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http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130801/crm13080103180001-n1.htm 以下全文
8月1日 2013.8.1 03:17 [産経抄]
明治の文豪、森鴎外は、本名・森林太郎として、陸軍軍医総監にまで上りつめる。長く日本人を苦しめてきた「脚気(かっけ)」をめぐり、森と真っ向から対立したのが、海軍医官の高木兼寛(たかき・かねひろ)だった。森の細菌説は誤りで、高木が唱えた白米原因説が正しかったことは、現在では常識となっている。
▼乗組員376人のうち、169人が脚気にかかり25人が死亡した。明治15年から翌年にかけて、太平洋で約9カ月にわたって行われた軍艦の練習航海は、惨憺(さんたん)たる結果に終わる。高木は、炭水化物に偏っていた乗組員の献立を、タンパク質を多く含んだものに変えた。するとほぼ同じ航路をたどった17年の航海では、脚気の患者はわずか14人にとどまり、死者は一人も出なかった。高木はこの大がかりな実験から、自説の正しさを確信したのだ。
▼その高木が創設者の一人に名を連ねる、東京慈恵医大の不祥事が発覚した。製薬大手ノバルティスファーマの降圧剤「ディオバン」の効果を調べる臨床研究で、京都府立医大に続いて、データ操作の不正が確認された。
▼権威ある英医学誌に発表した論文も撤回する。日本の研究に対する信頼が損なわれかねない。何より、留学先の英国で実証を重んじる医学をたたき込まれた高木に対する、最大の裏切りである。
▼調査委員会によると、ノバルティスの元社員が、解析の段階で改竄(かいざん)に関与した疑いが強い。この会社から慈恵医大には、8400万円もの寄付金が渡っていた。一企業の利益のために、研究結果がゆがめられたのだろうか。
▼少なくとも、薬効に望みを託して闘病する人たちの姿は、関係者の眼中にはなかった。「病気を診ずして病人を診よ」。この高木の医師としての信念が、建学の精神だったはずだ。
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つぶやき
昨日 カラ咳がつよく咳のたびに胸に痛みを感じるほどだった。 いつもいお世話になっている A 病院に行く。 胸に聴診器を当てられたのも久しぶりである。診察のあと胸のレントゲン写真を撮る。 その後暫く(5~6分) 待つと再び診察を受ける。
「レントゲンには異常は見られません」 ということで私なりに肺炎や結核の心配はないと判断した。薬を処方して頂き薬局で薬を戴き帰宅。
薬が効いたのか?今朝は咳の回数が途端におち微熱も平熱になった。未だ軽い頭痛があるのが気になるが咳がとれたのはいい。
産経抄に書いてある森鴎外と高木兼寛(たかき・かねひろ)氏のことは「白い航跡」吉村 昭 に詳しく書かれている。
もう20年くらい前に読んだ本だと思うが当時は官学(東大)が主流で脚気の原因は森鴎外の細菌説が主流だった。(ドイツ医学会も同じ)
森は陸軍 高木は海軍とお互いにその立場を異にしていた。
森鴎外はドイツに留学・ 高木は英国に留学 高木のその成績は郡を抜いていたと言う。
脚気に対する二人の学説は細菌説とタンパク説では官学の前には高木のパン食は取り入れられなかった。未だビタミンが発見される前だったのだ。
陸軍は高木の説を取り入れることなく台湾遠征の時に脚気により数万の兵士を失うことになる。
* 今朝は晴れた空で暫くぶりである。狭い庭には強い日差しが射している。
外気温 25度 きょうも暑い日になりそうだ。 (午前7時)
詳しい説明から、伝わってきました。
「病気を診ずして病人を診よ」。この高木の医師としての信念、・・・・・・。
惹かれました。
陸軍は高木の説を取り入れることなく台湾遠征の時に脚気により数万の兵士を失うことになったなど、・・・・・・。
ご紹介、ありがとうございました。
昨日も、拙い私のブログを見て、嬉しいコメント&応援ポチに、恐縮、恐縮です。
応援ポチ♪♪
高木の折角の人体実験?の成果もいかされなかったようです。
官学主流は今でも一考をようするようです。
大東亜戦争も似たようなものですね。
ここ10日ばかり体調不良でご返事が遅れました。陳謝