(2010.8.1)
『政策条例のつくりかた』(第一法規)が単行本になった。
「はじめに」でも書いたが、この本は、私の横浜市における体験をベースに書いている。最初に、課長、係長、職員の3人が出てくるという書き出しであるが、小川ユコリンから、「松下先生は、この3人全部ですね」と聞かれたが、どうなのだろうか。
いくつかのエピソードをちりばめたが、26年間で体験・蓄積した政策条例づくりのノウハウは、こんなものではない。
たとえば、本のなかにも書いたが、条例づくりで、キーとなるのは、首長であるが、その首長がぶれないようにするコツは、方針決裁のコピーを常にポケットに入れておき、首長がぶれそうになったら、それを見せるというものである。
これが補助機関たるものの心構えと考えているが、こうした、ややどぎついコツなどは、何とか覚えているが、多くの小技は忘れてしまった(市長室から出るとき、開口一発なんていうか?。これは本に書いた)。ほぼ忘れかけてしまっているなか、この時期、ぎりぎりの時期で、本にまとめたということだろう。いい本が出せたと思う。
(打ち合わせ 2010.5.27)
本にするにあたって、ユコリンと打ち合わせをした。タイトルは、『政策条例のつくりかた』が有力。地味ではあるが、内容的には一番フィットするだろう。全15項目をいくつかの章で区切ることにした。発行は、7月中になりそうだ。校正が、2回あることになっているが、周知のとおり大の苦手。ここはユコリン頼りである。
今日、「はじめに」を書いた。普通、どの本でも、私は最初に「はじめに」を書く(当たり前か)。そして、これは意外と力が入る。なぜならば、「はじめに」が書けると、本の半分は書けたようなものだからである(条例で、目的が書けると、半分終わったようなものと同じ)。だから時間もかかるし、苦闘し難航する。ところが、今回は、すでに本文があるので、あっという間に書くことができた。1560字。ユコリンの注文どおりになった。
わたし的には、これで、この本は終わったようなものである。装丁も体裁もあるが、これもユコリン任せである。
最新情報であるが、ユコリンは第一法規の華道部に入っているらしい。昨日、バラを活けたといっていた。これまでブログに書いた情報によれば、ユコリンは、オーケストラでバイオリンを弾いていたらしい。バイオリンにお華。いったい・・・・。
(2010.5.9)
旅行明けであるが、がんばって原稿を修正した。きりがないので、一度、送ることにした。
ユコリンの最新情報は、残念ながら、ありません。
(単行本化 2010年5月)
雑誌の書いた原稿を元に、これを単行本化することになった。4月末から、その校正を始めたが、あらためて読んでみると、「よく書いたなあ」のひと言。もう一度書けといっても、とても書ける内容ではない。二ヶ月に一度の締め切りに追われ苦労したが、それなりの意味があったということである。
担当はもちろんユコリン。私は校正を大の苦手とするため、大いに助かることになる。ユコリンのファンも多いと聞く。最新情報が入ったら、こっそりとお知らせしたいと思う。
(ユコリンの異動 2009年5月)
私の最終回と同じくして、自治体法務NAVIを育て上げてきたユコリンも異動になった。この本は、政策現場にこだわる私にとっては、使い勝手のよい雑誌で、私が問題意識を持ったことは、たいていはすでに取り上げられていて、いつも恐れ入ってしまったが、これはユコリンのセンスによるところだろう。
それにつられて、「政策条例ができるまで」も16回も書いた。現場を知らない研究者が書けば、数行で終わってしまうことを、1万字にするということで、大変ではあったが、忘れかけていた政策現場の出来事を毎回、思い出しながら書くことができた。私自身も楽しかったが、これから政策現場に入っていく若手職員の参考になったと思う。
私のブログにユコリンが登場するのはいつごろからだろうか。ユコリンメールにまつわって、いくつか書いた。ユコリンの京都好きは書いたろうか。京都在住4年の私と、「京都」は話があう部分で、ユコリンメールでもやり取りがあった。いずれにしても、次に一緒に仕事をするときには、ユコリンの近況を報告したいと思う。
(16回)
今回で最終回である。条例案の議会審査を書いた。当然のことながら、地方自治法が定める手続の説明は、極力少なくして、議員の影響力や根回し等を書いた。忘れかけていたことを思い出しながら、書いてみた。
今回で、この連載は終了である。2ヶ月に1回で16回であるから、32ヶ月、3年近くになる。その間、肩書きが3回変わった(大阪国際大学-無職-相模女子大学)。最初のころは、京都からの新幹線の中でよく書いた。最後くらいユコリンメールに頼らずにいこうと決心して、締め切り前に提出することができた。
最近、講演等に行くと、「ユコリンは元気ですか」と聞かれるようになった。校正を大の苦手とする私とすると、小川優子さんには、ずいぶんと助けてもらった。
さて、前記の問いに対する答えであるが、「かわいいですよ」である。
(15回目)
15回目でようやく条文の作成になった。条文づくりが条例づくりと考えている人にとっては、遅すぎるいうのが印象だろう。条例づくりは条文づくりではないというのが私の実体験である。今回は政策マンから見た実践的なコツと法制執務の胎動を紹介した。
今回も、ユコリンメールをもらってしまった。「既に仕上がっている頃かとは思いますが」という、ユコリンらしい控え目メールである。締め切りは一週間後だとばかり思っていた私は動転して原稿を書き始めた。今回で15回目になるが、結局、私は締め切りの法則を理解できていないのである(ただメールをもらって、これまで書けなかった原稿があっという間に書けたのは不思議である)。あと1回、最後くらいは、きちんと出そう。
ちなみにユコリンは、今年のお正月は、三島大社に初詣に行ったそうである。何を隠そう私も、今年は三島大社であった。
(14回目)
今回は調整のうち、事業者調整を書いた。条例づくりは条文づくりではなく、動く仕組みをつくるものである。そこで調整が重要になるが、調整のうちでも事業者調整が最も難易度が高い。しかし、分権時代であるから、そこにも取り組むのが今日の自治体の仕事である。今回は、京都市の取り組みを紹介して、そこから気がつく点等を示した。
今回もユコリンから、ソフトな督促メールをもらってしまった(紅葉のきれいな季節ですね・・・といった感じです)。ところが、最近の私は、これがこないと出す決心がつかなくなってしまった。
この連載もあと2,3回の予定であるので、そろそろ、ユコリンメールがなくても出稿できるように、リハビリに入らなければいけないだろうか。
(13回目)
今回は調整を書いた。調整は、条例の命である理念と仕組みを架橋する重要な作業である。もちろん、どのテキストにも書かれていないことであるが、調査と並んで条例づくりのハイライトである。
今回は、内部調整を書こうとと決めたが、1万字を埋めきれないと、早々と外部行政機関との調整にも手を伸ばしてしまった。調整のうちでも、外部調整(とくに事業者調整)に比べて、行政内部調整は難易度は低いが、それでも手間はかかるし、私自身、失敗もしている。こうしたエピソードを普遍化するのが難しいと考えたためであるが、ある程度書いてしまった後に、いくつかを面白い体験を思い出すことになってしまった。それを書けば、1万字はいけたが、後に戻れず、結局、カットすることになってしまった。残念。
今回は、札幌の講演の原稿(法規係のあり方。こちらも1万字)も一緒なので、ユコリン・メールを思い出し、あわてたのかもしれない。札幌のテープ起し原稿(たたき台)を見ると、ユコリンの生真面目な性格がよくわかる。
(12回目)
今回は、条例の実効性確保を書いた。私の立場は、資源・権限とも不足がちな自治体は、使えるものならば親でも使うという立場である。強制力を持たないものでも、何らかの影響力があれば、条例の実効性確保手段になるというもので、伝統的な行政法理論とは、だいぶ離れているものになっている。
このテーマは、ブックレットがかけるくらいのストックがあるつもりであったが意外と難航してしまった(実際、政策形成技術論というテーマで、7,8年前に200ページくらいは書いたが、親の介護で中断し、その後、自治基本条例等へ関心が移って、そのままにしてしまった。余裕が出たら本にしよう)。油断が禁物である。
家人からは、「ユコリンから督促のメールがくるよ」とからかわれつつ、海の日ではあるが、花火にも行かず、ジムにも行かず、ドッグカフェにも行かないで、朝から晩まで、そして朝も原稿を書くことになってしまった。お楽しみに。なお、余談であるが、9月にゼミの研修旅行で行く伊豆の国市は、ユコリンゆかりの土地らしい。
(11回目)
なんとか、11回目を送った。今回は、条例づくりの市民参加の番外編で「市外の人々」の参加を書いた。定住人口の減少で、自治体は市外の人々の知恵をどれだけ取り入れることができるかで、自治体の生き残りが決まるからである。その手法として、今回は市民電子会議室にふれた。
藤沢市の市民電子会議室は、稀有な成功例で、私自身も、『インターネットで政策づくり』でもふれたし、一度、本格的な本を書こうと思って、だいぶ調べたことがある(10万字くらいは書いたろうか。ただ藤沢市の市民電子会議室の人たちが本を書いたので、止めることにした)。10年くらい、関心を持ってフォローしている。ただ、自治体法務NAVIは、法務の本なので、ほんの一部、ふれるにとどまったが、参加民主主義の弱点をどう乗り越えるかが、私の関心事なので、いずれは、この観点から書き直してみようと思う。
今回はユコリンから、ソフトな督促のメールをもらってしまった。ちょうど藤沢市に確認の紹介中だったので、それを受けてからと考えていたが、私はあせり、あわてて、送付したのが真相である。
(10回目)
9回目が発刊される前であるが、原稿を書いた。3月の前半は、連れ合いとの約束の旅にでるためである。今回のテーマは、条例の調査・検討(2)における市民参加。策定過程における市民参加を本格的に書くと1冊の本になってしまうので、これまで書いたことのないワークショップなどを書いた。また、市民参加と仕事のコツといったようなおまけも書いた。
担当の小川さんは、我が家ではユコリンといわれている。
(9回目)
9回目を脱稿。今回は他都市調査を書いた。横浜市にいた26年間にいろいろなところへいったが、ポイ捨て条例の京都は思い出深いところで、元局長の清水さんや常寂光寺の長尾さんにはお世話になった。今回は、原稿締め切りのタイミングを見誤り、新幹線が書斎となった。小川さんにはご心配をかけてしまった。月末までの原稿はあと1本。
(8回目を脱稿)
8回目でまだ調査を書いている(普通なら条例の詳細設計だろう)。あと5,6回で終了したいと思っているが、9回目も調査の予定である(これで4回)。ただ、これが私の政策条例づくりの実体験であるし、政策法務の真髄だと思っている。
今回、ますます松下ワールドになり、論文とエッセイの間を微妙に行き来する原稿となってしまった。社内で小川さんに迷惑をかけなければよいが・・・。お楽しみに。
(前回まで)
研修先で『政策条例ができるまで』を読んでますよと言われることがある。第一法規の自治体法務NAVIに掲載している連載で、条例ができるまでの実際を、政策現場の実態を忠実に再現するという観点から書いている。今度で6回目になる。
当初は、1回1000字くらいのものを書くつもりであったが、初回に1万字の原稿を書いてしまい、それ以来、1万字の連載になってしまった。ただ、横浜市で体験し、実践してきたことを書いているので、さしたる苦労もなく、楽しく書いている。
私は、校正を大の苦手としているが、この原稿では第一法規の小川優子さんが、きめ細かな校正をしてくれていて、表現等は小川ワールドなっているようだ(むろん、私には異論がない)。
この連載を貫く骨格は、「条例づくりは条文づくりではない」というものである。これは政策現場で条例をつくった経験のある人ならば、よく分かってもらえるだろう。ただ政策法務を学ぶ職員は、比較的若手で、条例づくりの体験が乏しいことから、この基本に遡って、あえて書いている。したがって、6回目でまだ「調査」を書いているのである(一般にはもう条文構成だろう)。
これが完成したら・・・。ちょっと楽しみである。
(9月3日追記)
昨日、7回目を脱稿した。現地調査の実態を書いた。調査のために人の後をつける話などを書いたが、筆力の限界がある。この話は研修の際の「再現ビデオ」のほうが本当は面白い。
『政策条例のつくりかた』(第一法規)が単行本になった。
「はじめに」でも書いたが、この本は、私の横浜市における体験をベースに書いている。最初に、課長、係長、職員の3人が出てくるという書き出しであるが、小川ユコリンから、「松下先生は、この3人全部ですね」と聞かれたが、どうなのだろうか。
いくつかのエピソードをちりばめたが、26年間で体験・蓄積した政策条例づくりのノウハウは、こんなものではない。
たとえば、本のなかにも書いたが、条例づくりで、キーとなるのは、首長であるが、その首長がぶれないようにするコツは、方針決裁のコピーを常にポケットに入れておき、首長がぶれそうになったら、それを見せるというものである。
これが補助機関たるものの心構えと考えているが、こうした、ややどぎついコツなどは、何とか覚えているが、多くの小技は忘れてしまった(市長室から出るとき、開口一発なんていうか?。これは本に書いた)。ほぼ忘れかけてしまっているなか、この時期、ぎりぎりの時期で、本にまとめたということだろう。いい本が出せたと思う。
(打ち合わせ 2010.5.27)
本にするにあたって、ユコリンと打ち合わせをした。タイトルは、『政策条例のつくりかた』が有力。地味ではあるが、内容的には一番フィットするだろう。全15項目をいくつかの章で区切ることにした。発行は、7月中になりそうだ。校正が、2回あることになっているが、周知のとおり大の苦手。ここはユコリン頼りである。
今日、「はじめに」を書いた。普通、どの本でも、私は最初に「はじめに」を書く(当たり前か)。そして、これは意外と力が入る。なぜならば、「はじめに」が書けると、本の半分は書けたようなものだからである(条例で、目的が書けると、半分終わったようなものと同じ)。だから時間もかかるし、苦闘し難航する。ところが、今回は、すでに本文があるので、あっという間に書くことができた。1560字。ユコリンの注文どおりになった。
わたし的には、これで、この本は終わったようなものである。装丁も体裁もあるが、これもユコリン任せである。
最新情報であるが、ユコリンは第一法規の華道部に入っているらしい。昨日、バラを活けたといっていた。これまでブログに書いた情報によれば、ユコリンは、オーケストラでバイオリンを弾いていたらしい。バイオリンにお華。いったい・・・・。
(2010.5.9)
旅行明けであるが、がんばって原稿を修正した。きりがないので、一度、送ることにした。
ユコリンの最新情報は、残念ながら、ありません。
(単行本化 2010年5月)
雑誌の書いた原稿を元に、これを単行本化することになった。4月末から、その校正を始めたが、あらためて読んでみると、「よく書いたなあ」のひと言。もう一度書けといっても、とても書ける内容ではない。二ヶ月に一度の締め切りに追われ苦労したが、それなりの意味があったということである。
担当はもちろんユコリン。私は校正を大の苦手とするため、大いに助かることになる。ユコリンのファンも多いと聞く。最新情報が入ったら、こっそりとお知らせしたいと思う。
(ユコリンの異動 2009年5月)
私の最終回と同じくして、自治体法務NAVIを育て上げてきたユコリンも異動になった。この本は、政策現場にこだわる私にとっては、使い勝手のよい雑誌で、私が問題意識を持ったことは、たいていはすでに取り上げられていて、いつも恐れ入ってしまったが、これはユコリンのセンスによるところだろう。
それにつられて、「政策条例ができるまで」も16回も書いた。現場を知らない研究者が書けば、数行で終わってしまうことを、1万字にするということで、大変ではあったが、忘れかけていた政策現場の出来事を毎回、思い出しながら書くことができた。私自身も楽しかったが、これから政策現場に入っていく若手職員の参考になったと思う。
私のブログにユコリンが登場するのはいつごろからだろうか。ユコリンメールにまつわって、いくつか書いた。ユコリンの京都好きは書いたろうか。京都在住4年の私と、「京都」は話があう部分で、ユコリンメールでもやり取りがあった。いずれにしても、次に一緒に仕事をするときには、ユコリンの近況を報告したいと思う。
(16回)
今回で最終回である。条例案の議会審査を書いた。当然のことながら、地方自治法が定める手続の説明は、極力少なくして、議員の影響力や根回し等を書いた。忘れかけていたことを思い出しながら、書いてみた。
今回で、この連載は終了である。2ヶ月に1回で16回であるから、32ヶ月、3年近くになる。その間、肩書きが3回変わった(大阪国際大学-無職-相模女子大学)。最初のころは、京都からの新幹線の中でよく書いた。最後くらいユコリンメールに頼らずにいこうと決心して、締め切り前に提出することができた。
最近、講演等に行くと、「ユコリンは元気ですか」と聞かれるようになった。校正を大の苦手とする私とすると、小川優子さんには、ずいぶんと助けてもらった。
さて、前記の問いに対する答えであるが、「かわいいですよ」である。
(15回目)
15回目でようやく条文の作成になった。条文づくりが条例づくりと考えている人にとっては、遅すぎるいうのが印象だろう。条例づくりは条文づくりではないというのが私の実体験である。今回は政策マンから見た実践的なコツと法制執務の胎動を紹介した。
今回も、ユコリンメールをもらってしまった。「既に仕上がっている頃かとは思いますが」という、ユコリンらしい控え目メールである。締め切りは一週間後だとばかり思っていた私は動転して原稿を書き始めた。今回で15回目になるが、結局、私は締め切りの法則を理解できていないのである(ただメールをもらって、これまで書けなかった原稿があっという間に書けたのは不思議である)。あと1回、最後くらいは、きちんと出そう。
ちなみにユコリンは、今年のお正月は、三島大社に初詣に行ったそうである。何を隠そう私も、今年は三島大社であった。
(14回目)
今回は調整のうち、事業者調整を書いた。条例づくりは条文づくりではなく、動く仕組みをつくるものである。そこで調整が重要になるが、調整のうちでも事業者調整が最も難易度が高い。しかし、分権時代であるから、そこにも取り組むのが今日の自治体の仕事である。今回は、京都市の取り組みを紹介して、そこから気がつく点等を示した。
今回もユコリンから、ソフトな督促メールをもらってしまった(紅葉のきれいな季節ですね・・・といった感じです)。ところが、最近の私は、これがこないと出す決心がつかなくなってしまった。
この連載もあと2,3回の予定であるので、そろそろ、ユコリンメールがなくても出稿できるように、リハビリに入らなければいけないだろうか。
(13回目)
今回は調整を書いた。調整は、条例の命である理念と仕組みを架橋する重要な作業である。もちろん、どのテキストにも書かれていないことであるが、調査と並んで条例づくりのハイライトである。
今回は、内部調整を書こうとと決めたが、1万字を埋めきれないと、早々と外部行政機関との調整にも手を伸ばしてしまった。調整のうちでも、外部調整(とくに事業者調整)に比べて、行政内部調整は難易度は低いが、それでも手間はかかるし、私自身、失敗もしている。こうしたエピソードを普遍化するのが難しいと考えたためであるが、ある程度書いてしまった後に、いくつかを面白い体験を思い出すことになってしまった。それを書けば、1万字はいけたが、後に戻れず、結局、カットすることになってしまった。残念。
今回は、札幌の講演の原稿(法規係のあり方。こちらも1万字)も一緒なので、ユコリン・メールを思い出し、あわてたのかもしれない。札幌のテープ起し原稿(たたき台)を見ると、ユコリンの生真面目な性格がよくわかる。
(12回目)
今回は、条例の実効性確保を書いた。私の立場は、資源・権限とも不足がちな自治体は、使えるものならば親でも使うという立場である。強制力を持たないものでも、何らかの影響力があれば、条例の実効性確保手段になるというもので、伝統的な行政法理論とは、だいぶ離れているものになっている。
このテーマは、ブックレットがかけるくらいのストックがあるつもりであったが意外と難航してしまった(実際、政策形成技術論というテーマで、7,8年前に200ページくらいは書いたが、親の介護で中断し、その後、自治基本条例等へ関心が移って、そのままにしてしまった。余裕が出たら本にしよう)。油断が禁物である。
家人からは、「ユコリンから督促のメールがくるよ」とからかわれつつ、海の日ではあるが、花火にも行かず、ジムにも行かず、ドッグカフェにも行かないで、朝から晩まで、そして朝も原稿を書くことになってしまった。お楽しみに。なお、余談であるが、9月にゼミの研修旅行で行く伊豆の国市は、ユコリンゆかりの土地らしい。
(11回目)
なんとか、11回目を送った。今回は、条例づくりの市民参加の番外編で「市外の人々」の参加を書いた。定住人口の減少で、自治体は市外の人々の知恵をどれだけ取り入れることができるかで、自治体の生き残りが決まるからである。その手法として、今回は市民電子会議室にふれた。
藤沢市の市民電子会議室は、稀有な成功例で、私自身も、『インターネットで政策づくり』でもふれたし、一度、本格的な本を書こうと思って、だいぶ調べたことがある(10万字くらいは書いたろうか。ただ藤沢市の市民電子会議室の人たちが本を書いたので、止めることにした)。10年くらい、関心を持ってフォローしている。ただ、自治体法務NAVIは、法務の本なので、ほんの一部、ふれるにとどまったが、参加民主主義の弱点をどう乗り越えるかが、私の関心事なので、いずれは、この観点から書き直してみようと思う。
今回はユコリンから、ソフトな督促のメールをもらってしまった。ちょうど藤沢市に確認の紹介中だったので、それを受けてからと考えていたが、私はあせり、あわてて、送付したのが真相である。
(10回目)
9回目が発刊される前であるが、原稿を書いた。3月の前半は、連れ合いとの約束の旅にでるためである。今回のテーマは、条例の調査・検討(2)における市民参加。策定過程における市民参加を本格的に書くと1冊の本になってしまうので、これまで書いたことのないワークショップなどを書いた。また、市民参加と仕事のコツといったようなおまけも書いた。
担当の小川さんは、我が家ではユコリンといわれている。
(9回目)
9回目を脱稿。今回は他都市調査を書いた。横浜市にいた26年間にいろいろなところへいったが、ポイ捨て条例の京都は思い出深いところで、元局長の清水さんや常寂光寺の長尾さんにはお世話になった。今回は、原稿締め切りのタイミングを見誤り、新幹線が書斎となった。小川さんにはご心配をかけてしまった。月末までの原稿はあと1本。
(8回目を脱稿)
8回目でまだ調査を書いている(普通なら条例の詳細設計だろう)。あと5,6回で終了したいと思っているが、9回目も調査の予定である(これで4回)。ただ、これが私の政策条例づくりの実体験であるし、政策法務の真髄だと思っている。
今回、ますます松下ワールドになり、論文とエッセイの間を微妙に行き来する原稿となってしまった。社内で小川さんに迷惑をかけなければよいが・・・。お楽しみに。
(前回まで)
研修先で『政策条例ができるまで』を読んでますよと言われることがある。第一法規の自治体法務NAVIに掲載している連載で、条例ができるまでの実際を、政策現場の実態を忠実に再現するという観点から書いている。今度で6回目になる。
当初は、1回1000字くらいのものを書くつもりであったが、初回に1万字の原稿を書いてしまい、それ以来、1万字の連載になってしまった。ただ、横浜市で体験し、実践してきたことを書いているので、さしたる苦労もなく、楽しく書いている。
私は、校正を大の苦手としているが、この原稿では第一法規の小川優子さんが、きめ細かな校正をしてくれていて、表現等は小川ワールドなっているようだ(むろん、私には異論がない)。
この連載を貫く骨格は、「条例づくりは条文づくりではない」というものである。これは政策現場で条例をつくった経験のある人ならば、よく分かってもらえるだろう。ただ政策法務を学ぶ職員は、比較的若手で、条例づくりの体験が乏しいことから、この基本に遡って、あえて書いている。したがって、6回目でまだ「調査」を書いているのである(一般にはもう条文構成だろう)。
これが完成したら・・・。ちょっと楽しみである。
(9月3日追記)
昨日、7回目を脱稿した。現地調査の実態を書いた。調査のために人の後をつける話などを書いたが、筆力の限界がある。この話は研修の際の「再現ビデオ」のほうが本当は面白い。
この回を参考にしたら研修発表に活かせるんじゃないかしら?次回も楽しみにしてまーす。
というわけで、13日のゼミコンで議論を深めようとしよう!
10年後は、今の学生たちはゼミコンをするのだろうか。
そういえば、合ハイという言葉は死語になったのだろうか。東京の学生にとって、合ハイ(合同ハイキング)といえば湘南海岸や高尾山で、今でも鎌倉に食事に出るたびに、某女子大の名を思い出す。いきなり、物思いにふける私を見て、連れ合いは「また仕事のことを考えてるの」というので、あわてて仕事のことを考えるようにしている。
私の頭の中で、「自治基本条例」と「参画と協働」と「まちづくり条例」が未整理になっていますが(そうなると総合計画・施策・実施計画・都市計画もからんでますます厄介なことになっている)今年度の政策法務研修に照準を合わせて再度、上記著書を熟読し間に合わせたいと思います。