高校生の頃だったか?よく憶えていないが・・或る時期 何もやりたくなくなったことがある。
生きるのがタイギになったという感じだった。
若しも死んだら どれほど楽になるのだろう?
でも「死ぬ」ってどうやれば死ねる?
首吊りは首を絞めるので苦しそうだし・・・川に飛び込むのも泳げるし・・・あれこれ馬鹿なことを考えたものだ。
それでも「死の願望」が頭から離れない。
母から「(身体の)どこかわるいのかも?病院に行ってみたら・・・」と言うことで或る病院に行って診察を受けたが先生曰く「ノイローゼだな」と宣告された。
そんなに悩むことは当時 何も無かったし・・・漠然と死にたいと言う思いだけがあったようだ。
先生から「国病を紹介するから行ってみたら?」と紹介状を書いていただいた。
家に帰り母に診察の模様を話すと「国病に行ってみたら・・・」と言われた。
国病がまた家から遠くて市内からかなり離れていて不便な辺鄙なところにある・・・行くのが面倒になってきた。
学校も一週間くらい休んだのでは?
「明日 学校に行くから・・・」と或る朝 母に言って翌日から また列車通学を始めた。
通学を始めるといつの間にか「死」の思いはどこかに行った。
今でもあの時 私はなにを悩んでいたのだろうと不思議な思いで振り返っている。
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しあわせのトンボ:自律神経は大丈夫か=近藤勝重
毎日新聞 2012年06月08日 13時25分
http://mainichi.jp/opinion/news/20120608k0000e070217000c.html 以下全文
しあわせのトンボ:自律神経は大丈夫か=近藤勝重
毎日新聞 2012年06月08日 13時25分
電車が入ってくる。満員だ。東京行きの快速である。以前ならかまわず乗っていたが、今はすいた電車を待つ。次、さらに次と待てば空席のある電車が必ずやって来る。すいた電車は各駅停車がほとんどながら、ゆったりしてゆっくり走る各停のほうが体になじむ。逆に、人を詰め込んでのスピードを拒む心身というのは、自律神経とかかわってのことだろう。
仕事柄、あれはどうか、これはどうか、と情報を求め、神経を擦り減らす日々を過ごしてきた。その処理に一分一秒を争っていても、体も心も存外平気だった。が、そういう日々の積み重ねは侮れないものらしい。記者生活も30年近くになろうかというある日、目がぐるぐる回り出し、気がつけば病院のベッドに倒れ込んでいた。
以来、生活習慣を見直し、改めた。とにかく早朝に歩く。歩いて帰ったらお茶をいれ、仏壇に花を供え、姿勢を正してお経をあげる。そうして一日のスタートを切って、と書くと、大層な印象を与えそうだが、ぼくなりに心身のバランスを取っているに過ぎない。
脅すつもりは毛頭ないが、今日のネット社会に伴う情報量の増大は、心臓や血管などの機能を自動的に調節する自律神経に影響を与えずにはおくまい。過剰なつながり、とりわけ無意味で刺激的な情報にあおられていないか。そのチェックと警戒を怠らず、必要な情報を選択できるようになれば、心身は随分とリラックスできるだろう。
さて、今朝もぼくは各停の電車に乗って車窓に目をやった。時折、新緑に目が染まるのはこの季節ならではだ。といって心中、それほど穏やかでないのは、この国の行く末が案じられるからだ。日本を生体と見て診断するなら、コントロール機能の自律神経は、すでに変調をきたしているのではなかろうか。あれほどの大事故を見た原発を再稼働させようなんて何事か。「私の責任で」という首相の言葉にはあきれ果てる。いや大変だ。本当にこの国はどこへ行こうとしているのか。
(専門編集委員)
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私のつぶやき
私にもへんな時代があったのですね。若しもあの時に何らかの手段で無意味な「死」を果たしてしていたら このようなパソコンなど全く知らないで この世を去るところだった。
今 80歳であるがプールで歩いている時や泳いでいるときは実に幸せである。勿論 他のことも幸せである。まことにいい時代を生きてきたものと感慨が深い。
仕事も当時の会社では「終身雇用」が普通だったし社長も「我社ではいくら不況と言っても諸君を解雇することは決してない」が口癖であったし事実 その通りであった。
昭和のよき時代を送ることが出来た。退社したときも未だ年号は昭和だった。
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高校時代は、感受性が強くなりいろいろなことに想いを馳せ
憂鬱な心境に傾く頃なのでしょうか、特に
人生とは・・何のために生きるのか・・
死とは・・死の向こう側では自分はどうなるのか・・
疑問だらけで、その答えを教えてくれる人もそれぞれが違うことを・・
純粋な疑問なのに、それを正面切って語り合う師や友が少なかったと思います
でも、小学6年生の担任の先生は「人は生きる為に生きる。」と授業中に
語られましたので、漠然とですがそうなんだと・・
親に成ってみますと、どんなに貧しくとも困難でも
自分の為ではなく、子供の為に生きようと頑張る姿に
気付くのですね、生き甲斐が出来たということでしょうね、
人生の山や谷を幾度も超えて身体を壊しましたが、それでも
ノイローゼになることもなく走り抜いた今は
自分にご褒美を上げたくなります^^
まずまずの感謝な余生だと・・osamu様も似ておられますか~^^ポチ☆
親はこの子の為・・・があるようですが親の心 子知らず・・・でした。
80歳の今でも何かの時に遠い昔のことを恩い出だします。
コメント&応援 有難うござ生ます。