山芋をすりましてとろろを作りました。暑い時には粘っこいモノ。美味しそうです。ウフフ。
このごろちょっと良い事がありまして、少々ハッスルして過ごしておりました。おお、快調快調♫などといい気になっておりましたら、二日ばかり偏頭痛に見舞われるという、誠に「痛エ!」思いを致しました。二日もバファリンを飲めるチャンスも得まして、二日とも救われた次第です。さすがね、優しさでできてるだけの事はありますな。
そンでふと、床に伏しながら思ったんですけど、「自分の事が、一番自分で分かってねえなあ」ということです。
人は調子がよけりゃ、ついついいつも以上の事に手を出しがちで、なにをするにも加減を通り越しちまうんですね。余分にこなせる自分にウットリしてるわけですわ。これがいけない。
余分に何かやってれば、いつもより作業量は増えており、負担がかかっておりますな。負担の行ってるとこから、ガターンと調子を落としちまう。いけませんいけません。
そンなのがあった日なのに「今日はついてなかった。明日はしくじらねえぞ!」なんて反省もしないまんまですと、翌日もおンなじようにやっちまうんです。馬鹿ですな。習い性ってもんを自分の中にこさえない限り、続けちまう。
むざむざと二日ばかりしくじったワタクシめも、三日目には幾ばくかの足りない智慧がつきまして、養生して過ごしましたら、実に快適で、そーかー、自分の体の方が堪えられる量加減が分かってなかったンだなァと得心した次第です。
「自分の体」と「自分の気持ち」ってのは、同じ「自分」なんですけどね、しつらえてあるところが違うんでしょうな。お互いがお互いのご機嫌さってぇものを、とんと気づけないようにできてるようなんです。壁でもあるんですかね?なんだかお互いに、ちょうど見えていない。
そンでもって当人自身で「体」も「気持ち」にも、気づかなきゃなんないってんですよ。厄介なもんです。ひとつフン捕まえりゃズルズルと両方とも動けばいいんですけどね。
まあそうなってるんだから仕方ないんですわ。両方とっくり見てやりながら過ごすってのがどうやらいい塩梅(あんばい)と分かった以上は、そうやっていくのが、一番周りに怒られないで済ませそうですな。周りも怒ればおっかねえですからね。まぁなんせこの暑さだ。ただでさえ煮立った連中同士ですんで。ひとつ温和にすごそうじゃありませんか。ええ、平和がいちばんでさぁ。