松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆政策法務は役に立っているのか

2011-04-14 | 1.研究活動
 大災害の中で、政策法務は役に立っているのか。残念ながら・・・というのが率直な感想である。テレビで見たひとつの例を書いておこう。
 避難生活が長引く中で、避難所にいる人たちのストレスは高まっている。住民が避難している体育館は、もともと人が住むようにはつくられていないからである。そこに1ヶ月以上、衝立もない、プライバシーもないところで暮すのである。いくら東北人が我慢強いといっても、しんどいことであろう。このままでは、気持ちから壊れてしまう心配がある。
 そこで、一刻も早い仮設住宅の建設が急がれるが、その建設も容易に進んでいない。そのネックのひとつが、用地確保の問題である。テレビで見たが、あきらかに耕作放棄地で、実際にも荒れ果てている土地であっても、土地の地権者一人ひとりの了解を得ながら作業を進めているという。土地に100人もの地権者がいて、それを法務局で確認しながら、了解を得られたところから建てているというのであるから、確かにこれでは、仮設住宅といえども建設は容易ではない。
 平時ならば、たしかにこの通りでよいだろう。しかし、今は非常時で、緊急の対策が求められているときである。住民の命さえ危くなっている。住民の幸せを実現するのが、地方自治で、そのための手法のひとつが政策法務であるならば、平時とは違う打開策を切り開くのが政策法務だろう。
 ともかく建てて、あとで個別の了解や補償をすればよいではないか。そのための理論を考え、制度を考えるのが政策法務ではなかったのか。その気になれば、理屈は、後から、いくらでもついてくる。
 政策法務には、すでに10年以上の歴史があるが、今回、大災害の中で、改めて問われたのが、政策法務には、果たして自治を切り開く力があったのかという根源的な問いかけである。結局、国の法務をなぞるだけの法務ではなかったのか。肝心の自治を創るというマグマの部分が、冷え切っていては、政策法務は市民の期待には応えることができないということだろう。こうした政策法務の構造的な弱さが、本当に力を発揮すべきときに、限界として露呈してしまったのではないか。
 大震災、大津波、原発は、さまざまなものを変えるが、改めて政策法務も問い直されている。ちょうど4月は新学期で、心あらたにスタートするにはちょうどよいときである。再度、原点に戻って、頑張ってみよう。ところで、この新学期というのは、だれが作ったシステムなのだろうか。リセットには、実にうまい仕組みだと思う。
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