武庫川の”むこ”というのは、淀川から大阪中心部に向けた方を”こっち(河内)”というのに対応した実に雑な方向感覚の地名らしいです。
むこを流れる川ですね。六甲も同義とか・・
武庫川は面白い流れを見せます。
現在丹波篠山を流れ加古川に合流する篠山川こそ武庫川の本流であったと言います。
緩やかな平地を流れるため侵食力、運搬力とも小さく屈曲部に土砂の堆積ができました。
それが自然の堤防となり、流れを堰き止めます。篠山は一時湖だったそうです。
流れが復活したのは侵食力の大きい加古川が源流域を奪い取ったためです。
川には川の神様を祀ったりしますから意思があるのかもしれませんが、”ある”とした表現が河川争奪です。
これまで武庫川に流れていた水は加古川に奪われ、その痕跡が田松川としてホソボソと流れています。
また、その下流藍本付近でも堆積作用により流路が堰き止められ、少しでも低い方にヘアピンで屈曲し、大きく迂回して流れ始めます。
本流の痕跡が、ほとんど涸れて用水路のようになった相野川です。
大迂回した武庫川と広野駅付近で合流します。武庫川大将やられっぱなし・・とほほ・・
そんな様子を中流域三田の「須磨田」からJR南矢代付近の源頭まで遡上してみます。不要不急です・・😅
なんかメルヘンチックです。
冒頭の写真も近いです。田植えも終わっていて蛙の合唱が聞こえます。
家の横奥に橋が覗いています。ここに”武庫川殿”がいます。
神社があります。ちょっと寄ります。
こちらの鳥居は笠木に反りがあって屋根のある形式です。めずらしい・・?
立派な神社です。
ちょっと寄った神社はちょっとこわい。
ほんとは、流域を一望するのでは・・と寄ったんですが視界はありません。
参道から以下の光景が望めました。
川は山と山の間を左に曲がっていきます。
田植えの終わった水田越しに橋の集落を望みます。わしらが川、わしらが橋って感じ・・
もう夏の雲も・・
さらに進んで176号を越えるとヘアピンです。
公会堂に寸時、車を置かせてもらいます。
鞘堂でしょうね。
そこに標板、”この地の旧領主は民に慕われた人で、死に際し自分の財宝を墓に埋めよ、村が困窮したときには掘り返して使え”と伝えたということが書いてあります。
近くにその塚があるらしい・・えらい人。
上流を望みます。大河の趣はあまり・・
くる〜と回ります。
堆積により元の流路を失ったというなら、復活可能な旧流路地形があるのでは・・?
そう思いますが、治水事業ですかね・・痕跡を感じさせるものは見当たりません。
こういう地形によって急な曲がりを強いられた有名な地形が和歌山の「あらぎ島」です。
川は平野部では自らの”意思”でくねくね流れます。
それを自由蛇行、山間部の地形によって曲げられる流れを穿入蛇行(穿入メアンダー)というようです。空路からよく見えます。
いよいよ源頭部。
お寺に寄ります。松尾山高仙寺というようです。
立派なお寺です。
境内から福知山線を見ます。
左端に見えている橋にこれから向かいます。
駐車場に季節の花一輪。
橋から。お寺を望んでいます。
デルタで本流であった田松川(堤防沿い左)と合流します。現本流は右に延びていきます。
もう少し上の橋から。かなり細くなりました。
田松川はこの田んぼに取水するため人為的に残ったんじゃないでしょうか? 本来消滅してた・・?(田んぼの奥の山間を流れる)
目的地到達です。
篠山まで行って猪名川方面に帰ろうかなどと思いながらも、三田の千丈寺湖まで戻ってお昼にします。
中華そば わらべ
味噌を思わせるほど大豆の風味の強い醤油・・特段んまい!ということもないが、くせになりそう・・
千丈寺湖のほとりを通って帰路に就きます。
一気に書きました。ふ〜 ・・読んで頂いた方ありがとうございました。
(6/1 追加)