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河野裕子が早逝したため、
河野裕子と永田和宏の相聞歌は、一方的に永田の歌の中に
読み込まれるようになった。
壮絶な闘病生活を送っていたため、河野が書き、
その歌を家族が口述筆記をしたこともある。
……
この人を殺して吾も死ぬべしと幾たび想ひ幾たび泣きし
河野の余命は、乳癌末期で、あと1年。
本人も医者も、永田も最期をいかに看取るか考えていた。
上の歌にもあるように、永田は、見送る悲しみ、
妻の死後のことまで想像し、悲しみにくれる。
「この人を殺して自分も楽になりたい」という思いは、常にあったろう。
……
生きてゆくとことんまでを生き抜いてそれから先は君に任せる
河野裕子
生き抜いてその後を我に負かすとぞ歌いしその後をいま生きており
永田和宏