旧暦・和暦の換算サイトを見つけたので太陰暦太陽暦、同じくおさん茂兵衛に続きしつこく暦の差の話題です。
そのサイトです。
このサイトで見ると日本の暦が現行暦に変わったのは明治6年1月1日。
つまりそこで改暦が実施されたということですね。
その前の明治5年を見てみます。
明治5年1月 29日
2月 30日
3月 29日
4月 30日
5月 30日
6月 29日
7月 30日
8月 30日
9月 29日
10月30日
11月29日
12月 2日 計327日
こうやって旧暦12月3日にあたる日が、まるで”11月の次に正月が来た!”って感覚で明治6年1月1日としてスタートしたんですね。
旧暦というのは極めて難解、見ようによっては面妖とも・・
各月の日数が固定ではない、つまり”にしむくさむらい”無効だし、調整のための閏月も同じ月を同じ日数繰り返すわけではないようです。
一方が大(30日)、他方が小(29日)だってあります。何月が閏かも固定ではありません。
赤穂浪士の討ち入りが真夏の暑い盛りとかそこまでのずれはないんだけど、初春が梅も咲かない時期だったり、桶狭間の戦い(永禄3年5月19日)では突然の大雨が勝敗の重要要素になったとかいうけど、現代暦の6月12日だから降ってもまったく違和感のない時期だったりするのも納得します。
若き騎馬武者、いざ桶狭間!
この複雑な旧暦だと季節感さえ湧かないし、何より利権が生じてしまうわな~と思います。
旧暦同士の改暦だって相当の大事件だったでしょう。改暦なかりせば、もっと言えば平易な暦への改正であれば、おさん達も公権力により命まで奪われることもなかったろうな・・
現代は簡素な暦で良かった。・・と言っても洋暦も単一ではなく、やはり洋暦同士の換算が必要な場合もあります。
その主なものはグレゴリオ暦とユリウス暦でしょう。
総日数同じでも政治的意図が働いたりすると簡単な暦なんか無~理となりそうですね。
も~暦同士の換算って頭痛~ってところ、さらにともに固定でないものを換算する場合もあるって実に難儀な話です。
因みに3月25日(グレゴリオ暦)の事件としては、大塩平八郎の乱の勃発があり、それは天保8年2月19日のことだったらしいです。
乱は内部からの密告により失敗に終わるんですが、余波として各地で小さな蜂起が発生、やがて倒幕を誘発する契機となっていきます。
その痕跡と言われる場所も近隣にあるんですが、よくわかりません。幕府も鎮圧に必死だったんだな・・ということだけは感じます。
もう一つ、趣旨はすれ違いますが、前日が東京五輪延期決定の日として長らく記録されることになるのか、どうなのか・・・