萌黄の払沢の滝
浮釣り木が咲いた自宅の浮釣り木が咲いた咲いたというよりつぼみが出たというほうが正しいかもブラジル原産だから寒さには少し弱い地植で育てる品種だが狭い花壇なのでそうも......
一年前の記事は新緑の払沢の滝です
その前の年は自宅の浮釣り木です
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南信州の桜の続きです
豊丘村には笹見平のしだれ桜と言う古木桜があるが何回も行ってるので今回は行きませんでした
河岸段丘に泉龍院と言う古刹があるので参拝がてら伺ってみた
一時期衰退したようですが知久氏が交代寄合として返り咲きその庇護で発展してきた寺院の様です
立派な山門は文政元年建立だそうです
脇に枝垂があるがまだ若い
藤が有名ですがまだ咲いてない
本堂の裏側の墓地に枝垂が一本あるので登ってみる
ここは天竜川を挟んで明治まで続いた交代寄合座光寺家の山吹陣屋と対峙してる
山門の右に横浜ゴム長野工場の白い屋根が見えるがその上の段丘の高くなってる所の先端に陣屋跡があり末裔のお住まいがある
上の写真はこの枝垂の下から撮影です
チョッと形の悪い若い枝垂ですが千畳敷カールをバックに
交代寄合は時代小説家の佐伯泰英が書いた「交代寄合伊奈衆異聞」全23巻が広めていったように思う
信濃伊奈衆は阿島陣屋の知久家、伊豆木陣屋の小笠原家、山吹陣屋の座光寺家の三家があった
座光寺家の江戸屋敷はあったんだろうか?
座光寺家は最大時1400石あったようだが1000石チョッとで大名格を維持するのは大変だったのではないか
参勤交代は免除されてたようですが
若いころ、歴史書で100石の大名と言う文言を見かけ勉強したのが交代寄合を知るきっかけになりました
調べると参勤交代をやらなくてよかった大名(大名格)が大勢いたことが分かりました
確か新田義貞の末裔は120石くらいの交代寄合だったようだ
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