帰宅しました。ポニョが迎えてくれます。
朝、大雨。
ゆったりします。クリスマスローズ二種。
桜桃忌。
まだずっと先ですが、そんな気分です。
憂鬱な雨ですが、コロナには抜群でしょう。
乾燥が防げるし、何より人出がほとんでありません・・
帰宅しました。ポニョが迎えてくれます。
朝、大雨。
ゆったりします。クリスマスローズ二種。
桜桃忌。
まだずっと先ですが、そんな気分です。
憂鬱な雨ですが、コロナには抜群でしょう。
乾燥が防げるし、何より人出がほとんでありません・・
西新井大師 藤棚
予報は雨、今日から家でおとなしくしている日です。
・・が、降りそうなもちそうな空です。
西新井までチャリ飛ばしてみます。
普段ならこれだけ花があれば人寄りができます。
さすがに緊急事態、まばらです。
黒い雲が沸いていたり、方向によっては青空です。
さわやかな風、弘法大師が”アレ”を吹っ飛ばすというのは無しですかね・・
ひょっとしてここの結界内だけは疫病退散済みかも・・
塩地蔵です。塩を奉納します。塩で消毒・・?
もしお地蔵様高血圧だったら、こりゃ倒れますね。
西新井大師は柴又と寅さんの故郷を競った地です。
ここの団子屋さんもひまそうです。
全然物足りないですが、雨も心配だし、コロナもあるしでタッチアンドゴーで帰りましょう。
行きはよいよい、帰りは遠~い・・
1馬力に全然及ばず、燃料は”泡”のエンジンには登り坂が応えます(;´д`)トホホ
ついに緊急事態宣言入りです。
”な~に ちょっときつめの風邪なんだから温かくなったらうそみたいになくなるんだよ!”
そんな風な言われ方することもありました。
ほんとかな?と思う部分もありましたが、ぜひそうなってもらいたい・・と
長患いになっています。
本日、まだ降ってないものの雲量多く青空はありません。
いつポツリかわからず、お出かけにはしんどいですね。
・・幸いな宣言入りですかね・・
昨日の朝です。
説明表示で隠れた部分が根津神社
ちょっとした大事故を起こしそうでした。
東京は高空から見下ろせば平ぺったな土地。
しかし、地上に沿うととんでも坂だらけの地です。
つつじの斜面を見てもらうとわかると思いますが、根津神社は台地を下りてきた地にあります。
武蔵野台地が南に向けおりてくるので、地図上南に下がれば坂はゆるやかに短くなるはずです。
そう思って南に進んだら平面行きどまり、階段になってしまいました。
スロープもあるし、ここを使って持ち上げればちゃりオケイ!
これが実にやヴぁいことでした。何事もなくてよかった~
どうやばかったかはご想像ください。
聞いたことはありますが、この坂がそうとは知りませんでした。”おばけ階段”というようです。
まさかおばけのしわざということはないでしょう・・ ほっ!
最近お日様早起きなんですよね・・
5時前には”おはよう” です。
先週、護国寺の躑躅(つつじ)を見ました。
そろそろかな・・と根津神社に出向いてみます。
まだ、”付近住民の時間”です。散歩、体操の人ばかりかな・・
ん~・・・ぬかったな~
って曜日の都合で自由に来ることもできないんですが・・もう盛りを過ぎています。
新緑に移っています。
今年も権現太鼓はコロナ中止のようです。
駒込駅、ホームの陰になっている法面の躑躅が見事なんですよね。
こちらはまだです。だから根津神社も・・そう思ったんですけどね・・・
帰路沿線の目赤不動に寄ります。江戸五色不動の一尊です。
お寺は大聖山東朝院南谷寺というようです。
枝垂桜を楽しませてくれた吉祥寺もすっかり青葉です。
帰宅してまだ昼にならないのか・・と待ちわびてお昼に出ます。
人出人出・・おっ! そうか・・・だいぶ住民になってきました。
本日4の日、とげぬき地蔵の縁日です。
ごはんやさんも大忙し、仕上げ少し手抜き気味ですか・・
”おばあちゃんの原宿” 遺憾なく発揮の日です。
・・っと、にぎわいをよそに・・明日から緊急事態宣言です。
”風さそふ花よりもなほ・・・”
全部を書くと
”風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残を如何にとやせん” となるようです。
江戸城殿中松の大廊下にて刃傷に及んだ浅野内匠頭の辞世と言われます。
隣の木は桜です。辞世を偲ぶためでしょうか? 花は見ませんでした。
刃傷松の廊下とも言われるこの事件は真相がわかっていません。
以前にも拙い記事を書いたので読んで頂ければと思います。
今まさに新入社員の研修時期。
現象面だけで言うと講師がハラスメントをしたのか、そうではないものの新入社員がハラスメントと感じたのか・・研修の場どころか公式行事中に講師を罵倒殴打した・・そんな例えでいいんじゃないでしょうか。
吉良権少将は高家肝煎、武家に行儀作法儀式進行などを教える立場・職責にあります。
ただ、内匠頭は既に饗応役経験済でずぶの新入社員ではなかったようです。
現代の暦に当てはめれば”犯行日”および”自刃日”は4月21日、花は武士の象徴であり日本人の心情をいう桜に違いないと思いますが、すると八重、それが残っていたとしても若干微妙な気がします。
少なくとも江戸城の八重は昨朝ほぼ咲き終わり、すでに散ってしまったでかまわないほどと思います。
桜の情を詠むには緑が強すぎです。
‥桜
”・・桜” 以降の写真には桜が写っていますが、花はありません。
長い枕を書いたのは、本人が詠んだものではないという説があるからです。
・・ですよね・・ 刃傷に及んだその日のうちに沙汰という即決事案です。
辞世を詠む余裕があったんでしょうか?
この点については、もともと才があったということで仮に解決できると思います。
そうであれば書き物が残っているのか? なければだれが聞いたのか?
武家の記録というものはネタ元は誰?ということで ”(まさに)そうであったか” とか ”話半分やな” とか信用度の違いがあったようです。
そして身柄を預かった田村右京太夫の家柄というのは前者に当たるそうで、そこに記録されていないとあります。
また、本人の弁、事前に家臣に語ったということがあれば偶発性を否定する材料になるのかもしれません。
謎の解決は無理っぽいです。
わかったとしても今更何を・・そんなものだったのかな・・・(あえてなにがどうとあやふやに・・(*´Д`))
いずれにしても(・・菅総理の口ぐせですね(^^))現代は切腹でもお菓子で済んでよかった。
お菓子屋さんです。やっぱり桜に花はありません。