松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆「熟議の選挙」という提案(三浦半島)

2012-12-30 | 1.研究活動
 新城市穂積市長さんが、熟議の民主主義に関連して、「熟議の選挙」という提案をしている。問題意識そのものも興味深いが、現職市長として、いくつかの選挙に関わってきた実感というのもまた面白い。

 さらに私自身の「危機感」は、民主政治の最大イベントたる選挙のあり方に対しても向けられている。
 私はこの地で自身の選挙を4回経験し、国政・地方多種多数の選挙にも何らかのかかわりを持ってきたが、自戒をこめて「こんな選挙をやっていてはダメだな」とつくづく思っている。
 今日のテーマに即していえば、そこには「熟議」のプロセスが欠落しており、それぞれが自陣営の囲い込みと自己過熱を競い合って、そこに注ぎ込まれたエネルギーの総量に応じて勝敗を決する構造になっている。
 投票率が50%とすれば、他の50%はその熱の圏外にいて冷やかにこれを見ている。
 最近は公示・告示前の「候補者討論会」が当たり前のものになってきて、選択における貴重な判断材料を提供するようになってきたとはいえ、いざ本選が始まってしまえば、陣営内部の運動に没頭する以外になくなってしまうのが実情だ。
 (山の舟歌・新城市長ブログ 2012年12月27日「熟議の民主主義」)

 フランス革命後、国民国家ができて以来、その後を追って、各国が国民国家をつくっていく。国民国家は、自陣営への囲い込みと自己過熱を根幹とする仕組みであるが、それゆえ、国民国家は戦争に強い。その結果、戦争の質が変わり、私たちは2つの世界大戦を経験することになる。
 自信と過信、その裏側にある不満や不信を、この囲い込みと自己過熱で乗り切ろうという動きが、私たちの周りの国々で顕著になってきた。これに対して、わが日本も同じ方法に進む機運がある。
 そういう環境だからこそ、自ら考え、他者を尊重し、まちのことをわがことのように思うという民主主義の大事さが、あらためて注目される。地方自治は民主主義の学校とはよく言ったものである。この学校で、市民一人ひとりが、きちんと学ぶ機会をつくっていくのが、選挙によってえらばれた選良の役割である。ところが、そのように選ばれる仕組みになっていないというのが、穂積さんの危機感なのだろう。
 
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