おひさしぶり!3ねんぶり!げんきでしたね!
「子供たちを放射能から守る福島ネットワーク」「原発いらない福島の女たち」世話人。
椎名千恵子さんは、原発事故前は丸森町耕野で「山里刻(やまざととけい)」という民宿を営んでいた。
わたしが初めてあったのは「斎理屋敷」での朗読会だった。
12月の全てが凍る夜に開催されましたが、なかなかの盛況で驚いた。
ここで、彼女の活動の歴史が素晴らしいものだったと知った。
その後は、声をかけられるままに公演を見にに行き、
いろんな場所を体験させてもらった。
千恵子さんの生活をしょうかいする文章を見るとこうかいてある。
丸森でのグリーンツーリズムである。
戦うことをやめてみても。
「梅、茶木の剪定、雑多な用に追われるスローライフは忙しいのである。
でも、それは、自分の命を巡らすために自分が納得していることだから、
辛くとも心が捻じれることにはならない。
肝を入れてこなせば、創意工夫の楽しさ、達成感等が手応えになってかえってきた。
しばらく経つと、一年のながれの見通しもついてきた。
麹作りから始まる地酒づくり、うどん、パン、そこそこの野菜の自給が可能になっていた。
生活費を補う民宿経営も軌道にのり、国内外からの研修生、
同じ思いで移り住んでくる友人たちも増えてきていて楽しかった。
生きるための日課をいそいそとこなしていると、満ち足りた思いが沸々と湧きあがってくるのだった。
ようやくここまで来た。
あとは、“今日は死ぬのにもってこい”の境地に向かって残りの人生を紡いで行くことだった。
しかし、ここまでだった。
3,11で幕は降ろされた。
宮城の最南端。「放射能は生命と相容れない」
--空間を漂い、大地にしのびより、生産者の労働意欲を損ない、食う人を不安に駆りたてる。
かけがえのない友好にも影を落とした。
そして、放射能は、
等しく、私の暮しも根こそぎ奪い取った。」
そんな彼女は
再び、生きていく踵ををかえした。そして、より線量の高い福島に転居した。
原発から目をそむけていた自分を慙愧する。
愛しい娘、孫たちは、福島と伊達市で不安の渦中にいる。
そこに寄り添いながら、少しでも良い方向へと見極め動くことに、力を貸したい。
「問いをもつものは、いずれ、きっと答えも手にする。」と宣言した。
「子供たちを放射能から守る福島ネットワーク」から
動画「福島の女たち」
残念ながら今日の新聞には「秘密保護法案国会提出」と載っている。
しんぶんやさんの正念場
いつまで、自分を大企業の仲間だと思ってるのだろうか。