田というのは文字通り田んぼあるいは低湿地、泥濘地のことかと思います。
すると太田城というのは広い田んぼ、湿地にある城のことで良さそうな感じがします。
そんな地はそこここにありそうで、現に太田城は各地にあるようです。
そして紀伊の太田城は水攻めの太田城といえばお城ファンには通じるようです。
本丸跡と目されている場所。
引接山来迎寺です。
しっかりお寺さんです。
覗いているのは水攻めの供養碑です。
ささっとしか読みませんでした。
ごく簡単に要約すると以下の内容で大きくは違わないと思います。
秀吉の軍が城を囲んだよ。
籠城側は約5千、これを約10万で囲んだけど守りが固いんで、水攻めに切り替えた。
ついに持ちこたえず守将らの首と引き換えに開城、降伏を許したよ。
勝手に攻め込んでむごいですね。
城… 小高い丘の上… まったく違いますね。
周辺部もまったいらです。
当日雨、水に漬きやすいのは感じます。
しかし、自分のような小市民には人為的に一帯をチャプチャプにするという発想は浮かばないですね。
秀吉恐るべし…
正面が和歌山駅東口になります。
駅の地もお城に関わりがあったかも… 和歌山ちゃんぽんも食べてみたい・・
現在構内に案内が出ています…が、見逃しそうな規模です。
案内に沿って現地に行っても見てもらった通り、当時のお城を偲ばせるよすがはありません。
ちなみに、水攻めというのは財力、動員力を見せつけるものだったでしょう。
であればこそ攻手の失敗にも厳しく断じたようです。
ダムを築くというのは、水を溜めてみる(湛水)というのが最も緊張するらしいです。
ちゃんと溜まるか、構造上弱い所があってそこからの漏水、最悪決壊はしないか・・
それを急ピッチで進めます。
一部決壊が起こったりすると水圧のバランスが崩れ全体の崩壊に進むこともあるとか・・
太田城の水攻めでも堤を決壊させてしまい改易になった武将があったとも・・水より上に立つ者の方が怖いですね。
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