ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

資料雑感。1

2010-06-16 11:08:48 | 昔話
 県史やら、町史等をぺらぺらとめくっておりますと、時々??と思うときがあります。
 結構楽しい時間なのです。
 歴史好きには推理することが出来るのですから、楽しい時間なのです。
 下記の資料は、明治当初の人口調査の報告です。


明治3年(1870) 高知藩戸口調査
     男    女     計
1等~3等士族 3,931  4,292   8,223

4等~5等士族 11,207  11,076   22,283

卒   族     10,901 8,007   18,908

農人・浦人 184,669 161,033   345,702

諸 工人匠    13,697 10,457     24,154

諸  商  売   39,812 35,104     74,916

    計    264,217 229,969   494,186

 1~3等士族とは、イワユル上士でしょう。
 4~5等士族とは郷士です。
 卒族というのは、地下浪人やら、小者といったところでしょうか。
 農・漁・林の第一次産業の労働者が最も多いのです。
 工人は大工やらの職人集団でしょうか。
 明治になると商売にかかわる人達が多くなっているように思います。
 7万4千人は少し多いかな。
 江戸時代の中期には、山で仕事をしていた方々が、全労働人口の40%を占めていたことがあったのですから、商売人の数が急増したことになります。

上級の士族だけ女性の数が多くなっているのです。
また、この数字には、神官等一部の特殊業種の人数は入っていないのです。

高知藩の人口は当時49万4千人ほどだったようですね。現在が80万人弱ですからね。それぐらいだったのでしょう。

 上士格の1等から3等士族だけが、女性が多いですね。概ね男女平均して生まれてくると思うのですが、調査した結果そのようになっていたのです。

 1等から3等士族の男が少ない理由、それは戊辰戦争等、幕末から明治新政府の誕生に繋がる争いの中で、多くの人材が失われた結果だろうと考えております。

 ただ、貧困層になればなるほど、男が多く、女が少なくなっているのです。

 これは何でしょうか。伝説なのですが、老人を、働くことが出来なくなったものを間引くことはあったようです。でも、それでは男も女も同様に年をとり、概ね女性のほうが長生きをするのですから、合計数も女性が多くて当たり前かと思うのです。また農人浦人のグループでは男女間に2万3千人以上もの人数差があるのです。高知藩から逃げ出したにしても、男だけがそうしたという記録はないのです。

 貧しい時代には、より貧困層において労働量が期待できない女の子を乳児の時代に「マビク」行為があったそうなのです。一生涯結婚も出来ず、ということは家庭も持てず一介の労働者としてだけ生きながらえた男子が多かったことになります。

 土佐藩は貧しかったのです。一部の権力者を除いてはね。
 ??土佐藩だけでもないか??。日本全体が貧しかったのです。
 自分の子供を殺さないと自らが生きていけない世界だと考えれば、維新が起こって当然なのです。
 しかし、明治の時代になっても、士族は特権を標榜するのですから、概ね平等な今がいいですね。上士はぼんくらでも士族ですからね。かつては職業選択の自由すらなかったのです。

 結婚しない女性が多くなった昨今、いいのやら悪いのやら。
 生きていけるだけでも、よしとしなければなるまいなあ。

 各行政の長の方々は何を考えているんだろう。わからん。
 公務員の子弟は公務員になりやすいとか、教員の子弟も同様だとか・・・。
 そんなことはないよなあ。
 
 


最新の画像もっと見る