明治22年(1889年)に高知県安芸郡の奈半利に私立学校が出来ていたのです。都会では私立の学校って珍しくもないのですが、田舎ではあまり聞いたことがないのです。
なにしろ、明治22年(1889年)のことですからね。
かの大隈重信翁による早稲田大学の前身・東京専門学校が出来たのが1882年ですから、遅れること7年程度なのです。
明治19年に修行年月4年の尋常小学校を設置したのですが、明治22年に田野に高等小学校が出来ることになったのですが、奈半利にはできないとなったことから、奈半利の藤村米太郎・竹崎才吉・包国可治等の有志が尽力して、奈半利に私立高等小学校を設立したそうな。
なんか、昔の実業家って凄いのです。
明治27年には修行4年の高等小学校を尋常小学校に併設することで、その役割を終えるものの、ここには北川村の児童も通学するようになったのです。
いつも間にか、地域に住む私たちにとって、学校という存在への意識が希薄となり、児童を持つ親と行政の仕事とに任せていたように思います。
地域の子供たちを、地域で育てるために町立の学校があるのです。そうしたことをつい忘れてしまうのです。
先輩達の熱意に乾杯です。
なにしろ、明治22年(1889年)のことですからね。
かの大隈重信翁による早稲田大学の前身・東京専門学校が出来たのが1882年ですから、遅れること7年程度なのです。
明治19年に修行年月4年の尋常小学校を設置したのですが、明治22年に田野に高等小学校が出来ることになったのですが、奈半利にはできないとなったことから、奈半利の藤村米太郎・竹崎才吉・包国可治等の有志が尽力して、奈半利に私立高等小学校を設立したそうな。
なんか、昔の実業家って凄いのです。
明治27年には修行4年の高等小学校を尋常小学校に併設することで、その役割を終えるものの、ここには北川村の児童も通学するようになったのです。
いつも間にか、地域に住む私たちにとって、学校という存在への意識が希薄となり、児童を持つ親と行政の仕事とに任せていたように思います。
地域の子供たちを、地域で育てるために町立の学校があるのです。そうしたことをつい忘れてしまうのです。
先輩達の熱意に乾杯です。