母の命日
2022-12-18 | 日記
昨日は実母の命日でした
亡くなって6年
仏教徒なら七回忌ということになります
実家は無宗教
私も弟もこういうことには全くこだわらず
当然何もなし
でも2人とも両親のことを
思い出さない日はなく
それが1番の供養だと思っています
それでも形ばかり、母の好きだった
鶴屋吉信のつばらつばらを・・・
ちょうど2016年も12月17日は土曜日でした
6年経ってもあの日のこと
亡くなった瞬間のこと
克明に覚えています
コロナが長引くにつれ
入院中の家族にも会えない人々が
沢山おられます
最後の最後まで見届けられたことを
今更ながらありがたいことだったと
改めて思います
私という人間をこの世に送り出してくれた母
いつかこの世を去る日が来ても
大好きだった両親が両手を広げて
待っていてくれてる
そう思えば少しも怖くはない(笑)
そうでしたね
すぐにお知らせしたので、そういう時間でしたね
私もまさかこの日にとは思わずに、二日前にはイルミネーションの写真を撮りに行ってました
数日間病院に泊まってあげればよかったかな~
と、今頃反省
誰もがおもいださなくなったときが本当の死だとも言われているので、そういう意味ではまだまだ生きているのかもしれません
いつか再開して、今度は別れのこない世界で過ごすのかな?
そのときのみんなの年齢はどうなんでしょう?
な~んてことを考えていると、楽しくなってきます(笑)
お父様12月生まれなんですね
私の父も12月の終わりが誕生日です
子供の頃や、若いときは死ぬと言うことがやはり嫌なこと・・・というイメージでしたが
今はもう安らぎの場所に向かう・・・そんな気持ちが強くなってきました
両親だけでなく大好きだった祖母や、親のようにかわいがってくれた人、みんなそちらの世界にいますから(笑)
願わくば、痛みや苦しみの時間はできるだけ短くお願いしたいですが(笑)
秋から冬にかけての3ヶ月
よく通いました
部屋からのながめ、駅からの道、いろんなことが浮かんできます
しっかり向き合うことができる時間があって良かったです
私の足の手術も、それに伴う義母の施設への入所も
この時間を確保するための準備だったのかと思うほど・・・
人生いろんなことが起こるけど、いつも大事には至らないように、ちゃんと見てくれていると思います
母を見てというより、私の家族の一員になりたかったそうです(笑)
多分自分の家庭では経験することのなかった家族のあり方がめずらしかったのでしょう
そして夫とも両親の話は今でもよくしますし
私の頭の中にはいつでも両親が存在しています(笑)
また別の意味で夫の母のことも忘れることはありません(笑)
昔は家でだんだん弱って亡くなるというのが一般的なお年寄りの亡くなり方でした
だから結構家族に看取られて・・・っていうパターンが多かったように思います
でも今は、特にコロナになってからは全然状況が違いますものね
本当にありがたかったと思います
その時に、いつも思い出します。
そうそう土曜日。
まだ仕事をしていたので、土曜日に行っていた頃。
帰りの電車で、ラインが届いて知りました。
充分ではないけれど、一緒にいる時間もあったし。いろんなことも話せたので、よかったですね。
過ぎれば、あっという間ですが、その間に、ことあるごとに、いろんなことを思い出します。
思い出すことが1番っていいますからね。
いつの日か、みんなでまた再会する日が来るのでしょうね。
今朝、明日は亡き父の誕生日・・・そう思ってカレンダーを見たところでした。
命日が誕生日よりも心に重くなってから、私も両親への想いがもうひとつ変化したように思うこの頃です。
その人を想うことが何よりの供養。
子供の頃に恐れていた「死」への恐怖は年々薄れてきました。
親や先輩方や友人たちも向こう側でゆったりと暮らしているような気がするからでしょうか・・・
今朝は心落ち着くブログ投稿に手を合わせました。
毎日病院に行かれていた事を思い出します。
あの時間があったから、自分の気持ちにも区切りが付けたのかもね。
そう考えると、今はコロナで病院にも行けず、気持ちの整理をどこで付けるのかなって思います。
会えないなんてお互い辛いですよね。
いつもご両親が見守って下さっていますよ!(私も同じ)
お母様が亡くなって6年も経つのですね。
なんでも出来るお母様でしたね。
このお母様を見て、ご主人はかずちゃんをお嫁さんにしたいと思われたのでは。
>私も弟もこういうことには全くこだわらず
当然何もなし
でも2人とも両親のことを
思い出さない日はなく
それが1番の供養だと思っています
それがいちばんの供養ですね。
ご両親の事を思い出さない日がないなんて素晴らしい。
私の机の横に両親と撮った写真を飾っていますが、たまにその写真を見て両親を思い出すだけです。
>最後の最後まで見届けられたことを
今更ながらありがたいことだったと
改めて思います
良かったですね。
私は義理の両親さえ、死に目にあっていません。