金山城登城の折り立ち寄ったお寺さんです。
金龍寺、紅葉がきれいでした。
歴代金山城主の菩提寺で、新田義貞の供養碑もあるようです。
そこから徒歩圏内、呑竜さまがあります。
大光院です。
なかなか大きなお寺です。
七五三のお参りもありますね。
立派な枝ぶりの松があります。臥竜松だそうです。
徳川と言えば三河かと思いますが、この地の新田義重が氏祖だとか… ネットで見てみるとその子義季に氏祖の表示があります。
よって幕府を開いた家康が義重を供養する寺院を開かせたと…
もう誰だかわからないくらい薄くなっていたと思いますが、血ですから…
もう亡くなった私の伯母に子がなく、養女を取っていたんですが、人に馴染みにくい子だったのに実の親には何気に抱かれたと… 一生懸命我が子として育てていたのにこれかと驚くとともに少し悲しくなったとぼそっと語っていました。
血なんですね… もし直接会っていたら家康も何の違和感もなく受け入れたかも…
新田義貞も一族ですから義貞と家康は親戚筋…
七五三のお参りも多いです。
開山を命じられた呑竜上人、捨子、子殺しが横行する荒んだ世にそんな子を弟子として寺で養育したそうです。
その中に国禁を犯した者もあり、これを匿った上人もお咎めを受けたそうですが、後に赦されたそうです。
どのような禁、現代法制で犯人蔵匿罪を構成するようなものですかね? 記載なく、わかりません。
子育て呑竜、そう呼ばれる上人の墓所も境内にあります。
太田の地、旧軍の軍用機製造メーカーである中島飛行機の城下町でもあります。
現在は車屋さん(すばる)です。その名を冠した町名もあるようです。
そして中島製100式重爆の愛称が上人に肖った呑竜でした。
軍ですから子育てより、竜を呑むというその名の豪壮イメージに注目したんですかね…