今日も奥尻の竜巻の話題が報道されている。
近頃はお天気の気まぐれも少々度が過ぎてきたようだ。先日から
「地下鉄車両は何処から入れる?」ではないが竜巻対策を徹夜で考えた?
がIQの低い私では良い案は中々出てこないがカミさんの
「(竜巻が)来たらどうすればよいの?」とカミさんから聞かれたことが頭から離れない!
どうも、一応、建築屋の端くれとして何か方法はあるはずと思う。
そこで思い付いたのは床下だ!
基準法では床の高さは45cmと決めてあるが、考えれば この数字に私は囚われていたようだ。
田舎の家では床の高さは3尺はある。
今の我家では床下は這っても太った私など入り辛(ツラ)い。(床の高さは基準法通りである)。
つまり最低の基準である!
田舎に建つ旧我家の床下などは四つん這いで十分に床下を這いまわれる。
そこで、家を建てる時に床の高さを1mになるように布基礎の高さを敷地地盤からの高さから調整すればよい。
現在、住宅建設業界で建てられている多くの木造の建物の床下は殆どコンクリートのべた打ちになっている。
そこで床の高さを基準GLから1.0m以上にすれば床下の空間は高さが75cmくらいは保てる。
つまり床下に座るだけの避難所が出来る。
地震、竜巻等の一時床下避難場所の広さは差し向き畳3畳の広さでよい。
それだけ建築時のコストは割り高になっても家の寿命は防湿効果もあり、施工方法によっては夏涼しく、冬暖かい家造りも可能になる。
その上、家の耐久性も良くなり予想外の利点も生ずると想像されるから元は取れる。
非難場所に設定した場所には布基礎に50cm×80cm位の扉を脱出用に必要箇所につけて置くと充分だ。
日本の高温多湿の風土には床が高いことは非常によい。
第二種住居専用地区でも住宅の高さの制限は軒高13mだ。地盤から1m以上の高さの布基礎で家を支える。
その為に二階建てくらいでは家の高さが、この高さ制限に抵触することはない。
今度、我家を立て直す時は床の高さを布基礎の高さでGLより1m以上にして建てればよい。
問題点は道路から家に入る時の段差であるが、これはスロープか、3~5段の階段か伸べ段でなんとかなりそうだ。
要は家の中に核シェルターならぬ頑丈な緊急待避所を造って置くことだ。
戦時中に防空壕を各家庭で造ったように・・・・。
家の造り方は「つれづれ草」の兼行法師の言葉に下記の記述がある。以下抜粋
徒然草 第五十五段
家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪え難き事なり。
深き水は、涼しげなし。浅くて流れたる、遥かに涼し。細かなる物を見るに、遣戸は、蔀の間よりも明し。天井の高きは、冬寒く、燈暗し。造作は、用なき所を作りたる、見るも面白く、万の用にも立ちてよしとぞ、人の定め合ひ侍りし。
<口語訳>
家の作りようは、夏をむねとする。冬は、いかなる所にも住める。暑き頃わるい住居は、堪へ難い事だ。
深い水は、涼しげがない。浅く流れている、遥かに涼し。細かな物を見るのに、遣戸(やりど)は、蔀(しとみ)の間よりも明るい。天井が高いのは、冬寒く、燈暗い。造作は、用のない所を作っておく、見るのも面白く、万の用にも立って良い事と、人が定めあいました。
以上 抜粋
上記のように「つれづれ草」にも「家は夏向きに造るのがいい」と記載してあるが、けだし名言である。
古代建築も「天地根元造り」から「高床造り」に変化している。
これは日本の気候風土に適したように縄文から弥生時代の高床式建築に進化している。
穀物倉庫も高床式では柱には鼠返しすら付いている。
今から2千年以上も前のことである。
それが、いつの間にか床高も段々と低くなり現在の45cm(建築基準法)に退化した。
話は変わるが1例として日本庭園の池の底の造りも平安時代は池の底の三和土(タタキ)の厚さが1尺はあった。
(三和土の下は細砂、荒砂、豆砂利、小砂利、栗石と厚さは約2~3尺と聞く)が時代を下ると三和土の厚さは7寸になり、江戸時代は5寸にまでも薄くなった。
お陰で関東大震災では江戸時代に作られた庭園の池は全滅に近い打撃をうけた。
その点、奥州の藤原清衡(1056-1128)、基衡(-1157?)父子によって再興された「毛通寺」の庭の池は完全に復旧されている。(日本最古の純粋な浄土庭園でもある)
平安時代の貴族屋敷は「方(ホウ)1町(イッチョウ)(100M×100M)」と言われる広さがあり(約3千坪)、家と庭園の広さの比は3:7くらいだったようである。
つまり、面積は家が3で庭が7である。
この比率は時代が下ると共に逆転する。
庭の池の水は屋敷の鬼門よりとり入れ水路で屋敷の雑舎から北対を通し寝殿の側を流し池に流しこんでいる。
鑓水は鬼門から入れ裏鬼門に流している。
(鑓水:ヤリミズ:といって西国浄土に家の中の穢れを流す思想)が、時代が下る毎に邸宅の規模は小さくなってきて庭に池など作る余裕がなくなった。
現在は庭のない家が大部分である。
マンションなど最たるものといってよい。
生活に潤いがなくなって何事も気ぜわしくなった所為か?
心豊かな生活にはやはり潤いのある日常生活を送ることだ。
まァ、我家の庭は庭とは呼べないがそれなりに私を慰めてくれる。
緊急時の逃げ道にもならないが、もうこの歳の私にはそれも用のないことと諦めている。
カミさんは別だ。カミさんは諦めることを知らない。
ただ一つ諦めているのはこの私のダメな性格の是正だね。(苦笑)
TVで米国や欧州の家を見ると実に羨ましいばかりの広さである。
悪戯に外国を妬んでも仕方がないが、日本に住めばそれなりに気候風土にあった家屋がいい。
今回の竜巻の被害にフト日本のこれからの木造の個人住宅について、どのように対策をすればよいか考えた。
結論は前に書いたように建築時に予め床下に緊急避難所を造って置くのが良いように思う。
勿論 家が倒壊しても外部に出られるトンネル状態の脱出口は必要だ。
どう見ても詰まらぬ結論だ!タイトルの通りだな!
然し、「床下に緊急避難所在り!」は「売り」になるがな~ァ
近頃はお天気の気まぐれも少々度が過ぎてきたようだ。先日から
「地下鉄車両は何処から入れる?」ではないが竜巻対策を徹夜で考えた?
がIQの低い私では良い案は中々出てこないがカミさんの
「(竜巻が)来たらどうすればよいの?」とカミさんから聞かれたことが頭から離れない!
どうも、一応、建築屋の端くれとして何か方法はあるはずと思う。
そこで思い付いたのは床下だ!
基準法では床の高さは45cmと決めてあるが、考えれば この数字に私は囚われていたようだ。
田舎の家では床の高さは3尺はある。
今の我家では床下は這っても太った私など入り辛(ツラ)い。(床の高さは基準法通りである)。
つまり最低の基準である!
田舎に建つ旧我家の床下などは四つん這いで十分に床下を這いまわれる。
そこで、家を建てる時に床の高さを1mになるように布基礎の高さを敷地地盤からの高さから調整すればよい。
現在、住宅建設業界で建てられている多くの木造の建物の床下は殆どコンクリートのべた打ちになっている。
そこで床の高さを基準GLから1.0m以上にすれば床下の空間は高さが75cmくらいは保てる。
つまり床下に座るだけの避難所が出来る。
地震、竜巻等の一時床下避難場所の広さは差し向き畳3畳の広さでよい。
それだけ建築時のコストは割り高になっても家の寿命は防湿効果もあり、施工方法によっては夏涼しく、冬暖かい家造りも可能になる。
その上、家の耐久性も良くなり予想外の利点も生ずると想像されるから元は取れる。
非難場所に設定した場所には布基礎に50cm×80cm位の扉を脱出用に必要箇所につけて置くと充分だ。
日本の高温多湿の風土には床が高いことは非常によい。
第二種住居専用地区でも住宅の高さの制限は軒高13mだ。地盤から1m以上の高さの布基礎で家を支える。
その為に二階建てくらいでは家の高さが、この高さ制限に抵触することはない。
今度、我家を立て直す時は床の高さを布基礎の高さでGLより1m以上にして建てればよい。
問題点は道路から家に入る時の段差であるが、これはスロープか、3~5段の階段か伸べ段でなんとかなりそうだ。
要は家の中に核シェルターならぬ頑丈な緊急待避所を造って置くことだ。
戦時中に防空壕を各家庭で造ったように・・・・。
家の造り方は「つれづれ草」の兼行法師の言葉に下記の記述がある。以下抜粋
徒然草 第五十五段
家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪え難き事なり。
深き水は、涼しげなし。浅くて流れたる、遥かに涼し。細かなる物を見るに、遣戸は、蔀の間よりも明し。天井の高きは、冬寒く、燈暗し。造作は、用なき所を作りたる、見るも面白く、万の用にも立ちてよしとぞ、人の定め合ひ侍りし。
<口語訳>
家の作りようは、夏をむねとする。冬は、いかなる所にも住める。暑き頃わるい住居は、堪へ難い事だ。
深い水は、涼しげがない。浅く流れている、遥かに涼し。細かな物を見るのに、遣戸(やりど)は、蔀(しとみ)の間よりも明るい。天井が高いのは、冬寒く、燈暗い。造作は、用のない所を作っておく、見るのも面白く、万の用にも立って良い事と、人が定めあいました。
以上 抜粋
上記のように「つれづれ草」にも「家は夏向きに造るのがいい」と記載してあるが、けだし名言である。
古代建築も「天地根元造り」から「高床造り」に変化している。
これは日本の気候風土に適したように縄文から弥生時代の高床式建築に進化している。
穀物倉庫も高床式では柱には鼠返しすら付いている。
今から2千年以上も前のことである。
それが、いつの間にか床高も段々と低くなり現在の45cm(建築基準法)に退化した。
話は変わるが1例として日本庭園の池の底の造りも平安時代は池の底の三和土(タタキ)の厚さが1尺はあった。
(三和土の下は細砂、荒砂、豆砂利、小砂利、栗石と厚さは約2~3尺と聞く)が時代を下ると三和土の厚さは7寸になり、江戸時代は5寸にまでも薄くなった。
お陰で関東大震災では江戸時代に作られた庭園の池は全滅に近い打撃をうけた。
その点、奥州の藤原清衡(1056-1128)、基衡(-1157?)父子によって再興された「毛通寺」の庭の池は完全に復旧されている。(日本最古の純粋な浄土庭園でもある)
平安時代の貴族屋敷は「方(ホウ)1町(イッチョウ)(100M×100M)」と言われる広さがあり(約3千坪)、家と庭園の広さの比は3:7くらいだったようである。
つまり、面積は家が3で庭が7である。
この比率は時代が下ると共に逆転する。
庭の池の水は屋敷の鬼門よりとり入れ水路で屋敷の雑舎から北対を通し寝殿の側を流し池に流しこんでいる。
鑓水は鬼門から入れ裏鬼門に流している。
(鑓水:ヤリミズ:といって西国浄土に家の中の穢れを流す思想)が、時代が下る毎に邸宅の規模は小さくなってきて庭に池など作る余裕がなくなった。
現在は庭のない家が大部分である。
マンションなど最たるものといってよい。
生活に潤いがなくなって何事も気ぜわしくなった所為か?
心豊かな生活にはやはり潤いのある日常生活を送ることだ。
まァ、我家の庭は庭とは呼べないがそれなりに私を慰めてくれる。
緊急時の逃げ道にもならないが、もうこの歳の私にはそれも用のないことと諦めている。
カミさんは別だ。カミさんは諦めることを知らない。
ただ一つ諦めているのはこの私のダメな性格の是正だね。(苦笑)
TVで米国や欧州の家を見ると実に羨ましいばかりの広さである。
悪戯に外国を妬んでも仕方がないが、日本に住めばそれなりに気候風土にあった家屋がいい。
今回の竜巻の被害にフト日本のこれからの木造の個人住宅について、どのように対策をすればよいか考えた。
結論は前に書いたように建築時に予め床下に緊急避難所を造って置くのが良いように思う。
勿論 家が倒壊しても外部に出られるトンネル状態の脱出口は必要だ。
どう見ても詰まらぬ結論だ!タイトルの通りだな!
クソ爺よモットいい知恵は出ないのか!
然し、「床下に緊急避難所在り!」は「売り」になるがな~ァ
私自身:自分に呆れています!(笑)