松下啓一 自治・政策・まちづくり

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★政策担当になったころ(本郷台)

2017-09-19 | 2.講演会・研修会

 県下市町村職員による特別研修の6回目。ちょうど折り返し地点に入った。

 今回は、総勢8名で一つのテーマに取り組んでいるが、みな若いということもあって、本格的な政策作りは初めての経験なのだろう。みんなの議論を聞きながら、政策作りを学んだ頃のことを思い出した。

 横浜市役所に入って、最初の6年間は住民票を出す仕事をしていた。ここでは政策も法務もほとんど関係ない。今のような仕事をするなんてまるで考えなかった。その後、ひょんなことで係長になり、今度は総務部局の特命担当係長になった。行政調査等担当係長といって、「等」で仕事をする係長だった。仕事は、どこの所管にも属さない、しかも、どこから手を付けていいのかわからない課題を突きほぐす仕事である。ここで6年間、政策のイロハをみっちりと学んだ。

 時代は変わっている。それに追いつくには妨げとなる決め事や古いルールがある。それを一度チャラにして、新しいルールを作るのが仕事である。特命担当の後も、環境、都市計画と移り、結局、同じようなことを13年やった。学んだことは、どれにもそれぞれの事情があるということである。だから理屈や理論だけでは、先には進まない。私はスジとコンニャクといっているが、スジだけでは固すぎて、飲み込むことができないから、コンニャクも混ぜて煮込んで、初めて、飲み込むことができる。その煮込み方が政策作りの真髄である。

 こんな仕事をずっと続けていくと、「和して同ぜず」も大事な座右の銘になった。流されてしまっては、しがらみに縛られて、先に進めない。孤高でいては、誰も共感してくれない。共感がなければ、改革などできないはしない。

 担当を6年、係長・課長補佐を13年、課長を7年やったが、考えてみると、給料をもらいながら、誰にも体験できない政策論を学ぶことができたのは、ありがたいことである。その分、政策現場の体験が足を引っ張って、教科書のようなきれいな政策論は、私には到底できないが、これも仕方がないだろう。ともかく、そんな体験の一部でも、若い人たちに伝えるのが私の仕事だろう。

 

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