松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆地方自治論(第3回)・地方自治は協力、助け合いである(相模女子大学)

2016-04-26 | 1.研究活動

く 「地方自治は協力、助け合いである」は、大災害を取り上げた。大災害の例としたのは、首都直下型地震である。

 政府は、首都直下型地震をシュミレーションしている。まずは、関東大震災級のM8は、ここ100年は起きないので除外している(もし起こったら想定外!)。想定しているのは、、M7級レベルの地震で、これならば、今、起こってもおかしくないとの前提である。

 地震の発生時刻によって、被害は大きく違ってくる。首都圏には3000万人以上の人が住む。冬の夕方6時で風速15メートルという条件だと、全壊家屋が85万戸、死者は11000人である。死者については、阪神淡路が6000人なので、ずいぶんと少ないような気がする(もちろん少ない方がいいが)。

 建物の全壊は荒川沿いの下町が多く、建物の焼失は、環6、環7沿いの木造密集地区で起こる。家を失って、避難する人は700万人、夕方なので、帰宅困難者は650万人もでる。熊本地震の場合、避難者は10万人であるので、700万人という数のすごさがわかるだろう。

 こうした状況の中で、できるだけ多くの人の命を救い、あらかじめ被害を最小限に抑えることを考えるのが地方自治である。ここで明らかなのは、政府の民主的統制だけでは、不十分なことである。

 基本は、自治運営の基本は、自助、共助、公助である。大災害の場合も、これしかないであろう。自治体の仕事は、公助の効率的・効果的な実施と同時に、自助を後押しし、また共助を後押しすることが、重要になる。首都直下型の地震が起こったら、行政職員は、寝食を忘れ奮闘すると思うが、しかし、それだけでは足りないからである。

 阪神淡路大震災において、倒壊した建物からどのように救出されたのかに関する調査があるが、消防や自衛隊からの救出は22%にとどまり、大半が近隣住民等が救出している。日頃の連携や協力で、死者の数は、ぐっと減らせるだろう。

 大震災のような非常事態の場合、外国では、暴動が起きる。日本では、なぜ暴動が起きないのかを学生たちに聞いてみた。私の答えは、一つは、日本文化論的なアプローチで、和辻哲郎は、これを「風土」で説明する。和辻は、前回懲りたので、今回は、深入りは避けた。

 その代わり、今回は、天譴論に話が及んだ。災害が起こるのは、いわば天罰だという考え方で、実際、東日本大震災では、石原都知事が、これは天譴(てんけん)だといった。天譴論に深入りすると、また日本文化論になるが、おそるおそる学生の意見を聞いてみた。みんなの意見は、文学者ならば、それでもいいかもしれないが、政治家で行政運営のリーダーが、いう言葉ではないというもので、まっとうな回答でなによりだった。

 地方自治論からは、大災害が起こっても、3日間頑張っていれば、助けに来てくれるという安心感が、暴動などにならないという説明だろう。公助、共助の強さが、この安心の裏付けとなっている。この安心を育て、実践していくのが、地方自治経営である。

 あらためて首都直下型地震を考えていくと、東京一極集中の恐ろしさが、現実的なものとなる。700万人の避難者をだれが助けてくれるのかという問題である。大阪に助けてもらわないといけないが、その大阪の経済面での地盤沈下も目立つようになった。

 大阪都構想は、こうした問題意識も背景にあるが、強い大阪をつくるのが大阪都であるというのは、あまりに頓珍漢だと思う。大阪の話まで、話題を広げようと考えたが、やめることにした。大阪の話をすると、大阪国際大学をやめて無職だっとき、読売テレビの番組作りを手伝い、私が垣間見たタレントの話になって、まったく収拾がつかなくなると思ったからである。

 

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