ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

なはりB 地点

2010-04-20 16:28:54 | 昔話
 軍事戦略上の理由からでしょうか、また大きな木材を上流から流していたことから、橋脚を作っても安全が保たれないとしたのでしょうか、奈半利川には橋が架かっていなかったことから、色々な物語が伝わっています。

 上流から水に乗せて木材を流す以外に海岸まで木材を運搬をする方法がなかったのですから、このあたりで回収をしていたはずなのです。
 さらに、野根山街道を通ってきた方々が高知に向かうため、渡し場を通過したのです。
 そしてこのあたりには、奈半利川の川湊・奈半の泊まりがあったそうで、荷物を船舶に積み込んだり、おろしたりと、大層な賑わいがあったところなのです。

 このあたりなのです。



 昔々、この渡しに、大変欲の深い「渡し守」がいて、旅人を小船で対岸へ渡していたそうな。
 ある年の夏、一人の老遍路が渡し場へたどり着き、「一文無しの遍路でございます。どうか善根で渡していただけないでしょうか」といったそうな。

 欲の深い渡し守は即座に、「駄目だ、ただで渡しよったら、こっちの口が干上がるワ。」

 と渡してくれない。困り果てた老遍路は川原に座って、往復する船を眺めていたそうな。

 やがて日も暮れて、渡し守は船を岸につないで帰ろうとしたが、川原に座って遍路を見つけて声をかけたそうな。
 「おい。遍路、お前の生国はどこぞ?」
 「はい、国は丹波の国でございます。」
 
 「そうか。丹波の国には大江山という山があって、鬼がおるそうなが、今でもおるか」
 と聞いたそうな。
 そしたら、遍路は「いいえ、今はおりません。」
 「そしたらその鬼は何処へ行ったぞ。」
 「はい。その鬼は土佐へ追放になって、奈半利川の渡し守をしておるそうでございます。」

 お遍路の精一杯の皮肉を聞いて、渡し守も思うところがあったとみえて、遍路を向こう岸へ渡してやったと。

 
 こんな話が残っています。
 お遍路さんの一生懸命さが伝わってきます。奈半利川の渡し守と遍路さんの話です。
 いかにもといったところです。

 ただ奈半利川の渡し守については、1601年山内一豊が土佐初入国の際、危険を顧みず、川田某が川渡しに尽力をしたことから、末代までの渡し守を許されていたのです。
 話は話。真偽の程は分かりません。

 この辺りが、人の交通や物資の流通基地として賑わっていたことは、間違いのないことでしょう。
 雨が降って水かさが増すと、川止めとなり、奈半利の旅館や飲食店が賑やかになったそうな。
 奈半利B地点としました。今昔物語といったところです。

最新の画像もっと見る