「ボタンのかけ違え」のやりきれないのは、ボタンも穴も互いに機能十分なのに、やり方を違えてるってだけでてんで発揮が叶わなくなること。
いっそどっちかが間違っててくれてればまだあたりようもあるのにっていう本末転倒なやりきれなさすら残る。
どっちも、どれも、別に悪くないってだけが見えてるのに。
起こすというよります拾っていくことなんだと思うのです。
しかも拾い損じず、拾いまくってるだけで到達するものがあり、故に為す人というものは謙虚にせざるを得ぬ側面があるのでしょう。
多くが取りこぼす中に妙光を見出す感じになるのは、好き嫌いを超越した「拾い残しなし」を心に決めた人へ、イレギュラーなギフト。
成果はそのおまけ。