丸森町から! 一條己(おさむ)のほっとする丸森

15頭の乳牛と田に30羽の合鴨。畑に特産ヤーコンを作っています。訪れるだけで「ほっとする町」丸森町の様子をつづります。

「椎名千恵子さんのおはなしを聞く会」船岡駅2階コミュニティプラザ

2013-10-26 21:37:14 | 日記

おひさしぶり!3ねんぶり!げんきでしたね!

「子供たちを放射能から守る福島ネットワーク」「原発いらない福島の女たち」世話人。

椎名千恵子さんは、原発事故前は丸森町耕野で「山里刻(やまざととけい)」という民宿を営んでいた。

わたしが初めてあったのは「斎理屋敷」での朗読会だった。

12月の全てが凍る夜に開催されましたが、なかなかの盛況で驚いた。

ここで、彼女の活動の歴史が素晴らしいものだったと知った。

その後は、声をかけられるままに公演を見にに行き、

いろんな場所を体験させてもらった。

千恵子さんの生活をしょうかいする文章を見るとこうかいてある。

丸森でのグリーンツーリズムである。

戦うことをやめてみても。

「梅、茶木の剪定、雑多な用に追われるスローライフは忙しいのである。

でも、それは、自分の命を巡らすために自分が納得していることだから、

辛くとも心が捻じれることにはならない。

肝を入れてこなせば、創意工夫の楽しさ、達成感等が手応えになってかえってきた。

しばらく経つと、一年のながれの見通しもついてきた。

麹作りから始まる地酒づくり、うどん、パン、そこそこの野菜の自給が可能になっていた。

生活費を補う民宿経営も軌道にのり、国内外からの研修生、

同じ思いで移り住んでくる友人たちも増えてきていて楽しかった。

生きるための日課をいそいそとこなしていると、満ち足りた思いが沸々と湧きあがってくるのだった。

ようやくここまで来た。

あとは、“今日は死ぬのにもってこい”の境地に向かって残りの人生を紡いで行くことだった。

 

しかし、ここまでだった。

3,11で幕は降ろされた。

宮城の最南端。「放射能は生命と相容れない」

--空間を漂い、大地にしのびより、生産者の労働意欲を損ない、食う人を不安に駆りたてる。

かけがえのない友好にも影を落とした。

そして、放射能は、

等しく、私の暮しも根こそぎ奪い取った。」

 

そんな彼女は

再び、生きていく踵ををかえした。そして、より線量の高い福島に転居した。

原発から目をそむけていた自分を慙愧する。

愛しい娘、孫たちは、福島と伊達市で不安の渦中にいる。

そこに寄り添いながら、少しでも良い方向へと見極め動くことに、力を貸したい。

「問いをもつものは、いずれ、きっと答えも手にする。」と宣言した。

「子供たちを放射能から守る福島ネットワーク」から

動画「福島の女たち」

http://vimeo.com/52808567

 

残念ながら今日の新聞には「秘密保護法案国会提出」と載っている。

しんぶんやさんの正念場

いつまで、自分を大企業の仲間だと思ってるのだろうか。

 

 


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