大晦日から正月にかけて、夫婦で熱を出したので本を読んで過ごした(紅白歌合戦はみれなかった)。
ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』(みすず書房)。新版のほうで読んだ。いわば大人の必読書のひとつで、内容は説明するまでもないであろう。ただ、私は、いつも途中で挫折する。たとえば、
収容所暮らしが何年も続き、あちこちたらい回しにされたあげく1ダースもの収容所で過ごしてきた被収容者はおおむね、生存競争のなかで良心を失い、暴力も仲間から物を盗むことも平気になってしまっていた。そういう者だけが命をつなぐことができたのだ。何千もの幸運な偶然によって、あるいはお望みなら神の奇跡によってと言ってもいいが、とにかく生きて帰ったわたしたちは、みなそのことを知っている。わたしたちはためらわずに言うことができる。いい人は帰ってこなかった、と。
こんな記述で、考え、止まってしまうのだった。内容的にはぐんぐん引き付けられるので、斜めに読めば、簡単に読めるが、しかし、とてもその気にはならない。
最初に読んだのは、学生時代だろうか(旧版)。最近になって、読もうと思うようになったのは、私に何かの変化が起きたのだろう。まったくの偶然であるが、3.11の大地震が起こったとき、アウシュビッツのビデオを二人で見ていたときだった。『夜と霧』はなかなかロマンチックな題であるが、「夜陰に乗じて拉致し、抹殺する」というナチスの隠語である。
笹本正治『 武田信玄―伝説的英雄像からの脱却』 (中公新書)、藤木久志『雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り 』(朝日選書(777))。土地が貧しいために、食料を奪いにいくのが日本の戦争。武田信玄は侵略を繰り返し、上杉謙信は、雪に閉ざされた冬に関東へ出稼ぎ的な侵略を行う。貧しい分だけ戦争に強いということである。その社会の構造を刀狩-兵農分離で変えたのが豊臣秀吉である。武士とは違って、相手を殺してもたいした報償もない民衆は、そんな命のやり取りよりは、その戦争を稼ぎ場と考え、侵略地で、作物を奪い、売り飛ばすために女、子供を奪う。だから、侵略されたほうも民衆は、それを避けるために城に逃げ込み、侍と一緒に戦う。条件が合えば、相手側に寝返る。数年前まで、国を守るために、領主と一体となって領民も籠城して戦うと考えていたが、民衆は実にしたたかである。小田原北条氏は、善政で知られるが、善政をしないと、農民はさっさとほかの土地へ逃げてしまう。途端に生産力が落ちる。そこで、強さを維持するために、農民の利益になる諸活動(それが戦争や農政の振興)を行う戦国武将という姿が見えてくる。社会というものは単純な善悪論ではいかないことを改めて実感する。
高木俊輔『明治維新と豪農』(吉川引文館)。最近読んでいるのが、名望家といわれる人たちあるいは江戸時代の豊さについてである。明治維新を生み、育てたのも、こうした名望家の力だった。村のリーダーたちは、村の利益を大事に考え、そうしなければ、リーダーとして認められなかった。代官も、村でトラブルが起こると、すぐに配置転換、あるいは首になる。いつから悪代官と悪名主という役柄になったのだろう。ここでも、誰かを悪者にすれば、問題が解決したかのような単純な善悪論が跋扈する。名望家にも功以外の罪もあるだろうが、単純な功ばかりなど、あるはずがない。
単純に黒白を分け、悪玉をしたてて、それを非難するというやり方を止めないと、明治維新のような新しい動きは出てこない。民主主義は、さまざまな価値を認め、その良いところを取り入れ伸ばす仕組みである。だから、新しい動きや人が生まれてくる。私たちの国は、こうした基本から立て直さないと、次の展望がないと思う。だから、民主主義の学校である地方自治で、その基本である自治基本条例からやろうと考えている。
かつて、自民党はそうしたおおらかな揺りかご的な政党だった。さまざまなものを抱え込んで、いわば常識的な回答を出す政党だった。ところが野党を経験して、すっかり線の細い政党になってしまった。違いを排除して行ったら、最後は一人ひとりになってしまう。基本的なところ、おおどころで一致できれば、多少の違いはいいではないか。
明日から、短い旅に出ることになった。
ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』(みすず書房)。新版のほうで読んだ。いわば大人の必読書のひとつで、内容は説明するまでもないであろう。ただ、私は、いつも途中で挫折する。たとえば、
収容所暮らしが何年も続き、あちこちたらい回しにされたあげく1ダースもの収容所で過ごしてきた被収容者はおおむね、生存競争のなかで良心を失い、暴力も仲間から物を盗むことも平気になってしまっていた。そういう者だけが命をつなぐことができたのだ。何千もの幸運な偶然によって、あるいはお望みなら神の奇跡によってと言ってもいいが、とにかく生きて帰ったわたしたちは、みなそのことを知っている。わたしたちはためらわずに言うことができる。いい人は帰ってこなかった、と。
こんな記述で、考え、止まってしまうのだった。内容的にはぐんぐん引き付けられるので、斜めに読めば、簡単に読めるが、しかし、とてもその気にはならない。
最初に読んだのは、学生時代だろうか(旧版)。最近になって、読もうと思うようになったのは、私に何かの変化が起きたのだろう。まったくの偶然であるが、3.11の大地震が起こったとき、アウシュビッツのビデオを二人で見ていたときだった。『夜と霧』はなかなかロマンチックな題であるが、「夜陰に乗じて拉致し、抹殺する」というナチスの隠語である。
笹本正治『 武田信玄―伝説的英雄像からの脱却』 (中公新書)、藤木久志『雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り 』(朝日選書(777))。土地が貧しいために、食料を奪いにいくのが日本の戦争。武田信玄は侵略を繰り返し、上杉謙信は、雪に閉ざされた冬に関東へ出稼ぎ的な侵略を行う。貧しい分だけ戦争に強いということである。その社会の構造を刀狩-兵農分離で変えたのが豊臣秀吉である。武士とは違って、相手を殺してもたいした報償もない民衆は、そんな命のやり取りよりは、その戦争を稼ぎ場と考え、侵略地で、作物を奪い、売り飛ばすために女、子供を奪う。だから、侵略されたほうも民衆は、それを避けるために城に逃げ込み、侍と一緒に戦う。条件が合えば、相手側に寝返る。数年前まで、国を守るために、領主と一体となって領民も籠城して戦うと考えていたが、民衆は実にしたたかである。小田原北条氏は、善政で知られるが、善政をしないと、農民はさっさとほかの土地へ逃げてしまう。途端に生産力が落ちる。そこで、強さを維持するために、農民の利益になる諸活動(それが戦争や農政の振興)を行う戦国武将という姿が見えてくる。社会というものは単純な善悪論ではいかないことを改めて実感する。
高木俊輔『明治維新と豪農』(吉川引文館)。最近読んでいるのが、名望家といわれる人たちあるいは江戸時代の豊さについてである。明治維新を生み、育てたのも、こうした名望家の力だった。村のリーダーたちは、村の利益を大事に考え、そうしなければ、リーダーとして認められなかった。代官も、村でトラブルが起こると、すぐに配置転換、あるいは首になる。いつから悪代官と悪名主という役柄になったのだろう。ここでも、誰かを悪者にすれば、問題が解決したかのような単純な善悪論が跋扈する。名望家にも功以外の罪もあるだろうが、単純な功ばかりなど、あるはずがない。
単純に黒白を分け、悪玉をしたてて、それを非難するというやり方を止めないと、明治維新のような新しい動きは出てこない。民主主義は、さまざまな価値を認め、その良いところを取り入れ伸ばす仕組みである。だから、新しい動きや人が生まれてくる。私たちの国は、こうした基本から立て直さないと、次の展望がないと思う。だから、民主主義の学校である地方自治で、その基本である自治基本条例からやろうと考えている。
かつて、自民党はそうしたおおらかな揺りかご的な政党だった。さまざまなものを抱え込んで、いわば常識的な回答を出す政党だった。ところが野党を経験して、すっかり線の細い政党になってしまった。違いを排除して行ったら、最後は一人ひとりになってしまう。基本的なところ、おおどころで一致できれば、多少の違いはいいではないか。
明日から、短い旅に出ることになった。