松下啓一 自治・政策・まちづくり

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▽亀井勝一郎の『青春論』を読む(相模女子大学)

2015-09-23 | ゼミや大学のようすなど

 1年生の後期の科目に「日本語スキルアップ」という科目がある。最近は、学生の読解力や文章力の低下が目立つが、それをテコ入れしようという科目である。今年から、私も担当することになった。

 授業ではどんな本を読もうか考えた。シラバスを書いた時には、ルソーかトクヴィルを考えていたが、いよいよ授業が始まる前に、亀井勝一郎の『青春論』を読むことに決めた。今では、亀井勝一郎を読む人はいないだろうと思って調べてみたら、何度も増刷しているとのことで、読み継がれているようだ。年譜を調べてみると、亀井勝一郎がなくなったのが1966年ということなので、もう50年近く、読み継がれている。

 私も、今の学生たちの年代のころに、亀井勝一郎はたくさん読んだ。最初に読んだのは、『人生論・恋愛論』だったと思う。その後、亀井の著作を続けざまに読んだが、この『青春論』も3回は読んだと思う。人生論から始まって、行き着いた先は、『大和古寺風物詩』だった。難しかったが、この本を鞄に詰めて、大和や斑鳩を一人で旅したものだった。その顛末を、この前に出版した『自治の旅』に書いたので、紹介しておこう。

 斑鳩を集中的に訪ねたのは1970年代の初めのころである。金はないが時間は、ふんだんにある学生にとって、斑鳩への道は各駅停車の旅であった。横浜から夜行で名古屋まで行き、そこから関西本線で奈良に入る。朝、加太越の峠を越えたときの高揚感は、今の新幹線では、とうてい味わえない。

 法隆寺から法輪寺、法起寺というのが私のいつもルートである。法隆寺といえば壊れた白壁、法輪寺の山深さ、田園風景のなかの法起寺というのが私の思い出であるが、40年という時の流れは、風景を大きく変貌させた。法隆寺の白壁は、旅人を寄せ付けないように高く堅牢になっていて、当時の思い出は、いくら探しても見つけることはできなかった。法輪寺の三重の塔は再建され、法起寺の横にはバイパスが通っていた。

 斑鳩も変わったが、私も変わった。帰りがけに、いきいきセンターの看板を見かけると、魅かれるように歩き始め、気がつくと、その玄関に立っていた。受付のおじさんとひとしきり話をし、そこのお風呂にゆっくりと入り、隣に座ったおばちゃんたちと、つまらない冗談を言いながら食事をするという、いつものパターンになってしまった。孤高の一人旅は、見る影もない。

 亀井勝一郎は、変節の文学者と言われる。学生時代は当時の学生の常として共産主義に惹かれるが、時代の中で転向し戦争中は日本主義に変わる。そして戦後はリベラリストにと、時代に合わせたかのように、その思想を変えていった。これを批判することは簡単であるが、亀井自身は、自らの人間的な弱さや変節に苦しみ、それが深い洞察の源泉となっていった。進むべき道に迷っていた私は、亀井勝一郎のこうした弱さに惹かれたのだと思う。

 あれから40年以上がたち、再び亀井勝一郎の『青春論』を読み始めるが、どんな風に読むことになるのだろうか。楽しみである。

 (追記)このブログにも亀井勝一郎の記事がある。研修に出かけた先の担当者と食事に出かけ、いろいろな話になり、ひょんなことから、亀井を読んだと意気投合したことがあった。郡山市Iさんhttp://blog.goo.ne.jp/opin/e/f52ec6dbec8f31e27932f6cb967e654fであるが、大阪国際大学から、相模女子大学に移ったために、連絡先が分からなくなってしまったが、今は、どうしているのだろうか。

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