自民党総裁選が真っただ中ですね。
党の代表を決める選挙です。
総理大臣(政府)とは関係ないんですが、絶対与党の場合は総裁が総理に選出されるということで実質的に総理大臣選挙です。
総裁=総理でなかったのは近くはチャリンコ総裁谷垣さんですか・・
これは人の行う選挙ですが、大昔、総理に相当するだろう征夷大将軍の選出を神に委ねたことがありました。
足利尊氏の興した室町政権は尊氏の孫にあたる三代義満の時に絶頂を迎えます。日本国王になったんですね。
室町に幕府政庁を開いたのは義満、つまり室町幕府の名の起こりは三代義満の時のようです。
その後継四代が義満の子義持、手堅く幕府を治め子の義量(よしかず)に譲位します。
ところが大変、その義量がほどなく親より先に逝ってしまいます。
義量は若年であり子がありません。義持にも子、つまり義量の兄弟もいません。
義持もまだ子を生せる年代、占いによって男児誕生が予言されたんですね。
そんなこともあってか将軍空位となりますが、今度は義持が尻のできものをかきむしったら熱が出た・・と病を得ます。
現に生きている後継候補は、青蓮院義圓(ぎえん)、梶井義承(ぎしょう)、大覚寺義昭(ぎしょう)、相国寺永隆(えいりゅう)の4名、名の読みから察せられるとおり僧となっている者です。
もちろん目的は将軍となる見込みを失ったので俗世に残らず政治向き、争いから無縁になるためということです。
それを引き出す・・適任がいないんです。
義持は後継を決めません。”俺が決めても幕閣が不満ならうまくいかないだろ・・”ですか。
こういう風に足利幕府の将軍は反北条の寄せ集め政権の名目トップ、時により単に一構成員で絶対権力者じゃないんですね。
そこで候補者からくじ引きで将軍を選出します。
”カランからんからん~はい金の玉(この「の」は非常に重要、省略不可(*´Д`))出た~!” みたいな軽いものではなかったでしょうが、ともかくも人の意でなく決します。
後継の選出と後先どうか知りませんが、義持は病が重篤化して亡くなります(おでき将軍としてありがたくないことですがむしろこのことで有名になりました)。病名は敗血症と言われます。
六代将軍は義圓、還俗(げんぞく:僧から俗世に戻ること)して将軍としての名は義教(よしのり)、就任後は幕府の権威を回復するため義満の治世にならい邁進します。
つまり大きくなりすぎた者をたたくのです。このやり方に義教は”万人恐怖”と形容されます。ある意味有能です。
室町幕府にとっての悩み・・地方組織として鎌倉公方を置くのですが、実態上幕府の地方下位機関でなく東国幕府の様相を呈するようになります。
そして幕府に反抗してついには武力行使、敗れた後赦しを乞いますが、義教は赦しません。
徹底しています。ブレーキがありません。幕府中枢も安泰にしていられません。
そこで ”次は俺かな・・” そう思った重鎮赤松満祐が先手を打ちます。
なんと将軍暗殺です(嘉吉の変)。満祐の領国播磨の入り口は中国道赤松PA付近のようです。
関東における戦乱から始まったとされる室町の混乱は応仁の乱を経由して戦国時代に突入していきます。
これらの関東の平井城、古河公方屋敷跡などの戦跡等を訪ねてみたいと思うんですが、関東は広いですね。コロナもあるし・・ 雨天、本降りの中とりとめもなく・・