道灌山(どうかんやま)と呼ばれる東京・西日暮里(にしにっぽり)あたりの台地は江戸時代、虫の音を楽しむ秋の行楽地だった。丘の上では3人の男性が酒を酌み交わし、かごを手にした子供が女性に連れられて楽しそうに坂道を上る。江戸名所図会(ずえ)が虫聴きという風流な光景を描いている
▲万葉集(まんようしゅう)をはじめ鳴く虫を題材にした和歌や文学は古くからある。平安貴族の間ではスズムシやマツムシを . . . 本文を読む
紀元前から紀元後にまたがって1200年間にもわたる古代オリンピックの歴史だが、その中で最高不滅の名声が語り継がれるのがレスリング選手のミロンである。彼は紀元前6世紀に同種目で6度優勝、2度目の優勝からは5連覇したのだ
▲ミロンは南イタリアのクロトン出身、少年時には数学者のピタゴラスの生徒で、崩れかかった建物を1人で支えたとの逸話がある。雄牛を背負って競技場を1周したともいわれ、ともか . . . 本文を読む
小説家の武者小路実篤(むしゃこうじさねあつ)は晩年、東京都調布市の京王線仙川駅近くに住んだ。旧居に隣接して作られた記念館には多くの資料が保管されているが、その中に武者小路が理想郷を目指して宮崎県に作った「新しき村」の会則の中国語訳がある
▲現代中国文学の父、魯迅(ろじん)の弟で作家の周作人(しゅうさくじん)が手書きしたものだ。周は武者小路の考え方に共鳴し、1910年代に中国で大きな影響力を持っ . . . 本文を読む
「TSUKIJI WONDERLAND(築地ワンダーランド)」(遠藤尚太郎監督)は東京都中央区の築地市場を取材したドキュメンタリー映画だ。四季の移り変わりとともに魚や仲卸業者、料理人たちを追った
▲「商品知識だけじゃなく、食べごろまで熟知しているプロが集まる世界唯一の場所」「魚はどんどん、毎日変わる」「漁師に対する感謝の気持ちでいっぱい。それが築地の原点」。市場で働く人々の太い声が映 . . . 本文を読む
1991(平成3)年7月10日、雲仙(うんぜん)・普賢岳(ふげんだけ)の火砕流の被災地を訪ねた天皇、皇后両陛下の姿を覚えておられる年配の方は少なくないだろう。まだ噴火の収まらぬ現地の避難所を訪れ、被災した住民の間に入って話を聞いた両陛下だった
▲話に聴き入るうちにやがて中腰となり、しゃがみこみ、床にひざをつけて被災者と向き合われた。年配の世代の印象に残ったというのは、当時は両陛下がひ . . . 本文を読む
戦乱と疫病で荒廃した古代ギリシャはエリスの王、イフィトスが困窮する民を救おうとデルフォイ神殿の神託を求めた。「なんじらは戦争をやめ、喜びの年の祭典でともに友情をつちかえ」。この神託で王は古いオリンピア祭の復活を決意する
▲イフィトスは仲の悪かったスパルタ王らと条約を結び、オリンピアの不可侵と祭典期間中の休戦を取り決めた。古代オリンピック競技が最初に記録に現れるのは紀元前8世紀のことだ . . . 本文を読む
「散ったお花のたましいは、/み仏さまの花ぞのに、/ひとつ残らずうまれるの。/だって、お花はやさしくて、/おてんとさまが呼ぶときに、/ぱっとひらいて、ほほえんで、/蝶(ちょう)々(ちょ)にあまい蜜(みつ)をやり、/人にゃ匂(にお)いをみなくれて……」
▲「風がおいでとよぶときに、/やはりすなおについてゆき、/なきがらさえも、ままごとの/御飯になってくれるから。」&min . . . 本文を読む
神奈川県湘南地域は海水浴発祥の地だ。藤沢市鵠沼(くげぬま)には1886年、大磯に次いで海水浴場が開かれ、明治・大正期から旅館や別荘が建ち並ぶリゾート地として発展した。芥川龍之介ら多くの小説家が滞在して作品を執筆したことでも知られる
▲約1キロの砂浜が続く片瀬西浜・鵠沼海水浴場には昨夏、全国最多の160万人が訪れた。今年も数多くの人でにぎわっているが、浜の西端にあるのが「聶 . . . 本文を読む
歴史の教科書や小説などでよく見る「上(じょう)皇(こう)」、つまり天皇が譲位した後につく尊称は「太(だい)上(じょう)天皇」という位の略称だった。645(大化元)年に皇(こう)極(ぎょく)天皇が孝徳(こうとく)天皇に譲位したのが最初で、大宝律令によって太上天皇という位が正式に定められた
▲その後、歴史上最後に譲位によって上皇の尊称を受けたのが江戸時代末期の光格(こうかく)天皇である . . . 本文を読む
アニメ映画「火垂(ほた)るの墓」の冒頭の場面、「僕は死んだ」と語る14歳の少年清太(せいた)の体や服は朱色で描かれている。死んだ清太が霊になって登場するシーンで使われたのが阿修羅像(あしゅらぞう)の朱色だ。空襲の炎を連想させる
▲美術監督を務めた山本二三(やまもとにぞう)さんによると、野坂昭如(のさかあきゆき)さんの小説をアニメにする際、奈良市の興福寺(こうふくじ)にある阿修羅像を清 . . . 本文を読む
「虎の子が深い山の峰をわたる」ような人相とはどんなだろうか。史書「大(おお)鏡(かがみ)」のなかで人相見が若き藤(ふじ)原(わらの)道長(みちなが)の相をそう評している。当時有力だった兄たちも優れた相の持ち主だったが、誰より道長が勝っていると将来の権勢を予言した
▲さて、東京都の「顔」選びでは、有権者もこの人相見並みの観相術を身につけねばならないのか。自薦、他薦入り乱れてのすったもん . . . 本文を読む
8世紀初め、中国に倣って制定した大宝律(たいほうりつ)が、わが国刑法の始まりとされる。それには「縁座(えんざ)」という制度が盛り込まれていた。罪を犯した者だけでなく、その家族にも連帯責任で刑罰を科す仕組みである。「縁座」制は後世まで存続し、江戸時代にはとりわけ武家に対して厳しく適用されたそうだ
▲家族とはいえ、身に覚えのない罪の責任を負わされてはたまらない。そこで近代民主国家の刑法 . . . 本文を読む
中国製車両が海外で初の大規模リコール シンガポール都市鉄道が故障だらけ 鉄道受注合戦さらに暗雲
ソース : http://www.sankei.com/world/news/160716/wor1607160002-n1.html
以下 記事 その1
中国が国家戦略の柱に掲げる「高速鉄道外交」が次々に頓挫しているニュースを「ビジネス解読」で取り上げたばかりだが、中国の鉄道がら . . . 本文を読む
日本が初めて経験した国際裁判は明治初めのマリア・ルス号事件だった。横浜に停泊していたペルーの貨物船で奴隷として監禁されていた清国人への虐待が発覚、日本政府が解放したところ、ペルー政府が国際法違反だと抗議したのだ
▲紛争はロシア皇帝・アレクサンドル2世を判事とする仲裁裁判に付され、1875年に日本側勝訴となる。奴隷だった230人余はすでに清国政府が用意した船で帰国していた . . . 本文を読む
夏の午後、退屈した家族の一人が「隣町に食事に行こう」と言い、そろって出かけた。だが暑さとほこりで道中も食事もさんざんだった。帰ると全員が口々にぼやいた。「みんなが行きたそうだから行ったが、私は本当は家にいたかった」
▲ひょんな拍子にその場の空気に引きずられ、誰も好まない決定をしてしまうのは日本人だけに限らない。そんな集団思考の危うさを指摘した米経営学者のたとえ話である。これが「アビリ . . . 本文を読む