岩国に帰省した時にうん十年ぶりに錦帯橋を渡りました。
懐かしいですね。
国民学校を卒業した時に数人の同級生と担任の○田節子先生と、ここに来ました。
八幡様の近くの写真館で記念写真を撮りましたが写真の裏には”岩国海軍航空隊憲兵隊”の赤い検印が押印されています。
写っている同級生には着物姿で足にはわらじを履いていた者もいましたね。
殆どが下駄でした。私は今にも泣きそうな顔をしていました。
だから写真は掲載できません。
”くそ爺”も当時は純情だったのですね~~~
そうそ、卒業記念に先生から蛙や魚の「解剖器セット」を頂きましたが広島の中学の寄宿舎が原爆で無くなり、その時に解剖セットも無くなりました。
*** WZOT02-SITA-ARI ***
今や錦帯橋と共に名所?「おぬしの名は?」「オウ吾は小次郎なるぞ!」 | ||||
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ソースはnon_non 様から拝借しました。
サムネイルの屋根瓦の棟の写真は岩国城の天守閣から見下ろした写真です。
私の子供時代は今の城はなく城の基盤の石がゴロゴロとあっただけです。登るのに40分くらい掛かったのでは?と思っています。
錦帯橋は橋桁を下から見ればまた異なる造形の美しさがあります。
若しも渡る機会があれば是非、河原に下りて下から桁を見て下さい。
一番目の橋桁(両端)と二番目の橋桁です。2,3、4番目(中央の三つの桁)の桁は同じ構造です。
今の橋は再建された橋ですがオリジナルな設計図と原寸図が今もって保存されているとか?
従って橋桁は昔の通りに復元されたと聞いています。
橋脚はキジヤ台風で流されたので現在の土木技術を駆使して造られたと聞いています。
橋桁の強度を調べるのに岩国高校の生徒が大勢 橋の上に乗り桁のタワミを測定すると聞いています。
昔は大水=オオミズ(洪水)の時に木造の橋桁が浮くので橋のうえに酒樽(直径=9尺?H=7尺?)を置き、その中に水を入れて橋桁を押さえたようです。
その様子の写真も何処かにあるはずですから写真だけでも見て貰うと面白いです。今回はこの写真は見れなかったです。見逃したのかも?
沼じじさんも渡る機会があればいいですね。
今回私たちが宿泊したのは”半月庵”と言う国民宿舎でしたが、まぁまぁでした。
(@=9000円/一泊)外人さんも宿泊していましたよ。Googleで検索しますと直ぐに出ます。
屋根瓦さすが一級建築士の目、もう少し解説があると
理解出来るのになあ・・・と屋根瓦に触れることのない私の欲です。
宮本武蔵夢中になって読みました。