
「ご飯だよ~」

「判ったよ~」


お互いに何も好んで怒鳴りあっているのではない。
我輩の耳がダメなのである。

カミさんも諦めて怒鳴っている。

TVの音も並外れて大きい。

やがて、カミさんが夕飯をテーブルの上にある我輩のランチョン・マットの上に料理(?)を並べる。
我輩が並べられた夕飯のおかずを覗みこむ。


その姿をカミさんが見て
「あんた、止めなよ・・・」


みっともないと言う。

75歳の我輩は、そんなことには無頓着だ。

我輩は、並べられた、おかづを、じ~ィと 覗きこみ、おお、これでは焼酎が要るな、と判断して台所に足を運ぶ。

「飲むの?」

「あんな、いい“摘み”をほっとく手はないだろう?」

もう、カミさんが何を言っても無駄だ。

25度の焼酎をカップに三分の二入れて後はお湯割りで梅干を一つポトリと落とす。
そしてチビリ・チビリとコップの焼酎を摘みと共に飲む。
こうなったら、もう我輩の世界である。

カミさんは我輩に関係なく隣で食事を始める。

そしてTVを見ながら、我輩に何か言っているが我輩は
「うん、ウン」




何しろカミさんの言うことはさっぱり判らないのだ。
気楽なものだ。
多分、カミさんも、それを承知で喋っていると思う。

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お隣の家の我家側の壁面である。窓が小さく、少ない。
相当我家に気を遣って戴いたようで感謝に耐えない。
お隣さんが昨年から先月に渡り、家を新築された時に我家のほうの窓を殆ど無くされたのも案外、このTVの音の所為かも?
去る或る夏のこと、家の居間に入ってきたカミさんが
「うちのTVの音が前の道路に煩いほど響いているよ」

私の耳が聞こえないので大音量となっているようだ。
我輩も気になり、TVの音を、そのままにして道路に出たがなんともない。
「おい、TVの音が、そんなに大きかったか?」

「大きいよ!」

「へ~ェ」

「何がへ~ェよ、判らないの・・・?」

「ウン、 今、前の道路に出て聞いてみた」

「あんたが?」

「そうだよ」

「音の聞こえない人が外に出て、なにが聞こえるのよ?聞こえる訳無いでしょう?」
「なに!」

「そうよ、だから何時も怒鳴っているのよ」


カミさんは、私が怒鳴るのは我輩の所為だと言う。

たしかに・・・・。


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昨夜、雷があったが私には何も聞こえなかった。

かみさんが
「さっき雷の音が凄かったよ」

「雷?」


「雷の音よりお前の声のほうが大きいよ」


「あの大きな雷が聞こえなくなったの?」


「そんなに大きかったのか?」


「台所でもビックリした位だよ」

「ラジヲにガ~ァ・ガ~ァと煩いくらい雑音が入ったよ」

「雷の訪れか?」

「いよいよ、春も盛りに近づいたか?」

「今年は梅と桜が一緒になりそうだな?」

カミさんは庭に出て
「いい香りがするよ」

匂いは全くわからない。

お陰か?どうか判らないが「花粉症」にも関係ない。

我輩のおかずの覗く癖(?)は治らない。

子供の時は迷い箸と共に親父からコピットク叱られたものだが、今は、これも爺になった爺の役得かな?
孫も居ないし・・・。

これでは、お互い、お里が知れると、いうものだ。

こんな生活の出来事が毎日続いている。

くそ爺の生臭い、さまである。

PS:昨日の記事に、いきなりお隣の家の話を書いていた。

おかしいと思ったら、ここが抜けていた。

ウチの相方も耳が遠くテレビのボリュームを大きくします。
よそ見している間にわたしは小さくします。
これの繰り返し…!
相方と話す時は大きな声で…
娘と、うっかりそのトーンで話すと『耳が痛い~』って叱られます。
我家に娘が来たときはTVは切ります。
娘から凄い文句を食らいます。
一度、娘から「TVの音が大きすぎるよ!これでは母さんの耳も悪くなるよ」ときついお叱りを受けました。
親父の権威など全くありません。
カミさんには私は怒鳴りますがね・・・。娘からは怒鳴り返されます。
私は釣った魚を持って来た娘に買収されているようです。文句を言い返す前に既に魚の味を夢見ている始末です。
娘もカミさんに似てきました。親子ですね。