フランスの不治の病の男性へのマクロン大統領の姿勢に共感します。
先にコックさんはマクロン大統領に書簡を送り、薬物投与による安楽死を認めてもらいたいと訴えていた。これに対し大統領は、フランス法では禁じられていると返信。コックさんがフェイスブックの自らのアカウントに投稿した書簡でマクロン氏は「私は法を超越する存在ではない以上、あなたの求めに応じることはできない」と書いている。さらに「私は誰に対しても、現行の法制度を逸脱する行為を促すことはできない」「死の積極的ほう助を得たいというあなたの望みは、現時点ではわが国では認められていない」と説明した。その一方で、「ただ心では、あなたの行為を尊重する」としたマクロン氏は、「私の個人としての支援と深い敬愛を込めて」と直筆で書き添えた。
世界では「法の上に立つ存在」を宗教的に認めたり、情緒を優先させたり、党の存在が法より上なんていう国もある。それが一概に悪いとは言わない。それでも、誰彼を任意で貶めたり罰したりするのは「法」をよりどころにできなくては、結局「私刑」というリンチになっていて、復讐の念という禍根を、その親族知人に機会を持たせてしまう。
それを払拭するために「法」があるのであって、誠意を持ってそれを遵守させるために苦心惨憺運用を心がける国家運営は、簡単じゃないけれど、姿勢として謙虚だし、多くの人を「それならば、やむなし」の道に導ける。
だまらマクロンさんは「心ではあなたの行為を尊重する」という人としての思慕を表明してくれている。
法治国家である以上、その頂点である以上、マクロンさんの取り得る最上策の態度と言質。
「超法治処置」なる発動はかつて日本国でもあったが、人命の救済を目的としていた。ある意味この件も「人命ならぬ尊厳の救済」ではあるが、人権の国たるフランスがこれを看過するのは、他国以上にハードルがある。
私怨の連鎖を食い止める法治の仕組みを、真剣に検討すべき国は、もっとよそにたくさんある。私刑私怨まかり通る国は、フランス国のこの命がけのひとつの命をよく考えてみるべきと思う。