余録:「赤道を実在の帯と仮定せよ。この帯を3メートル…
毎日新聞 2015年08月07日 00時03分
「赤道を実在の帯と仮定せよ。この帯を3メートル伸ばすと地表面からどれだけ浮き上がるか」。阿川弘之さんが海軍の兵科予備学生に採用された時の口頭試問という。正解は48センチ弱で、何とかしのいだ
▲次は簡単だった。「お前はなぜ海軍を志願したか」。すかさず「はい、陸軍が嫌いだからであります」。試験官はニヤッとしただけだった。高校時代はヒトラーに敬礼するナチス青年をサルに見立てた絵を教室に描くなど、陸軍とナチ嫌いは若い頃から徹底していた
▲後年、作家となって記した「米内光政」「山本五十六」「井上成美」は、陸軍主導の日独伊三国同盟に身をていして反対した海軍省の大臣、次官、局長だった。その後、ドイツと結んで米英と対決した帝国日本と海軍の滅亡を若き日に身をもって体験した阿川さんだ
▲「生きて帰ると、『負けてよかった』といった戦後の論調と自分の海軍の体験は少し違っていた。生き残ったのだから一冊でも本当のことを書きたかった」。特攻で散った学徒兵の苦悩を描く「雲の墓標」をめぐる発言だ
▲阿川さんの訃報に昭和史研究の半藤一利さんは「戦争に敗れた日本の葬式をやりとげる覚悟を示した」とその海軍小説を評した。師の志賀直哉の評伝、旅や食味の洒脱な随筆など、しのぶべき作品は多いが、戦後70年の夏とあれば思いはやはり大戦の生と死に向かう
▲「優秀な仕事をしたはずの友人がたくさん亡くなった。遠藤周作が『あいつら生きとったら、おれたちみな同人作家やで』といっていた通りだ」。こう語っていた作家が描かねば永遠に失われただろう同時代の思いは確かにこの世に刻まれた。
ソース : http://mainichi.jp/opinion/news/20150807k0000m070127000c.html
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つぶやき
阿川弘之氏といい旧日本軍人の上級士官の養成機関 兵学校の入学試験の難関をうかがわせる話である。単に数学ができるのみでなく機智・機敏なる判断・観察とも言える問答である。 瞬時には中々応えられないだろう。
特攻で亡くなられた方々も、有能なる若者であったであろう。12~13歳で受験できる予科練に行かれた方々もまた優秀な方々だと思う。 戦争で実に有能な若者を多く失った。
あれから70年 英霊の方々は今の日本をどう見られるか? 首相談話には「お詫び」など一切 不要と私は思う。戦争はお互いさまであり終われば勝者・敗者はあれど、それぞれの人の道までは失いたくはないものだ。 勝者奢らず。敗者卑屈にならず、でよいのでは? 漁夫の利で奢り高ぶるバカも 居るが・・・・・。
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蛇足 : 問題のヒントは 直径(Φ フアイ:或いは D )× π(パイ) = 円周 (C)
π (パイ) である。 300cm ÷ π(パイ)÷ 2 = 47.8 cm 間違ってるかな? これを出すのに徹夜しま した。
惚けの爺には難しいです。 瞬時に答えるには 3.14を 3 にすれば50 cm ???.
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