松下啓一 自治・政策・まちづくり

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◇龍野に行く(兵庫県竜野市)

2019-04-28 | 5.同行二人

 退職1年記念は、姫路から竜野に行った。

 姫路は、大阪国際大学にいたころ、お花見に来た。そのときは、修復前のお城であったが、白亜のお城になったからということで、今回、出かけてみた。修復から、時間がたったのたで、思いのほか、白くなかったのは意外だった。しかし、お城は大きく、立派で、さすが姫路城である。

 気がついたのは、やたらフランス人が多いこと。お城でもホテルでもフランス語が飛び交っていた。きっとフランスで取り上げられてブームになっているのだと思う。以前、ニュージーランドに、「この木なんの木」を見に行ったが、なんで、ここに、日本人が来るのか不思議がられた(日本人しか来ない)。同じようなことがフランスで起こっているのだろう。

 今回の旅の本来の目当ては、家島に行くことだった。姫路から30分くらいの島である。しかし、小雨模様の天気なので、海はきれいではないと考え、急遽、竜野に行くことにした。竜野と言えば、三木露風の赤とんぼの歌で有名で、むしろそれが強すぎて、ちょっと敬遠していたが、実際に行ってみると実に奥が深かった。

 旧い街並みのほうは、姫新線の本竜野駅のほうである。脇坂藩の城下町で栄えたが(今でも裁判所や検察庁がある)、鉄道がとおることになり、当時は、蒸気機関車なので、白壁が汚れると言って、まちをあげて鉄道が来るのを反対したために、山陽本線は、ずっと南を通ることになった(山陽線は竜野駅)。

 戦災にも合わなかったし、その後、姫新線も通るが、旧城下町とは、川を挟んだ反対側を通ったので、要するに取り残された結果、今日の街並みが残ることになった。

 本竜野のまちは、まち全体が城下町である。まちをあげて、建物を修復し、白壁の土塀をつくっている様子がよくわかる。だから、一部の古い建物が残っているという感じではなく、まち全体が街並みで気持ちがよい。

 桜の季節は終わっているが、あちこちに桜並木があり、桜に浮かぶ街になるだろう。また紅葉も多い、秋になったら、これも紅葉に包まれた街になってきれいだろう。

 連れ合いとの二人旅は、あちこちで話の輪が広がる旅となる。和菓子屋さんに入ると、店のおばあちゃんと、長い話になり、お土産を買う。ちょっと先に味噌屋さんに入り、ここでも長話となり、みそを買う。

 お昼は、大正ロマン館の隣に、若い人たちがやっているレストランがあるが、そこでも食事をしながら、さまざまな話になる。

 竜野は、お醤油のまちであるが、しょうゆのビデオを見て、レストランで基本の淡口醤油のほか、さまざまな醤油を買うことになった。小雨交じりなのに、リックはお土産でいっぱいになり、むろん、連れ合いは持たないから、私が持ちながら、まちを歩くことになった。

 ここの城主は、脇坂氏である。浅野内匠頭が、吉良さんに刃傷に及んだ時に、浅野の気持ちをおもんばかった脇坂氏が、わざと吉良にぶつかり、「無礼者」と怒鳴りつけるあの脇坂氏である。明治時代になって、竜野に戻って来て、住んだという建物が残っていて、ここのおばちゃんとも長い話となった。

 ともかく本竜野は奥が深い。全国に行くが、こんな魅力的な町は、そうないと思う。秋にはまた来たい。

 兵庫には3日間いた。赤穂市の坂越にも行った。北前船の寄港地である。ここも鉄道から取り残されている。その分、いい街並みが残っている。

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