一昨日の「町内のお餅搗き大会」で搗いたお餅を昨日お昼に焼いて頂く。
一日 経っているが、やはり町内の方が苦労してついたお餅は心豊かになり美味しい。
お餅も可愛い子供の手により小さく丸められたことを見ている私は尚、その思い出で美味しく感じる。
中には結構大きなお餅もあったが小さく噛み切り口に入れる。
あまり美味しいのでツイ頬張ったときに餅が喉に痞(ツカ)えた。
瞬間 飲み込めない。
目をシロクロさせてお茶を少し口に含んだ。
かなり慌てる。・・・が
その時 なにかの加減か?す~と痞(ツカ)えたお餅が喉を通った。
ほッ 助かったと大きく息を吸う。
危ない!
私が始めて経験したお餅の危険性である。
私自身は、
これまで多くの新聞、TVでお年寄りの方のお餅による事故を見聞きしていて
私は違う!
と自負していたのですが現実に、そのような、目に会うと
「俺も年だ」と想像もしていない自分の老いを身近に感じた。
これからは、お餅を頂く時は小さくサイコロ状にして先ずお茶かお水を飲み安全ににして頂くことにしよう。
カミさんは私の変化に全く気づかずにモクモクと食事をしている。
どうもTVのサスペンスの行方を気にしているようだ。
町内の「お餅搗き大会」は好天に恵まれ町内の多くの方が集まり実に和やかで見てい清清(スガスガ)しい感じがよかった。
私の不注意で若し事故でも、おこしたら折角の楽しい思い出も台無しになり、そればかりか日本のよき伝統も廃止されるかも知れない。
私の歳を痛切に感じさせられたお餅であった。
これからも、この「町内お餅搗き大会」の為にも、お餅を食べるには安全に気をつけて食べよう。
どうも私は考えることが大袈裟である。
カミさんに、拠ればと言っても何時も言っていることだが
「貴方が何かするときは何時も準備が大変だ」
「それで何が始まるかと思うと大抵は大したことは始まらないのよね」とのたまわく。
「ただ、山登りだけは本気だったと思ったがね」
「山登りは貴方にしては、よく続いたと感心したよ」と 散々である。
その山登りは残念ながら、もう足が弱り歩けない。
足が弱るというより身体が肥満になり膝の負担が大きく歩けば膝に痛みが走って長く歩くことが出来ない。
少し早いがお餅を食べながら今年のことの思い出をアレコレと振り返り自分の身の回りや環境の変化を感じつつ今年終わりの気持ちを整理(?)する。
一番の親友を失ったのも辛い。
田舎の親友も気になる。
先日同窓会の写真が広島から送ってきたが故人となられた注釈入りの同級生の名がまた多くなっていた。
今の私は、今年亡くなられたなき友人と、これまで無くなられた多くの同窓の友人の冥福を共に祈る年末である。
私も年だ。暮れまで少し静かにしているか?カミさんは
「貴方はもう少し静かにしていたら?」
「どういうことだ?」
「何でも無い事に直ぐに大騒ぎするでしょ!」
「やれ耳がない!とか眼鏡がないとか?携帯がないのとか!」
「騒ぎ過ぎるよ!」
わかりましたよ!
カミさんの言うことには残念ながら間違いがないとボケ爺は思う。
「お餅 もう 要らない?」
「えッ 今 食べたよ」
「何時も、それだけでは足りないでしょう?」
「ああ 今は要らない、萬腹だ」
目をシロクロして慌てて答えた爺である。
ひょっとすると、この爺が今年初めての新聞の珍タネになるところだったのだ!
ああ 危なかった!
一日 経っているが、やはり町内の方が苦労してついたお餅は心豊かになり美味しい。
お餅も可愛い子供の手により小さく丸められたことを見ている私は尚、その思い出で美味しく感じる。
中には結構大きなお餅もあったが小さく噛み切り口に入れる。
あまり美味しいのでツイ頬張ったときに餅が喉に痞(ツカ)えた。
瞬間 飲み込めない。
目をシロクロさせてお茶を少し口に含んだ。
かなり慌てる。・・・が
その時 なにかの加減か?す~と痞(ツカ)えたお餅が喉を通った。
ほッ 助かったと大きく息を吸う。
危ない!
私が始めて経験したお餅の危険性である。
私自身は、
これまで多くの新聞、TVでお年寄りの方のお餅による事故を見聞きしていて
私は違う!
と自負していたのですが現実に、そのような、目に会うと
「俺も年だ」と想像もしていない自分の老いを身近に感じた。
これからは、お餅を頂く時は小さくサイコロ状にして先ずお茶かお水を飲み安全ににして頂くことにしよう。
カミさんは私の変化に全く気づかずにモクモクと食事をしている。
どうもTVのサスペンスの行方を気にしているようだ。
町内の「お餅搗き大会」は好天に恵まれ町内の多くの方が集まり実に和やかで見てい清清(スガスガ)しい感じがよかった。
私の不注意で若し事故でも、おこしたら折角の楽しい思い出も台無しになり、そればかりか日本のよき伝統も廃止されるかも知れない。
私の歳を痛切に感じさせられたお餅であった。
これからも、この「町内お餅搗き大会」の為にも、お餅を食べるには安全に気をつけて食べよう。
どうも私は考えることが大袈裟である。
カミさんに、拠ればと言っても何時も言っていることだが
「貴方が何かするときは何時も準備が大変だ」
「それで何が始まるかと思うと大抵は大したことは始まらないのよね」とのたまわく。
「ただ、山登りだけは本気だったと思ったがね」
「山登りは貴方にしては、よく続いたと感心したよ」と 散々である。
その山登りは残念ながら、もう足が弱り歩けない。
足が弱るというより身体が肥満になり膝の負担が大きく歩けば膝に痛みが走って長く歩くことが出来ない。
少し早いがお餅を食べながら今年のことの思い出をアレコレと振り返り自分の身の回りや環境の変化を感じつつ今年終わりの気持ちを整理(?)する。
一番の親友を失ったのも辛い。
田舎の親友も気になる。
先日同窓会の写真が広島から送ってきたが故人となられた注釈入りの同級生の名がまた多くなっていた。
今の私は、今年亡くなられたなき友人と、これまで無くなられた多くの同窓の友人の冥福を共に祈る年末である。
私も年だ。暮れまで少し静かにしているか?カミさんは
「貴方はもう少し静かにしていたら?」
「どういうことだ?」
「何でも無い事に直ぐに大騒ぎするでしょ!」
「やれ耳がない!とか眼鏡がないとか?携帯がないのとか!」
「騒ぎ過ぎるよ!」
わかりましたよ!
カミさんの言うことには残念ながら間違いがないとボケ爺は思う。
「お餅 もう 要らない?」
「えッ 今 食べたよ」
「何時も、それだけでは足りないでしょう?」
「ああ 今は要らない、萬腹だ」
目をシロクロして慌てて答えた爺である。
ひょっとすると、この爺が今年初めての新聞の珍タネになるところだったのだ!
ああ 危なかった!