カミさんが
「もうお正月よ」
「少し机の上を片付けたら?」とお小言を頂戴した。
見れば?と言っても目前に在る吾が机である。
言われるまでも無く私の机の上は本や雑品?が山と積んである。
調べ物をする時に本棚から出して、そのまま机の上に積んで置く昔からの私の習性は幾ら歳を取っても変わらない。
お正月も近いし、少し片付けるか?
と机の上の本を、それぞれの分野に分けて積みなおす。
建築、宗教、歴史、パソコン、雑 等に分類しながら積みなおすと、それぞれ結構な高さになり自分で驚く。
それから傍らの本棚にそれぞれ差し込む!ところがである。
最初に整理したパソコン分野は直ぐに一杯になり本が入らない。
そのほかのところも同様である。
多分、新しく買い込んだ本が、かなりあるようだ。
未だ机の上には、それぞれの分野の本が数十冊も残っている。
さて、どうするか?
何しろ、新しく本棚を買っても置く場所がない。
私の部屋は結婚して我家を後にした娘の部屋だ。
せいぜい6畳も無い。
部屋は机(娘が使っていた学習机、と、スタンド机を、その時の調べ物により二つの机を使い分けている)、パソコン・ラック、本棚(幅4尺、高さ6尺)、オーデオ・ラック、TV・ラック、小物入れの子箪笥、
そして一番場所をとっている寝台だ。
このような次第で実のところ足の踏み場も無いほど時には床に物が散らばっていることもある。
何かに夢中になっているときは、何かを下に落としても気が付かなく、後で机を離れた時に足元に雑誌や小物が落ちていても私は気にしなく跨いで部屋を出る。
ただ本だけは拾って机の上に置くが・・・。
それが、つもり積もって、足の踏み場もなくなる。
流石にカミさんも、これには怒る!
然し平然としている私には閉口するらしく、カミさんなりに足元は片付けてくれる。
そのような次第で私の部屋は塵屋敷と化している。
今、それを片付け始めたが、この片づけが難しい!
平素、片付け慣れていないからだ。
一応、本だけはナントカしようと本棚を見ながら不要な本を摘まみ出す。
不要と言っても雑誌類は置いてない。殆どが専門誌である。
カミさんは不要な本は捨てろ!と煩い!
「専門書だから・・・」と言っても
「貴方が読むだけでしょ!誰も読まないよ!」だから捨てろと喧しい限りだ。
先日はついに「原色百科事典」全24巻全て廃棄したばかりだ。
「日本庭園」全12巻、同じく、思い出の深い○森○途先生著の「日本庭園」も廃棄した。
「作庭記」は流石に捨て切れなかった。
「古都京都」全12巻は捨てきれずに、たまたまカミさんの妹が来宅した折にお持ち帰りを願った。
と、その都度、私なりに整理(廃棄)はしている心算だが、今、残っているものは、それほどの価値はない。
とは言うものの、つい、そのまま手元に置いてしまう。
今回は、再び
「えィ!」とばかりに「江戸物知り辞典」、他 数点を廃棄して本棚に隙間を作り机の上の本を納めた。
廃棄した本と今回保存した本のどちらに価値があるかは、余り考えたくない。
そんな、こんなで数冊残った本を差し込もうとしたら遂に本棚がパンクしそうになった。
やっと、無理をして一冊入れた途端にバサッと、その段の本が纏めて落下!
「くそ~」
また、入れなおして一冊突っ込むと再び数冊落下する。
まるで「権兵衛が種まきゃカラスが穿る」を地でいっている。
これで午前中が潰れた。
未だ机の上は完全に片付いてはいない。
どうも、片付けると、つい、その本に関連した、昔、捨てた本が懐かしく想いだされて整理の手が滞る。
年寄りはダメだな~ァ!
子供の時から「本は大事にしろ」と言う教えが身体に焼き付いているようだ。
以前、○○○の公民館の図書館に行き
「不要な本があるので引き取って頂けませんか」と尋ねたら
「ここは廃品回収所ではありません」と断られたが
「見るだけ見ていただけないか?」と再度頼むと
「拝見するだけですよ」とのことで、「日本庭園」24巻、他、日本庭園の専門書 全12巻、「日本の城」全12巻、灯篭、他 数十点をお見せすると庭園とお城は受け取って頂いた。
後は我家の塵として処分した。
考えれば我家が広ければ、これら今まで廃棄した数百点の本も保存できたろうに可哀想な事をしたものだ。
過って私も漫画に凝り作家毎の連続漫画を数百点集めたこともあるが全て廃棄し
た。
今、廃棄を考えているのは昭和60年前後の発行の昭文社の「エリアマップ」だ。
私が山登りに熱中していた頃に買い求めた「山の地図」である。
今は山子屋など無いものもあり使い物にならない。
それが50冊くらいある。
この地図もやがて私、亡き後は廃棄処分だろう。
随分と思い出の多い地図だが・・・
それは私自身のみの、ものであるから、家族には関係ない。
私の知人は
「本は買わない」と、よく言っていたが、理由は
「な~に、国会図書館に行けば、どんな本でもあるよ」と言っていたが私は未だ「国会図書館」には行ったことがない。
一度行って見たいとは想っているが生きているうちに行けるかな~?
然し、目的も無いのに言っても詰まらないが?でも、遠いな~ァ
また、歳をとり、全てが益々遠くなる。近くなるのは冥土の道か?
「もうお正月よ」
「少し机の上を片付けたら?」とお小言を頂戴した。
見れば?と言っても目前に在る吾が机である。
言われるまでも無く私の机の上は本や雑品?が山と積んである。
調べ物をする時に本棚から出して、そのまま机の上に積んで置く昔からの私の習性は幾ら歳を取っても変わらない。
お正月も近いし、少し片付けるか?
と机の上の本を、それぞれの分野に分けて積みなおす。
建築、宗教、歴史、パソコン、雑 等に分類しながら積みなおすと、それぞれ結構な高さになり自分で驚く。
それから傍らの本棚にそれぞれ差し込む!ところがである。
最初に整理したパソコン分野は直ぐに一杯になり本が入らない。
そのほかのところも同様である。
多分、新しく買い込んだ本が、かなりあるようだ。
未だ机の上には、それぞれの分野の本が数十冊も残っている。
さて、どうするか?
何しろ、新しく本棚を買っても置く場所がない。
私の部屋は結婚して我家を後にした娘の部屋だ。
せいぜい6畳も無い。
部屋は机(娘が使っていた学習机、と、スタンド机を、その時の調べ物により二つの机を使い分けている)、パソコン・ラック、本棚(幅4尺、高さ6尺)、オーデオ・ラック、TV・ラック、小物入れの子箪笥、
そして一番場所をとっている寝台だ。
このような次第で実のところ足の踏み場も無いほど時には床に物が散らばっていることもある。
何かに夢中になっているときは、何かを下に落としても気が付かなく、後で机を離れた時に足元に雑誌や小物が落ちていても私は気にしなく跨いで部屋を出る。
ただ本だけは拾って机の上に置くが・・・。
それが、つもり積もって、足の踏み場もなくなる。
流石にカミさんも、これには怒る!
然し平然としている私には閉口するらしく、カミさんなりに足元は片付けてくれる。
そのような次第で私の部屋は塵屋敷と化している。
今、それを片付け始めたが、この片づけが難しい!
平素、片付け慣れていないからだ。
一応、本だけはナントカしようと本棚を見ながら不要な本を摘まみ出す。
不要と言っても雑誌類は置いてない。殆どが専門誌である。
カミさんは不要な本は捨てろ!と煩い!
「専門書だから・・・」と言っても
「貴方が読むだけでしょ!誰も読まないよ!」だから捨てろと喧しい限りだ。
先日はついに「原色百科事典」全24巻全て廃棄したばかりだ。
「日本庭園」全12巻、同じく、思い出の深い○森○途先生著の「日本庭園」も廃棄した。
「作庭記」は流石に捨て切れなかった。
「古都京都」全12巻は捨てきれずに、たまたまカミさんの妹が来宅した折にお持ち帰りを願った。
と、その都度、私なりに整理(廃棄)はしている心算だが、今、残っているものは、それほどの価値はない。
とは言うものの、つい、そのまま手元に置いてしまう。
今回は、再び
「えィ!」とばかりに「江戸物知り辞典」、他 数点を廃棄して本棚に隙間を作り机の上の本を納めた。
廃棄した本と今回保存した本のどちらに価値があるかは、余り考えたくない。
そんな、こんなで数冊残った本を差し込もうとしたら遂に本棚がパンクしそうになった。
やっと、無理をして一冊入れた途端にバサッと、その段の本が纏めて落下!
「くそ~」
また、入れなおして一冊突っ込むと再び数冊落下する。
まるで「権兵衛が種まきゃカラスが穿る」を地でいっている。
これで午前中が潰れた。
未だ机の上は完全に片付いてはいない。
どうも、片付けると、つい、その本に関連した、昔、捨てた本が懐かしく想いだされて整理の手が滞る。
年寄りはダメだな~ァ!
子供の時から「本は大事にしろ」と言う教えが身体に焼き付いているようだ。
以前、○○○の公民館の図書館に行き
「不要な本があるので引き取って頂けませんか」と尋ねたら
「ここは廃品回収所ではありません」と断られたが
「見るだけ見ていただけないか?」と再度頼むと
「拝見するだけですよ」とのことで、「日本庭園」24巻、他、日本庭園の専門書 全12巻、「日本の城」全12巻、灯篭、他 数十点をお見せすると庭園とお城は受け取って頂いた。
後は我家の塵として処分した。
考えれば我家が広ければ、これら今まで廃棄した数百点の本も保存できたろうに可哀想な事をしたものだ。
過って私も漫画に凝り作家毎の連続漫画を数百点集めたこともあるが全て廃棄し
た。
今、廃棄を考えているのは昭和60年前後の発行の昭文社の「エリアマップ」だ。
私が山登りに熱中していた頃に買い求めた「山の地図」である。
今は山子屋など無いものもあり使い物にならない。
それが50冊くらいある。
この地図もやがて私、亡き後は廃棄処分だろう。
随分と思い出の多い地図だが・・・
それは私自身のみの、ものであるから、家族には関係ない。
私の知人は
「本は買わない」と、よく言っていたが、理由は
「な~に、国会図書館に行けば、どんな本でもあるよ」と言っていたが私は未だ「国会図書館」には行ったことがない。
一度行って見たいとは想っているが生きているうちに行けるかな~?
然し、目的も無いのに言っても詰まらないが?でも、遠いな~ァ
また、歳をとり、全てが益々遠くなる。近くなるのは冥土の道か?
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