思い立ったが、吉日
急に鎌倉に行きたくなり、そうだ!建長寺に行かねば!
急いで?身支度?をして家を出た。
最寄のバス停まで家から約150m 其処まで歩くのにも足を引きずるような具合である。
バスの時間表を見ていると目の端に、こちらに来るバスが見えた。
急いで時間表を見ると10時14分の「衣笠十字路」行きであった。
時間に合わせて家を出たわけではないがなんと間のいいこと!
衣笠十字路で降りて駅まで歩くが何処で蚊に刺されたのか、腕が痒い!
痒くて堪らなく近くの薬局に飛び込み
「“○ヒ”と“虫除けスプレー”を下さい」と叫ぶ!
「○ヒは吹き付けですか?塗るチューブですか?」
「塗るのです。もう蚊に刺されたらしく凄く痒いのです」
早くも衣笠駅 秋空が綺麗に晴れています。
北鎌倉駅で降りたがすごい暑さだ!改札を出た途端 汗がでる。
駆け込み寺 ↓ 東慶寺の境内を入り口から見た。↓
建長寺の入り口の門 ↓
扁額のある門
建長寺の門には山福巨(巨福山)と書いた扁額が掲げられている。
この巨の字に要らぬ“点”がある。
この点を指して余人は百万貫の点と言ってもて囃している。
バカの我輩が察するに書家を自認する社長が自社(?)の看板に社名を書いて書き損じたところ、周りの陣笠が
「これはいい字です!」と字が上手いと称される社長の誤りを正さずに、ご機嫌取りに
「そのまま掲げましょう」と掲げたようなものだと思う。
書に自信のないバカな私はやはり誤りは誤りで、もしも子供から
「この字へんだよ?」と尋ねられたら即座に
「この字は間違っているよ」と言うつもりである。
そして間違いない正しい字を教えて置く。
学校の先生なら そうするだろうと思う。
仮にも「なんて素敵な字でしょう!」とは言わないと思うが・・・。
下手でも正しい字がいいと思う。
因みに
良寛さんが嫌いなものとしてあげた三つのものがある
これは↓以前あるHPで見た文章の引用である。
HPのアドレスを控えなかったので失礼します。*今後は控えるようにします。
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反対に嫌いなものが鈴木文台の「草堂集・序」に見える。
「……貧道(私)の好まざるもの三あり。詩人の詩、書家の書、膳夫(料理人)の調食(料理)……」
これは、さとりくさき話、学者くさき話、風雅めいた話、茶人くさき話を避けたいものだという良寛の戒語にも通じる感想で、専門家の陥りやすい倒錯に対する警告でもある。
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建長寺境内をビッコを引きながら歩くがとても辛い!
上の釣鐘は1255年物部重光の作と説明書がありました。↑銘文の中に「建長禅寺」とあるそうです。
方丈の裏庭ですが、随分と変わりました! ↓
帰りは鎌倉駅まで歩いて鶴が岡八幡宮前の縁結びでもある“段桂“を歩きたかったのですが、あまりの足の膝の痛さに耐えかねて、建長寺でバスに乗り帰途についた。
衣笠駅でカミさんに迎えに来てもらう。とても歩けない!
秋とは思えない暑い日だった。
この残りは、また気が向けば次回に・・・
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沼じじさんの思い出
彼が何故?ブログを止めたか?
それは良寛さんの逸話に出てくる巻弘斎の書と、弘斎の送別会で、さり気なく語った頼山陽の“虎”と“狸“のことを思い出す。
つまり私がその弘斎の立場であったのかな?と思う。
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私自身は弘斎のような才能は全くないのですがね。
少々IQの低い”くそ爺“に過ぎませんが・・・。
沼じじさんは正に頼山陽のように学識の高い方でした。
私が余りにも出しゃばり、大変に申し訳ないことをしたようです。
ごめんなさいね。
今頃は気楽にパーク・ゴルフをなさりながら自分史を書いておられることでしょう・・・。
もう寒い冬がそこまで来ています。お身体には気をつけて下さい。
時に気侭に書かせてもらいます。もしもお目に留まれば読み流して戴ければ幸いです。
osamuさんの足が心配です。寒くなりますので
どうぞ、お体ご自愛ください。
急に思い立っての鎌倉建長寺へのご訪問、どんな思い立ちがあったのかな??
osamuさまならではの視点で捉えられた建長寺の記事や写真、興味深く拝見しました。
写真とってもクリアーに撮れていますね。
北鎌倉駅から少し歩きますので、お疲れになったでしょう・・・
北鎌倉駅周辺のお寺さんを巡り、八幡宮で参拝し、鎌倉駅に抜けるのがいつもの散歩道でした。
どうぞあまり無理をなさらないでくださいね。
そちらのほうがとっても心配です。
お膝へは勿論適したサポーターをされて歩かれていますよね?
痛みがある時は無理は禁物ですので。。。
ありがとうございました。
ご主人の母校ですか?いい学校へ行かれましたね。私が出た学校の名前も、なぜか?”修道中学”と言っています。お坊さんの学校ではないですが・・・。
私の足を心配していただき恐縮です。有難うございます。この膝は太り過ぎで膝関節が荷重に耐えかねているだけです。痩せれば治ると思いますが、何しろ食べ物に卑しいものですから・・・。
カミさんから「また、食べている!」と叱られてばかりです。時には「ハナでも摘まんで我慢しなさい!」とも言われます。
方丈の裏庭は改修されて昔のイメージとダブりませんでした。私の思い込みが激しかったのでしょう?
膝のサポーターは太極拳の練習には使っていますが普段は使いません。これから寒くなるので使いたいと思っていますが?私の太ももが大きいので、そこらの薬局では売っていないのです。
うっかり買って来て小さ過ぎたことが再々です。
いつもネットで取り寄せています。カミさんが私のウエストくらいもある!と言って笑っています。そんなには太くはないですが?・・・。
でも歳と共に萎みました。(笑)
解説 をググリました。少々不安になりましたので・・・。
>良寛は嫌いなものが三つあると言っている。
貧道の嗜まざる所三あり。曰く詩人の詩。書家の書。庖人の餞これなり。
良寛はどうしてこれを嫌ったのだろうか。貧道とは自分、嗜まざるはしたくないことである。これは彼の思想を端的に表していると思う。専門家を自称する人の、そしてその作品の中には、真心がこもっていない、驕慢な俗臭を感じることが多々あったからではなかろうか。曹洞宗の僧侶として円通寺で厳しい修行をし道元の教えを信奉した良寛の「仏法の清浄心」と相入れないものを感じたからではなかろうか。彼は沢山の詩歌を作っている。しかし「私の詩は詩ではない」と言っている。書も高い評価を得ている。しかし彼は己に対しては謙虚にあくまでも無に徹した生き方を実践、追及していたのだと思う。<
流石 良寛 凡人と言うより愚人の私の記憶の遠くにある 朧な記憶を呼び出しました。読んだ時の印象がよほど強かったのでしょうね。osamu