「無理して、やってやってるのに」と思ってる人は、おおむね一人で怒ってる人。相手のほうは「なんも無理してやってもらわんでも」としか思ってない。むしろ「なんでやってるの?」くらいに思ってる。
自作自演に等しいのです。そして突然ある日言います。「もう無理!」って。我慢が限界に来たのでしょうね。うん、そう・・・・じゃあ・・・・・さて、「あなたがした我慢」が限界だから、なんなんですか。あなたの「我慢の限界がそこだった」というのが、他人にどう関係してるんですか?なぜあなたはそれを人にぶつけてるんですか?目の前の人は、今、びっくりしてませんか?
あなたはあなたの我慢の限界に近づく工夫や蓄積を、してただけです。「いや、そんなことはない。自分以外の誰かが私をそうさせるんだ、いつも」と、あなたは言うのかもしれません。
ほんとうにそうですか?
あなたが「怒ってもいい容量」を自分一人で決めてるのはなぜですか。誰一人、そこに口出しも加工もできない領分で、あなたが一人で、それを決められます。
他者から見たら、あなたは一人で決めて、一人で怒った事にして、一人でもう知らないと憤ってみせました。それがなんなんですか。どうして他人にあなたの不快さを知らしめさすのですか。その姿は「一緒に居たい人」に見えると思いますか。
案外、怒れて仕方ない相手に分のある事まで、怒っちゃってませんか。それはもう「かけひき」であって、純粋な感情でもないです。
無理してやってあげることなんて、なんにもないですよ。ただ、自分がやりたくてやるだけ。それ以上の理由がいる事は、だいたいもう、かけひきです。バーターです。「こんだけやってやってるんだから、見返りを示してよ」と相手にゴウツクバってしまっています。思いやりの行為ではないです。
欲張って覚める事、あるんですよ。やっててもいいですけど、とりかえしがつかないことにもなりますから、覚悟してやって下さい。そもそも「怒る」のは、「もう打つ手がありません」と相手にばらし、「おかげでパニックです」と言ってる事なのです。
少なくとも「相手のため」に怒ってるだなんてことはよして、少なくとも「自分のパニックタイム」をさらした方が、まだ正直で聡明なのです。