今日は私の週間予定である市営温水プールに行く。[プールは25M 7コース]で深さは短辺が1.1m 長辺真ん中付近が1.3m とまァ 普通の大人なら別に問題のない深さである。
9時30分 開場と共に多くの方が入場する。
私は更衣室の混雑を避け約10分前後経過して入場をする。
ユックリと着替えプール・サイドに立つと既に40~50人の多くの方が左回りにウォーキング・コース(3コース)を各人各様に水中歩きをして居られた。
その方々を見るともなく見ながら準備体操をしていると折り返し点から5~6m のところで突然、両手をバタバタとして水面を叩いている高齢?の女性が見られ私は一瞬、何を騒いでいる?と感じたが、次の瞬間 あッ 溺れている! 助けに行かねば・・・と思った時、既に私の傍に居た若い監視員の女性が短パンにTシャツ姿のままプールに飛び込んでいた。
素早く溺れる婦人の背中に回りこみ後ろから両手で相手の脇に救いの手をいれ身体を支える、たが溺れる婦人はそれにも瞬間は気づかず未だ手をバタバタしている。監視員が耳元で何事か言っているようだった。
やがて静かになり女性の監視員が相手の耳元で何かささやきながら、ゆっくりと後ろ向きのままスロープに導き他の男性の監視員が用意した車椅子に水中で座らせ静かに事務所の前に連れて行き。大きなバス・タオルで身を包まれた。
溺れた方は相当ショックを受けたのではないか?然し監視員の瞬時の対応は見事の一言に尽きた。
プールの女性監視員さん貴方の行動は、ほんとに、素晴らしかったよ!私の目の視力が0.1なのでよく美人のお顔が見えず残念でした。
事務所前で車椅子に座っておられる婦人を見て私もプールに入ったが瞬時一歩踏み出したままで何も出来なかった自分はやはりもう歳だなと深く反省させられた。
咄嗟の判断と行動が取れるのは若い方だなとつくづく思った次第である。
以前は(昨年まで)身体障害者の水泳のコーチをして来たが今年は止めてよかったと思った。プールと雖も水は怖い!
子供の頃、祖父から急な流れの瀬には長靴は必ず脱いで入るようにと注意を受けた。
祖父は「長靴を履いたまま急流の瀬で川底の苔に滑り転ぶと長靴の中の空気で足が浮き上がり起き上がれないからと言われた」そして「例え30cmの深さでも流されれば急流の直ぐ下(シモ)は深みになっている、起き上がる前に、この深みに嵌まると先ず助からないぞ!」と脅かされたが私は今までそれを守って来た。
泳げるからと言っても安全ではない。まして泳げない方も用心に越したことは無いと思う。浅いプールと言っても危険は一杯だ。
水難事故では金槌の方が助かることが多いとか?泳げない為に何かに摑まり救助を待っていて助かるとか・・・このような話はよく耳にする。
今回は何事もなくてホントによかった。
イロイロと考えさせられた予期せぬプールの出来事だった。
9時30分 開場と共に多くの方が入場する。
私は更衣室の混雑を避け約10分前後経過して入場をする。
ユックリと着替えプール・サイドに立つと既に40~50人の多くの方が左回りにウォーキング・コース(3コース)を各人各様に水中歩きをして居られた。
その方々を見るともなく見ながら準備体操をしていると折り返し点から5~6m のところで突然、両手をバタバタとして水面を叩いている高齢?の女性が見られ私は一瞬、何を騒いでいる?と感じたが、次の瞬間 あッ 溺れている! 助けに行かねば・・・と思った時、既に私の傍に居た若い監視員の女性が短パンにTシャツ姿のままプールに飛び込んでいた。
素早く溺れる婦人の背中に回りこみ後ろから両手で相手の脇に救いの手をいれ身体を支える、たが溺れる婦人はそれにも瞬間は気づかず未だ手をバタバタしている。監視員が耳元で何事か言っているようだった。
やがて静かになり女性の監視員が相手の耳元で何かささやきながら、ゆっくりと後ろ向きのままスロープに導き他の男性の監視員が用意した車椅子に水中で座らせ静かに事務所の前に連れて行き。大きなバス・タオルで身を包まれた。
溺れた方は相当ショックを受けたのではないか?然し監視員の瞬時の対応は見事の一言に尽きた。
プールの女性監視員さん貴方の行動は、ほんとに、素晴らしかったよ!私の目の視力が0.1なのでよく美人のお顔が見えず残念でした。
事務所前で車椅子に座っておられる婦人を見て私もプールに入ったが瞬時一歩踏み出したままで何も出来なかった自分はやはりもう歳だなと深く反省させられた。
咄嗟の判断と行動が取れるのは若い方だなとつくづく思った次第である。
以前は(昨年まで)身体障害者の水泳のコーチをして来たが今年は止めてよかったと思った。プールと雖も水は怖い!
子供の頃、祖父から急な流れの瀬には長靴は必ず脱いで入るようにと注意を受けた。
祖父は「長靴を履いたまま急流の瀬で川底の苔に滑り転ぶと長靴の中の空気で足が浮き上がり起き上がれないからと言われた」そして「例え30cmの深さでも流されれば急流の直ぐ下(シモ)は深みになっている、起き上がる前に、この深みに嵌まると先ず助からないぞ!」と脅かされたが私は今までそれを守って来た。
泳げるからと言っても安全ではない。まして泳げない方も用心に越したことは無いと思う。浅いプールと言っても危険は一杯だ。
水難事故では金槌の方が助かることが多いとか?泳げない為に何かに摑まり救助を待っていて助かるとか・・・このような話はよく耳にする。
今回は何事もなくてホントによかった。
イロイロと考えさせられた予期せぬプールの出来事だった。
仏教では私たちのことを凡夫(ぽんぶ)と言う。「無明煩悩吾等が身にみちみちて」と言われるように、三毒の煩悩に明けくれする悲しい存在であります。
この三つの煩悩の一つが貧欲(どんよく)であります。生きる者の中で一番欲望の強いのが人間ではないでしょうか。考え方によってはこの人間の欲望が今日の科学の発展と、生活の向上を成し遂げたともいえましょう。
しかしまたこの強い欲望が、一面人間自らを不幸に陥れていることも見落としてはなりますまい。欲望が自己の利益に結びつく時、畜生以下の恐るべき社会に変ぽうする。表面の繁栄とは裏はらに、目を覆う痛ましい不幸がくりかえされ、その根底に人間のあくなき欲望が渦を巻いている。
このような現実を通して経典に示された「少欲知足」のお言葉をかみしめてみたいと思います。欲を少なくすることも難しいが、それ以上に難しいことは足ることを知ることではないでしょうか。しょせん人間は満足することを知らない生き者かもしれません。
でも今一度この人生を見直してみると、人間の欲望が満たされる娑婆(しゃば)でないことがわかります。限りある人生に無限を求めることは不可能ではないのか。人間が生まれてきた時は無一物でした。裸でした。そんな私でありながら今なんと多くの物が与えられていることか。
このこと一つに気付いても足らん足らんと不足を言う前に、多くの物の中に包まれているただ今の自分に対して、ありがたいもったいないと満足すべきでありましょう。
求める以前にもっと大切なことは、恵まれていることの幸せを拾い上げて感謝すべきでしょう。足らんと言うは実は物が足らんのでなく、与えられている自分を喜ぶ心が足らんのではないだろうか。
プールとは関係ないコメントで御免なさい
なんだか、又 京都のお寺周りでも、したくなりました。日本庭園の講義を京都の或る大学教授から受けたのは、もう40年くらい前になったようです。何処の古都もいいです。