松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆行政評価委員会(白岡市)

2018-01-19 | 1.研究活動

 行政評価の仕組みの制度設計をやっているが、とても充実した委員会になっている。

 まず、当たり前のことではあるが、この委員会の委員さんは、よく勉強してきている。この日も、評価の視点をめぐって、行政の案に対して、自分でメモを書いて、みんなに配ってそれで議論が行われた。特にいいのは、配布時、これは自分から見た視点なので、もしかしたら誤解もあるかもしれないがという、コメントをしながら、議論の素材にあげてくれることである。これなら、よし、前向きに考えてみようという気になる。行政のほうも、なかなかいいアイディアがでず、助かったと思っているようだ。

 時には、委員からの提案が、的外れだったり、唯我独尊的な提案になることがある。しかし、この委員会では、いつも現実妥当で、少しでもより良いものにさせようという提案が出る。なぜなのだろうか。

 一つには、司会進行というものあるだろう。単なる批判や、重箱の隅をつつくような意見が出ると、私は、必ず、ではどうしたらよいという言葉を返す。それを2,3回続けていくと、提案型の会議になっていく。あとは自由に発言できる雰囲気だろうか。附属機関ではあっても、ここは議事録カットといいながら、冗談を言い、気楽な雰囲気とすることが大事なのだろう。

 もっとも大事なのは、委員さんの選び方である。白岡市のメンバーは、リタイアした人も、現役時代、バリバリと活躍していた人達である。当たり前のことではあるが、仕事でもなんでも、成果を出そうとすると、相手の主張を聞き、合意を取り付けながら、進めなければならない。スジや建前だけでは、社会は動かないし、合意ができないことを知っている。だから、行政の会議に参加しても、現状を発展させる議論ができるのである。

 これは仮説であるが、行政の会議に出てきて、対案のない批判を繰り返す人は、社会的訓練が十分でない人なのだろう。会社や組織において、管理的立場を経験したことがない人なのではないか。あるいは、会社や組織で、管理的立場で苦労したので、対行政の関係では、いわばその反動で、あえて対案を考えずに、気楽な批判をしているのかもしれない。

 「会社や組織における社会的地位と市民活動における行動基準の相関」のようなテーマになるのかもしれない。仮説は、
 ①会社や組織で、管理的・経営的立場にいた人は、市民活動においては、融和的で建設的な議論をする(こうした経験の乏しい人は、批判的な議論をしやすい)。
 ②管理的・経営的な立場にいた人は、行政に対する信頼性が高い(そうでない人は、信頼性が薄い)。
というものである。

 これは、いくつかの会議や市民活動を通しての、いわば経験的な仮説であるので、ある程度当たっていると思う。要するに、管理・経営者の立場にいると、いろいろな利害のぶつかり合いのなかで、間に入って苦労し、いろいろと鍛えらるから、柔軟でかつ提案型になるというものである。ただ、男の場合、会社や組織における社会的地位をそのまま、市民活動に持ち込む傾向があり、そもそも過去の社会的経験は、いまさら言っても仕方のないと思うので、私とすると、今ひとつ、研究をしようという気にはならない。

 また、結構面白い分析はできるだろうが、その結果、ではどうするのかという対策の部分が、うまく示せないのも、研究を躊躇させる要因である。私とすると、当面、会議の運営のなかで、建設的な議論をするように仕向けるしか、適当な対案が思いつかないからである。いずれ、誰かが、研究すると思うので、それに委ねたいと思う。

 白岡市の行政評価制度構築委員会のメンバーがいみじくも言っているが、いくつかの会議に参加しているが、この会議は、真剣勝負で、気を抜けないといっていた。こうした人たちとの、建設的で前向きの議論ができる会議は、とても楽しい。

 この日は、夕方6時からの会議。前の予定も詰まっていたので、夕食をゆっくり食べる時間がなかった。帰り道、駅の売店でパンをかって、白岡駅の少し寒くないところで、私と同じ、同好の士と、目くばせしながら、立ったままで、パンをかじることになった。

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