山本先生は、大阪国際大学の私の研究室ではす向かいだった(隣の隣には、文化功労者で経済学の新開陽一先生、その隣が、刑事訴訟法の井戸田先生、法治主義の高田敏先生、商法・国際私法の川又良也先生がいた。向かいはシュミット研究の古賀先生。大先生たちには本当によくしてもらった)。山本先生は教授会では、洋書に手を置きいつも目を瞑っていた。この本は、政治思想家の思想の変遷を旅に絡めて論じた本であるので、私にも読むことができる。ソクラテスから始まってラフカディオ・ハーンまで論じているが、やはりルソーは分かりやすい(いずれこういう本を書きたい・・・)。
私の最近の関心は、民主制である。私たちは、民主制の社会に暮らしているが、この民主制を私たちは担えるのかという問題意識である。私たちの民主制がうまくいくには、私たち自身に自律性と社会性(山本先生によると、共同体のことがらを我がことのように思え、行動できる貢献性)が必要であるが、果たしてそれができるのかという問題意識である。私は政策マンであるから、そのための仕組みや仕掛けを考え、提示するのが役目である。
そんなことで、最近は関心が広がり、エドマンド・バークまで読むようになった。10年前なら、「反動思想家」バークには近づきもしなかっただろうと思うと、年を取ったのか、幅が出てきたのか、よく分からない。ただ、世の中には絶対いいというものはないことに気がつくようになってみると、フランス革命といえども絶対ではないはずである。
私にはルソーやプラトンの旅を辿る能力はないから、いずれ時間があったら、トクヴィルのアメリカの旅を辿ってみたい。
私の最近の関心は、民主制である。私たちは、民主制の社会に暮らしているが、この民主制を私たちは担えるのかという問題意識である。私たちの民主制がうまくいくには、私たち自身に自律性と社会性(山本先生によると、共同体のことがらを我がことのように思え、行動できる貢献性)が必要であるが、果たしてそれができるのかという問題意識である。私は政策マンであるから、そのための仕組みや仕掛けを考え、提示するのが役目である。
そんなことで、最近は関心が広がり、エドマンド・バークまで読むようになった。10年前なら、「反動思想家」バークには近づきもしなかっただろうと思うと、年を取ったのか、幅が出てきたのか、よく分からない。ただ、世の中には絶対いいというものはないことに気がつくようになってみると、フランス革命といえども絶対ではないはずである。
私にはルソーやプラトンの旅を辿る能力はないから、いずれ時間があったら、トクヴィルのアメリカの旅を辿ってみたい。