歌うように語ろう

観劇や観戦(主にフィギュアスケート)等について語るブログです
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欺瞞と押し付けの狂想曲

2013年09月13日 | フィギュアスケート

本当は3日に幕が開いて先日私も観劇したロミジュリの観劇レポでも書こうかと思ったのですが、この2か月余りのフィギュアファン界隈の息苦しさに

いい加減我慢できなくなり、そちらは後回しにして(今後まだ観劇予定があるので改めて書きたいという意図もあります)ちょっと思うところを

まとめてみたいと思います。

 

まずは一つ。「〇〇選手は〇〇だから応援するべき」「〇〇選手を応援しないのは△△さんに都合が悪いからでしょ」エトセトラ、エトセトラ…。

挙句に自分と意見が違うブロガーに度々恫喝まがいのコメントを送りつけ圧力をかける、公然とブロガーがブロガーを非難する…。

 

前にも書きましたが、誰が誰を好きであろうがなかろうが、人の心は自由なのですよ。

もちろん法令やマナーを大きく逸脱するような行為はいけません。しかし、何故人の好き嫌いにまで口を出し人の言論をコントロールしようとするのか。

 

何度も書きますが、誰が誰を好もうが自由です。しかし、自分の主義主張をゴリ押しし相手にも布教よろしく無理やり同意させようとするのは

あまりにも相手の意思を無視しすぎです。

良きにつけ悪しきにつけ、好きな人がいれば嫌いな人もいるのは当然です。中傷や妨害活動をすると宣言しているのなら止めるというならまだ分かりますが、

相手の意のままにコントロールなど出来ませんし、そんなことを試みるのは僭越もいいところです。

例えば納豆が嫌いな人に無理やり口をこじ開けて食べさせようとしても無意味ですし、ますます嫌いになるでしょう。むしろアレルギーが進むこと請け合い。

人を批難したりコントロールしようとする暇があったら、好きな選手に激励の手紙を書くなりショー鑑賞や観戦でもした方が建設的ではないでしょうか?

ついでに書くと、フィギュアファン全員がブログやツイッターをやっているわけではありませんし、むしろROMの方の方が多いでしょう。

そういう方々は黙って顛末を見ています。暖簾に腕押しではないですが、押せば相手が何とかなると思うのは浅はかの極みです。

 

その2。「みんな応援しています」「誰でも大好き(DDというそうですが)」の欺瞞について。

中には本当にどの選手も分け隔てなく好きだという方も世の中にはいらっしゃるのかもしれませんが、私は今のところ真の意味で「全員応援」の方はまだ

見たことがありません。今まで見てきた上記の主張の方々、ことごとく無自覚なアンチ主義の方ばかりでした。ある意味、無自覚だけに始末に負えない

ものがあるとため息をつきつつブラウザバックすること数回。

 

いや、もちろんいいんですよ。誰が誰を好きであろうと嫌いであろうとそれはその人の自由ですから。

しかし、自分の気持ちにうすうす気づいていながら、それに気づかないふりをして「自分は何某選手のファンだけど~」と言いつつほぼアンチと同じ発言を

見るのは非常に不可解な気分になります。

世の中本音と建て前があるのは道理ですが、元々好きなように書いている場でまで自分の本当の好悪まで偽装しなくてもいいのにとは思います。

まあ大きなお世話かもしれませんが、あからさまに本当は好きでもない選手のファンを装うのは本当のファンにしてみれば気分が悪いでしょう。

たとえば職場などで同僚や上司が自分の贔屓でない選手が好きだったとして話を合わせるとかならわかりますが、少なくともネット上で無理やり自分の

好き嫌いまで偽装する必要はないように思います。

本当に誰でも好きで応援できると天地神明にかけて言えるというならまあ、そうですかとしか申せませんが……みんな一直線というのは

一時話題になったゆとり教育の象徴的現象「みんなでお手手つないでゴール」にも似た気味悪さを感じます。ええ、個人的感想です(ここまで全部ですが)。

 

バンクーバープレシーズン~バンクーバーまでは対外国での水面下でのアレコレが目立ちましたが、何やらこの頃は男女とも国内での足の引っ張り合いが

気になります。そんなことをして得する人は国内でいるのでしょうか? 私はいないと思います。

一枚板で誰かを押すなど無理でしょうし、そんな必要はないと思いますが、だからと言ってゴリ押しキャンペーンはお断りですし言論制圧などもってのほか。

好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。相互不可侵。これで駄目ですかねえ……。

ファンがリンク外で殴りあったところで、選手が跳べなかったジャンプが飛べるようになるわけではないのにね。