うまく時間が取れたので、住民によるまちづくりの原点のひとつである福岡県柳川市と現在奮闘中の飯塚市嘉穂劇場を訪ねた。
柳川の掘割観光は、ずいぶんと隆盛である。舟会社だけでも5社あるそうで、それだけ観光客も多いということである。柳川でも外国人観光客の姿は多く、一緒に乗った船の半分以上は中国人だった。外国人にとっても、魅力的な風景なのだろう。
柳川といえば、広松伝さんである。亡くなってもう何年になるだろうか。大勢に抗して、掘割を残すべきと考え、市長をはじめ、関係者を粘り強く説得し、自らも川さらいなどを実践しながら範を示すなかで、柳川の街並みを保存した。
これは近江八幡でも、村上でも、同じパターンで、まちづくりは、理念や夢と同時に、説得、妥協、そして実践である。ある種、成功パターンがあるが、それらを分析・整理すると、他のまちでも参考にできるだろう。
飯塚市にある嘉穂劇場は、筑豊のあった芝居小屋のひとつである。外観は、秋田の小坂鉱山にある康楽館のような華やかさはないが、1500人収容の内装は、それだけで壮観である(木造建築である)。筑豊には、こうした芝居小屋が何軒もあったというが、当時の炭鉱は、それだけ、人も金も豊かだったのだろう。ここにも回り舞台があり、いつものお約束で、下にもぐって、芝居小屋の奈落を楽しんだ。
ついでに、NHKの朝ドラ「アンと花子」で有名になった伊藤伝右衛門の屋敷を訪ねてみた。これも飯塚市である。なかなか品のいいつくりで、伊藤伝右衛門その人のセンスがわかるような気がする(同じ御殿でも、小樽のニシン御殿である青山別邸は、春慶塗の廊下である。これにはさすがに閉口する)。改めて、炭鉱は大きな富を生んだということがよくわかる。立派な資源なので、今後の展開を期待したい。
宿は、船小屋温泉(筑後市)の樋口軒に泊まった。樋口軒は結婚式もできる大きな旅館の割には、部屋数が少なく、その分、落ち着いた料理旅館だった。天皇行幸の際の宿泊ホテルだったということで、たしかに、そんな矜持が感じられる宿だった。