TVのホリエモンの判決を聞いてカミさんの怒ること!怒ること!
「何故、裁判長は悪いことは悪いとハッキリと言えないのだ!“君の此処が違法だ!だから懲役に処する”だけでよい」
「“君の将来を閉ざすものものではない“などはよけいだよ」
大体 あのホリエモンは何も反省もしていないではないか!
又 今、TVに出演しているホリエモンは無罪を当然の如く主張している。
「ホリエモンは部下に全ての罪を押し付けて、自分は知らぬ 存じぬ!俺は無罪だ!では社会は通らないよ」
以前、子供による殺人事件のときも、その学校の校長先生が、その都度
「命の大切さを教えています」と答えていたが、その時もカミさんは
「何が命の大切さを教えているというのだ!」
カミさんは
「そんなことは理屈ではない!大事なものは大事なのだ!」
「命が大事なことは理屈ではない!」
「何故それを教えない」
「世の中は理屈ではない!悪いことは悪い!やってはいけないことは、やってはいけないのだ!とシッカリと教えることが教育指導ではないか?」
昔は、どの教科も繰り返し同じことを声に出して復唱していたものだ。
「今はどうなっんだ?」
「今は、なんだか机から立ち上がって本を大声で読むことなど、ないようだよ」
「まさか?」
「そのように聞いているよ」
「どうして、やらないのだろうね?」
「私にも分からないが、声に出して何回でも復唱することの大切さが先生に分からないのでは?」
「大学を出たばかりで少しの実習だけで、もう、一人前の先生と呼ばれ教壇に立つそうだよ」
「そうそ、今は教壇も、ないようだよ」
「まさか?」
カミさんから聞くことには、いちいち驚かされる。
「教室の掃除も外注だよ」
「じゃあ、掃除はしないのか?」
「しないね」
「一体どうなってるのだ?」不審でならない。
今は物事を全て理屈で教えているとか?
「社会には理屈ではない当たり前のことが多いのにね」
「家でも子供を育てるのに“悪いことは=悪い!“とハッキリと叱っていたよ」
「うちの子も悪いことをしたら、即 叱っていたよ」
「理屈ではないのよ!悪いことは悪いの!」
「その代わり”良いこと”は、いいことをしたね、と褒めてたよ」
「お店の前で泣き叫ぶなど無かったね」
「それでは子供は萎縮するのでは?」
「そんな、ことはないよ、好きなことは好きなようにやらせてたから・・・・」
「でも、後片付けはシッカリとやらせたね」
「他所の子が来て散らかしても後片付けは必ずその子達にやらせたね」
「○○さんちの子は言うことを聞かなかったが、綺麗に片付けるまで帰さなかったね。そして、○○チャン今度、片付けないと、もう、家(ウチ)に入れないよ」
と言って聞かせたが、平気でまた、散らかすの・・・。
「それで、どうしたの?」次に来た時に
「あんた、言うことを聞かないので、うちには来ないで!」とハッキリ言って家には入れなかったよ。
「うちの子が苛められなかったか?」
「うちの子は苛められることはないよ」
「どうして?」
「嫌な子とは遊ばないから・・・」
「一人でも遊ぶことを知ってたよ」
「なんだか可愛そうだな?」
「仲間 外れにされなかったか?」
「そんなことはなかったみたい・・・」
「うちの子には煙草を吸う子はいないよ」
「あんたが無神経によく吸っていたから、よく言って聞かせたの」
「よく言うことを聞いたな?」
「だって良くないことは、よくないんだもの・・・」
「我慢することもよく教えたよ」
かみさんから結構厳しく躾けられた娘は既に二人とも家にいない。
時々思いついたように来るだけだ。
かみさんはTVを見ながら
「物が豊かになり、心が貧しくなったみたい?」そう、嘆いている。
カミさんの小言を聞きながら・・・
くそ爺もつい「昔は良かったな!」と呟いていた.
悪いことは悪いことだ!
こんな、単純なことも疎かになった。
懐かしいよ。
「何故、裁判長は悪いことは悪いとハッキリと言えないのだ!“君の此処が違法だ!だから懲役に処する”だけでよい」
「“君の将来を閉ざすものものではない“などはよけいだよ」
大体 あのホリエモンは何も反省もしていないではないか!
又 今、TVに出演しているホリエモンは無罪を当然の如く主張している。
「ホリエモンは部下に全ての罪を押し付けて、自分は知らぬ 存じぬ!俺は無罪だ!では社会は通らないよ」
以前、子供による殺人事件のときも、その学校の校長先生が、その都度
「命の大切さを教えています」と答えていたが、その時もカミさんは
「何が命の大切さを教えているというのだ!」
カミさんは
「そんなことは理屈ではない!大事なものは大事なのだ!」
「命が大事なことは理屈ではない!」
「何故それを教えない」
「世の中は理屈ではない!悪いことは悪い!やってはいけないことは、やってはいけないのだ!とシッカリと教えることが教育指導ではないか?」
昔は、どの教科も繰り返し同じことを声に出して復唱していたものだ。
「今はどうなっんだ?」
「今は、なんだか机から立ち上がって本を大声で読むことなど、ないようだよ」
「まさか?」
「そのように聞いているよ」
「どうして、やらないのだろうね?」
「私にも分からないが、声に出して何回でも復唱することの大切さが先生に分からないのでは?」
「大学を出たばかりで少しの実習だけで、もう、一人前の先生と呼ばれ教壇に立つそうだよ」
「そうそ、今は教壇も、ないようだよ」
「まさか?」
カミさんから聞くことには、いちいち驚かされる。
「教室の掃除も外注だよ」
「じゃあ、掃除はしないのか?」
「しないね」
「一体どうなってるのだ?」不審でならない。
今は物事を全て理屈で教えているとか?
「社会には理屈ではない当たり前のことが多いのにね」
「家でも子供を育てるのに“悪いことは=悪い!“とハッキリと叱っていたよ」
「うちの子も悪いことをしたら、即 叱っていたよ」
「理屈ではないのよ!悪いことは悪いの!」
「その代わり”良いこと”は、いいことをしたね、と褒めてたよ」
「お店の前で泣き叫ぶなど無かったね」
「それでは子供は萎縮するのでは?」
「そんな、ことはないよ、好きなことは好きなようにやらせてたから・・・・」
「でも、後片付けはシッカリとやらせたね」
「他所の子が来て散らかしても後片付けは必ずその子達にやらせたね」
「○○さんちの子は言うことを聞かなかったが、綺麗に片付けるまで帰さなかったね。そして、○○チャン今度、片付けないと、もう、家(ウチ)に入れないよ」
と言って聞かせたが、平気でまた、散らかすの・・・。
「それで、どうしたの?」次に来た時に
「あんた、言うことを聞かないので、うちには来ないで!」とハッキリ言って家には入れなかったよ。
「うちの子が苛められなかったか?」
「うちの子は苛められることはないよ」
「どうして?」
「嫌な子とは遊ばないから・・・」
「一人でも遊ぶことを知ってたよ」
「なんだか可愛そうだな?」
「仲間 外れにされなかったか?」
「そんなことはなかったみたい・・・」
「うちの子には煙草を吸う子はいないよ」
「あんたが無神経によく吸っていたから、よく言って聞かせたの」
「よく言うことを聞いたな?」
「だって良くないことは、よくないんだもの・・・」
「我慢することもよく教えたよ」
かみさんから結構厳しく躾けられた娘は既に二人とも家にいない。
時々思いついたように来るだけだ。
かみさんはTVを見ながら
「物が豊かになり、心が貧しくなったみたい?」そう、嘆いている。
カミさんの小言を聞きながら・・・
くそ爺もつい「昔は良かったな!」と呟いていた.
悪いことは悪いことだ!
良いことは良いことだ!
どれも理屈ではない!
こんな、単純なことも疎かになった。
俺たちの時は授業が終わると教室の机を後ろに男が運び、掃き掃除は女の子がやっていたな。
そして、後は教室の床の雑巾掛けだ。これは男の子の仕事で、後ろの机を元に戻すのは男女一緒にやっていたな。机の雑巾掛けも一緒だったな
懐かしいよ。
私は孫の幼稚園、小学校の参観日には極力出かけ
、先生と子供のかかわりを見るようにしました。
現場の多くの先生方は本当に工夫をし頑張っています。
しかし 管理職の目は子供より教育委員会の方を見ている方が多くなっているのではないでしょうか。
子供あっての教育なのに・・・
>子供あっての教育なのに・・・
その通りと思います。参観日には学校や幼稚園に行かれます、とか、
お孫さんも喜んでおられますと思います。
いいお爺さんですね。