奥蓼科、御射鹿池。
東山魁夷画伯が1972年に発表した『緑響く』のモデルになったところ、
最近は毎年夏と秋に訪れていますが昔と比べると樹が成長しすぎて緑響くの白馬のイメージが浮かびにくい。
私が最初に訪れたのは1968年稲子湯から天狗岳をやり渋の湯へ下りここまで歩いてきた。
当時は樹もまだ小さく雰囲気はとても良かったことを思い出す。
奥蓼科、御射鹿池。
東山魁夷画伯が1972年に発表した『緑響く』のモデルになったところ、
最近は毎年夏と秋に訪れていますが昔と比べると樹が成長しすぎて緑響くの白馬のイメージが浮かびにくい。
私が最初に訪れたのは1968年稲子湯から天狗岳をやり渋の湯へ下りここまで歩いてきた。
当時は樹もまだ小さく雰囲気はとても良かったことを思い出す。