松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆熟議の市長選挙㊲準備委員会の公開・穂積さんの問題提起を受けて(三浦半島)

2017-08-15 | 1.研究活動

 新城市市長選挙の立候補予定者3名のうち、白井さんと穂積さんは、公開政策討論会(これにはネット政策討論会、公示後の合同討論会も含まれる)に積極的に取り組んでいる。新城市の新たな文化とルールを作ろうと、これまで日本全国どこでもできなかった、その意味では、「針の穴を通すような」難しい作業を知恵を出しながら奮闘している。

 むろん、両者には、いくつかの点では考え方や、やり方に違いがあるが、今回の穂積さんのブログによると、準備会の公開について、見解が割れているようだ。この点に関して、穂積さんがブログで、この場を公共空間とする意義とそこでのルールについて、論じている。本格的な話なので、私もふれておこう。

 準備委員会の公開性については、すでに書いた。そこでは「運営ルールの決定は、密室で決めずに、多くの市民が見守るオープンの場で、議論してほしい。そうすれば、なぜそのように決まったのか、どこが論点なのかがよくわかる。オープンにすれば、多くの市民に関心を持ってもらうことができ、同時に、制度の水準も上がっていく」と書いた。

 ここでは準備委員会は公開したほうが、ずっと内容もよくなるし、みんなの関心も高まるという、実践的な理由を書いた。今回は、さらにさかのぼって、本質的な観点から、公開の意味を書いておこう。

 実は、日本では、1990年位まで、公と私を峻別する公私二分論が通説だった。政府(行政や議会)と市民を二分し、公共ルールは、政府の行為だけに適用するという考え方である。しかし、このころから、NPOや地域コミュニティも、実は、公共的役割を果たして、むしろ、NPOや地域コミュニティが担う公共の部分のほうが、私たちの(特に精神的な)豊かさにとって、大きな役割を果たしていることに気が付きはじめた。

 その画期となったのが、1995年の阪神淡路大震災で、あの時、神戸市役所は機能不全に陥ったが、その神戸の街で、NPOや自治会・町内会の人たちが、救援活動や支援活動を行った。私は、その現場にいたが、今でも、社会の変わり目にいたことをよく覚えている。災害時以外でも、福祉活動や環境保護の活動等でも、NPOや地域コミュニティは、今日では政府に比肩する活動を行っている。公共は政府だけが行っているわけではないのである。

 それが、新しい公共論や協働の理論である。自治基本条例は、それを体現し、体系化した自治体の法である。新城市でも、自治基本条例を制定し、地域コミュニティ(地域自治区)、NPO等を公共の担い手に位置づけ、これらに、公共を担ってもらって、存分に活躍してもらおうという取り組みを続けてきた。新城市の若者政策も、その一環で、若者にも、公共を担ってもらって、元気な新城づくりをやってもらおうというものである。

 むろん地域コミュニティやNPO、若者は、政府ではなく私的存在ではあるが、公共を担っているので、その組織活動では、公共ルールに従ってもらうということになる。情報公開や説明責任といった政府のルールも、地域コミュニティやNPOが公共を担っている部分では、準用していくことになる。私的存在であっても、公共空間の担い手であるので、公共ルールを尊重し、順守していこうというものである。

 今回の準備委員会の公開もその延長線上にある。準備委員会は、政府(行政、議会)ではないが、公共性を帯びた組織である。市長選挙に絡み、その政策討論会の企画、運営を行う組織であるから、地域コミュニティやNPOよりも、ずっと、公共性は高い。政策討論会の運営に関する決定事項は、政府が行うと同様に、公平性・公正性、効率性、有効性という公共ルールを守ることが求められる。

 地域コミュニティやNPOでさえ、情報公開や説明責任が求められるのだから、それよりずっと公共性が高い準備委員会は、言うまでもないというのが、先に述べた準備委員会の公開が当然とした理由である。前回は、公開の実践的な意味から書いてみたが、穂積さんが問題提起したので、今回は、それではと書いてみた次第である。

 さらに新城市には、特別の理由もある。この間、新城市では、市政の政策決定手続きの非公開性が問題とされて、庁舎問題の住民投票が起こり、市長リコール問題が起きてきた。同じテツは踏むべきではない。「運営ルールの決定をなぜ密室で決めたのだ」という批判を受けてはいけないというのは、住民投票や市長リコールに学んできたことである。準備委員さんは、少し大変かもしれないが、後ろに戻るのではなく、前に進んでいることを理解して、ひと頑張りしてほしいと思う。

追伸

穂積さんの記事をよく見ると、白井さん推薦の委員さんに、公開反対の人がいて、強行するわけにもいかないので、非公開でスタートするらしい。最初は、非公開でも、聞かれてまずいことも何もない訳だから、途中から、やっぱり公開しようと、変えたら、いいのではないか。

 

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2017年08月15日 政策討論会の準備作業 およびネット討論について


公開政策討論会に向けて現在の3立候補(予定)者の間で準備作業に入りましょう、という提案がいろいろな事情からすんなり進まずにいましたが、過日山本たくや後援会殿から日程調整に入りたいむねの返答と日程提案があり、白井氏、穂積側も同意する日時で協議を行うことが決まりました。

告示前に候補(予定)者同士が他者を介在させずにこのような協議を始めるのは何せレアケースですので、細心の注意を払いながら歩を進めていきたいと思います。

なお、この事前準備協議についてはこれまでのところ、白井氏側と私とのあいだで若干の見解の違いがあります。

私はこの事前準備協議の時点から公開とすることが望ましい(具体的には最低でも報道機関に)、と考え、提案しましたが、白井氏の方からはこの段階では必要とは認めない、また公開を望まないメンバーがいる、との応答がありました。

公開を望まない方がいる以上は強行することはできませんので、非公開方針で準備協議を行うことになります。

この問題は大きな争点ではありませんが、どうでもいいという訳でもないので、一連の経過のなかで記録だけは残しておくべきと考え、山本たくや後援会側への返信のなかで公開・非公開のどちらを望むかだけ意向確認をしたい旨申し入れたところです。

政策討論会の準備の仕方等をめぐるやりとりは、白井氏が克明にブログ欄で足跡を残してくれていますので、全体経過はそちらをご覧いただければと思いますが、この過程で、白井氏より、ネット上で公開政策討論をやろうとの提案がありました。

山本氏側の考えはまだ表明されていませんが、私からは、共通サイトを立ち上げるなり、信頼できる交通整理役のサイトでやる場合は大変意義があること、しかしながら白井氏の当初提案である互いのブログ欄での質疑の繰り返しには賛同できないことをお答えしました。

その後若干のやりとりがありましたが、上記した3者事前協議が本決まりになりましたので、それを最優先事項にして事にあたっています。

ネット討論に関しての私の原則的立場として白井氏にお返ししたのは次のような主旨です。

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白井倫啓様

私は当初からネット討論に関しては、共通サイトもしくは信頼のおける第三者あるいは交通整理役のサイト上で、共通ルールを設けたうえでの運営を提案してきました。ネット空間の特性から考えて、そのようにすることが最も適切だとの判断からです。

ネット空間は、時間的・場所的な制約が少なくなるために、相手の都合に合わせることなくメッセージを送ることができる利点があります。通常の関係であれば、相手側もまた同様にして返信をして互いの意思を確かめることができます。

ですので同一時刻・同一場所にいなければ意見交換ができない集会形式の討論会にはない議論をが交わせる可能性があり、議論をより深める上で有効な媒体になりうるものです。たとえばその場・その瞬間での反応を求められる集会形式(それはそれで見聞きしている側には大変重要な情報となるのですが)と違って、相手の論点を自分なりに再整理したり、必要なバックデータや補強資料を揃えたりして議論に臨めること、などです。

一方でこの利点は、それを利用できる資源をどれだけ持っているかによって、参加者のあいだに大きな格差あるいは不公平が生じうる因子にもなりえます。

端的にいえば、ネット討論のために使える時間、という資源です。

極端な例をあげれば、ネット空間以外での選挙活動や政治活動を一切行わず、ただそれだけに没頭する候補者がいて、ひたすら書き込みを続け、他者からの1の反論や回答に100の再反論や再質問を投げかけ、それをもって自己の優位性や他者の不適格性を証明立てようとすることがあり得ます。

これは現在とりうる最もローコストの選挙参戦方法でしょうし、ネット選挙が広がれば必ずそうした人も増えてきましょう。

これは極端な例ですが、ネット討論には多かれ少なかれこのようなリスクが潜んでいます。

リアル空間での討論会でも、公平性・中立性を確保する最低限の条件は、参加者の発言時間を揃えることです。A氏に1時間の発言時間が与えられるが、B氏には10分しかないという討論会は考えることはできません。あるいはマイクを早く握った方、声の大きな方がどんどん話してよい、といった討論会であれば、誰も見向きしなくなるでしょう。

だからこそ共通のルールに則って、それを互いが誠実に履行するなかで展開されることが強く望まれます。

テーマ設定と時間ルール(ネット上でいえば字数や回数)は必須と思えますし、できうるならば信頼できる交通整理役が必要です。

~中略~

とはいえ、ネット討論のやり方について議論を交わすことは今後のためにも有意義と思います。前回も申し上げたように、私自身も100%の答えを持っているわけではありません。模索の途上にあるというのが正直なところです。

より良い提案があれば大いに協働していきたいと思います。

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この全文ならびにそれへの白井氏のコメントも白井氏ブログにありますので、ご覧いただければよいのですが、ここでの白井氏と私との立ち位置の違いがどこにあるかというと、次の点にあると私は考えています。

白井氏は、ブログをはじめネットというツールがあるのだから、お互い合意できる者同士で自由討論を始めたらいいではないか、それがひいては市民への情報提供につながり、選挙での選択にさいして有効な材料を提供することになるはず、との立場で、これについて一貫しており、その熱意も疑いがありません。

私はというと、それをやるならば信頼性のある「場」をつくるべきということに集約されます。

言い換えればネット上の討論であっても、「公共空間」のなかでやるべきとの立場です。

個人の意思で成り立っている私的な自由空間であっても、もちろんやりようによっては公衆の目にさらされ、なにがしかの公共的意味をもった情報を提供することはできます。

一方で公共空間は、個人の私的意思とは違う共通ルールと社会的規範(「公序良俗」というやつですね)が支配する場です。

この共通ルールと社会良識を守る限り、何びとに対しても開かれている場のことですが、同時にそこには、何びともルールを犯しうる存在であるとの冷厳な哲学が貫かれています。

私は上記の白井氏宛メールで、ネット討論のために使える時間、という資源のことを指摘し、極端な例としてネット空間以外での活動は行わない人の想定を挙げましたが、それは「ネットオタク」的な個人だけにいえることではありません。

たとえば資金力や組織力に勝った陣営であれば、そのための専属スタッフを張り付けておくことだってできます。

そして時間・空間無制限の議論の応酬になれば、そのような時間の使い方ができる側が一方的優位に立つことは容易に想像できます。

これはどういうことかというと、そのために使う時間に対して一定の共通ルールを定めておかなければ、一方が他方の時間を奪い取り、一方が他方の行動を妨害できることを意味するということです。

私的空間ではこれが容易に起こりえます。ある種の「ストーカー型」、「クレーマー型」の言論であっても存在の権利を主張できます。

公共空間というのは、「自分にされて嫌なことは相手に対してもしない」「相手の嫌なことはしない以上相手にも自分にそれをしないことを求めることができる」という不文律が働く場のことであり、それを明文化したルールが支配していて、それを侵した者には何らかのペナルティが与えられる場のことです。

白井氏は、いやしくも市長選挙に出ようという者同士の討論なのだから、良識に反するようなことは起きないだろうし、もしそんなことが起これば市民が判断するだろう、との考えです。

公共空間は、誰であろうとも人間ならば犯しうる過ちとそれへの対処法をあらかじめ組み込んだルールを定めておきます。

市長候補者であろうと、総理大臣であろうと、尊敬を集める有識者であろうと例外なくルールを適用する、それが公共空間の成り立ちです。

ネット空間では、キラリと光る議論も、目を覆いたくなるような誹謗中傷も無数に飛び交っています。

そうであればこそ、気の向くままの私的討論の場とは峻別された信頼性と規律性の高い場での討論が望まれる、それが私の見解です。

また準備協議の段階から公開するのが望ましいと考える理由でもあります。

白井倫啓氏のブログはこちらから ←クリックしてください。

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