的に多くの時間をかけて、ある時は一生を賭けて
ひとつのことを考えつづけた専門家の努力をたどりなおすことは、
自分一人の限られた経験や思考能力では
辿りつけない問題性に気づかせてくれることが多い。
全ての人が一番最初から考え始めなければならないとしたら、
余り先へは進めなくなるだろう。
読書は、自分たちの前に悩みつづけた人たちの成果を、
読み手自身の身をもって通過できる実践の一つでもあると思う。
しかし一番大事なことは、
ここから得たものをいま生きて居て
特定の場所にいる自分の風景から捉え直して
自分なりに考え始め、行動の方針にすることだろう。