高校のクラブの同期会があった。ほぼ毎年、クラブの仲間と生死確認会と称して集まっている。
今から50年前の高校時代、私は思うところがあって、落語研究会に入った。落研(おちけん)といった。古典落語の研究という触れ込みであるが、実際は研究よりも、あちこちに慰問に行くのがメインだった。
皆で集まって、昔の話をすると、忘れていたことをたくさん思い出す。湯屋番という落語があるが、松下の湯屋番は秀逸だったとほめられた。すっかり忘れていた。そういえば、結婚当初は、連れ合いに、落語を聞かせていたが、いつから話さなくなったのだろうか。
わが希望が丘高校は男女共学であったが、神奈川県立一中という伝統校であったことから、ほとんどが男子学生ばかりで、その分、女子高の文化祭に出演するのも楽しみだった。当時は、深夜放送が盛んで、パックインミュージックにみんなで出演したこともあった。一緒に出ていた音楽グループが、その後、ブレークしたことがあった。ちょうど70年安保の少し前で、高校も最後の穏やかな時であった。
大学に入ると、大学紛争のまっただ中という時代で、だれもがその渦に巻き込まれた。そんな時代を通り過ぎてきた者たちが、毎年、集まっている。
メンバーのうち、何人かが、昨年、大きな会社の役職者を退職した。ただ、現在でも、半数は社長や副社長をやっている。はじめて分かったが、メンバーのうち、ゴルフをやったことがないのは私だけだった。もうひとつ飛行機のファーストクラスに乗ったことがないのも、どうやら私だけらしい。
この日、メンバーの一人がいつも行くカンツリークラブの社長が、このメンバーの一人だったことが初めて分かった。社長といっても、いくつかあるあて職の名前だけの社長なので、本人も自覚がないらしい。