着付けの気づき

着付けの個人教室を行っている先生が、着付や着物に対するこだわりの思いを中心に語ります。

腱板断裂手術後1年が経過しました

2024-09-04 14:49:32 | 腱板断裂
右肩腱板断裂の手術をして丸一年が経ちました。
少しずつですが、後ろに手を回し、上にあげることが出来るようになってきています。目標の、
「肩甲骨あたりまですんなりとあげられるようになる」
にはもう一息といったところまできて、何となく先が見えてきました。

さて、ここで新たな問題が発生してきました。
何と、今度は左の肩が痛み出してきたのです。
実は少し違和感を持ち始めたのは右肩の術後10ヶ月が経過した頃です。
約一年前、右肩の手術が決まった際に整形外科では左肩の超音波検査もしていたのですが、その際
「左肩の腱も少し切れちゃってますね」
と言われていました。
それを告げられた時は大変ショックでしたが、肩の腱板は加齢で自然に切れているような人も多く、また、切れているけれど、痛みが出ない状態で過ごしている方が多いこともネットの情報として知っていました。
兎に角右肩を治して、左肩に関しては断裂が広がっていかないように気をつけて痛みが出ないように過ごしたいと考えていました。
なのに…、です。

そもそも腱板が少しでも切れてしまうと自然に治るということはほぼ無いということも知っていましたので、気をつけて過ごして、それでも痛みが出てきた時は温存(痛みを軽減させるリハビリをして手術を回避する)療法などを試すことなく手術で根本的治療をしてもらおうと考えていました。
ですが、まさかその日がこんなに早く来るとは思いもしませんでした。
そして、この度痛み出した左肩も手術をしてもらうことになればまた半年や一年、或いはそれ以上は着付けの仕事が思うように出来ない期間が出来ることが確定した訳なので正直本当に落ち込みました。
ですが、
左は利き手ではないので、右に比べれば不自由になる度合いは少ないかも知れませんし、今や右肩を手術した経験はある訳なので、どのように回復していくのかは経験済みです。
この際、左も手術でしっかり治していただこうと決心しました。

実は右肩を診ていただいてきた病院の対応には色々と不満がありましたので、左肩が痛み出すようなことが起こってきたら病院を変えてみることを考えて前々から色々な方に相談して情報収集をしていました。
結果、主人の知り合いの医師に紹介していただいた先生がいらっしゃる病院に行き左肩のMRIを撮っていただいたところ、
「(左の腱板は)切れてないよ。これ、リハビリで治っちゃう。超音波で切れてるって言われたの?普通は超音波で調べて怪しい、となった時にMRIで調べるんだよ」
「切れてない。間違いない」
「リハビリは週に1回位通ってもらわなくちゃならないだろうけど、もう少ししたら思う存分仕事が出来るようになるよ。大丈夫だ!」
と言われました。
「え?切れてないんですか?」
手術を覚悟して伺っていたので、あっけにとらわれました。
打診されていた、成人の日の着せ付けのお仕事や、来年度の美容学校の和装技術の講師としてのお仕事も、お断りしなければならないと思っていましたが念の為その点も尋ねたところ、
「出来ると言っておいていい」
と言われました。
何と頼もしいお言葉。
今まで、悶々と、前に進めないでいた私の目の前の霧が一気に晴れ、大変有難く思いました。
嬉しくて涙が出ました。

そういう訳で暫くはまた整形外科でのリハビリに通わなければならなくはなりますが、左右の肩共ども、心配なく仕事に復帰できるような肩になるようにもう一踏ん張り頑張りたいと思っています。
 
川口着付個人教室
 http://www.wbcs.nir.jp/~yoko
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

腱板断裂手術後11ヶ月が経過しました

2024-05-31 22:23:23 | 腱板断裂

術後11ヶ月というより、あと1ヶ月ほどで術後1年が経とうとしていると考えると、少し焦りが出てきている今日この頃です。
なぜなら、
「一年で治すんだ!」
と自分に言い聞かせてリハビリを頑張ってきたからです。自分の中では、同じ手術をされた方の多くの人が、
「治るまでに1年かかる」
というブログやYouTube動画などを見ていたため、自分も術後1年までで術前と変わらないくらい回復しているという目標を立てていたのでした。

相変わらずの目標である
「右手を後ろに回して肩甲骨くらいまで無理なくあげられるようになる」
というところにはあと一息といったところです。しかしいまだに出来ない状態で
「本当に出来るようになるのだろうか?」
と気持ちが萎えたりすることもあります。ですが、主治医には
「まだ後遺症云々を心配する時期ではない、川口さんの言うところまでは術後1年や2年、ゆっくり時間がかかって自然に治っていくようなもの」
と言われているので、もう少し継続して整形外科での週一のリハビリも自主リハビリも頑張って続けていこうと思っています。

先日の孫のお宮参りの時は痛いながらも何とか頑張って着物を着ましたが、本来痛いと思うことは避ける方が良いと言われていますので、通常のお稽古も敢えて無理して着物を着ることは控えています。

右肩が痛み始めて整形外科に通うこと約1年、痛みがひかず、そればかりか悪化して手術をしてから約1年、トータル丸2年、着付けの仕事が思うようにできない期間はいつまで続くのでしょうか?
試練はまだ続きます。

川口着付個人教室
 http://www.wbcs.nir.jp/~yoko

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

腱板断裂手術後10ヶ月が経過しました

2024-05-02 22:45:13 | 腱板断裂
相変わらず整形外科には週に一回リハビリに通っています。
「右手を後ろに回して、肩甲骨位まで無理なく挙げられるようになる」
というのが相変わらずの目標ですが、出来そうでまだ出来ません。それでもほんの少しずつですが、前よりは上がるようになってきているようには感じます。

さて、先日私の次男の子供のお宮参りに和装で参列しました。
その時までには自身の目標が達成されるように願いつつ自分なりに努力はしていたのですが、前述の通り悲しいかな、叶いませんでした。それでも着物を着るところ(帯を締める前の段階)までは一人で出来るようになり、それは大きな進歩です。
帯は前もって「改良枕」という器具を用いて予めお太鼓を作っておいて、主人にそれを背中に付けてもらうことによって装着し、何とか
「着物を着た」
という状態に整えることができました。私が自分で着物を着ることができるようになりたくて、着付け教室に通い始めた40年近く前に帯の結び方は、
「初心者が簡単に装着できる」
とか、
「帯を痛めることが少ない」
などの理由で、「改良枕」という器具を教材として買わされて、それを使った帯結びから教わりました。
その後教わることになった、「手結び」が出来るようになると、自分自身はそちらの方がしっかり締まって崩れにくいので専らそちらばかりを採用するようになり改良枕は一切使わなくなりました。そのため自分の教室では初めからしっかり手結びが出来るようにご指導した方が良いのではないか?
と考えるようになり、その結果改良枕の授業は特別な場合を除いて端折るようになりました。
ですが、今回のように自身の身体が不自由な状況でも、着付けに知識がない主人に一部分だけでも手伝ってもらうことによって礼装の帯を締めることができたので、改良枕を使える技術を身につけていて良かったと思いました。そして改めて、どんな勉強もいつ役にたつかわからないものだなぁ、と思いました。

ある人が、
「どんな経験も無駄にはならない」
と言っていました。
『確かに・・・』
どんな技術も侮らず、吸収して実践できるようにしておくことは意義あることですね。
また、今回の私の手術に至るまでの経験や、なかなか思うように回復しない辛いリハビリの経験も、きっと私の後の人生にとって無駄にならないと信じて、もうひと踏ん張り頑張ってみようと思います。

川口着付個人教室
 http://www.wbcs.nir.jp/~yoko

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

腱板断裂手術後9ヶ月が経過しました

2024-04-05 10:40:42 | 腱板断裂
術後8ヶ月の時以来、やはり少しずつは良くなってきてはいるのですが、目標である、
「右手を後ろに回して肩甲骨くらいまであげられるようになる」
というところにはまだ到達出来ず、出来そうで、でも出来なくて、本当にもどかしいです。

お陰さまで日常生活を送るのには特に不自由を感じなくなってきたので、ここまで治ってきた状態なら多くの方は
「治った」
と考えて治療を終える方も多いのかもしれないと思います。
先日の主治医の診察の時には、
「私が目標としている動きに関しては術後1年や2年かけてゆっくり治っていくようなもの」
とか、
「川口さんはむしろ治りは早い方」
とか言われました。
それにしても、主治医も担当の理学療法士も着付けの仕事がアスリートほどではないにしても、
「治りたい」
と私が考えるレベルの高さに驚かれている印象でした。
「着物を着て帯まで締める」
ということを教えるのに、私は実際に生徒さんと
「やってみせて、一緒にやってみる」
ということに重きをおいてやってきていました。
このことを現状ではできないので、ここまでの治り具合では満足できないのです。
「そんなところまで手が上がらないと着物を着ることはできないんですか?」
とも聞かれました。
いえ、きっとそんなことはありません。
「和洋ミックスコーデで帯を締めず洋装用のベルトを締めて固定する」
とか
「帯結びを前結びにしたり、改良枕や作り帯を仕込んでおくことにより誰かに帯を回すのを手伝ってもらったり、背中につけることを手伝ってもらう」
などのやり用はあるとは思いますし、教室でも自分が出来るやり方だけを教えれば良いのかもしれません。
ですが、教える以上は、私は手が後ろに回らない方に向くやり方も、そんなことに不自由を感じていない方に向くやり方も、今まで通り両方出来たいのです。
また、和洋ミックスコーデをはじめ、日常着のような着飾らない自由な着方も、礼装の時に装ういわゆる着物の王道な着方も、両方出来たいのです。

私ごとですが、最近次男のところに赤ちゃんが生まれておばあちゃんになりました。
1ヶ月後お宮参りを和装ですることになっています。
取り敢えずどんな手段でも自分一人で着物を着て帯の着装までできるようにしたいです。
どうしても駄目なら主人や生徒さんにお願いして手伝ってもらおうかな。

兎に角淡々とリハビリ頑張ります。


川口着付個人教室
 http://www.wbcs.nir.jp/~yoko

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

腱板断裂手術後8ヶ月が経過しました

2024-02-28 12:36:55 | 腱板断裂
腱板断裂半年経過後7ヶ月のブログを投稿せず、いきなり8ヶ月経過のブログです。

はっきり言いますと、術後7ヶ月も8ヶ月経った現在も大勢に大きな変化は特にありません。
相変わらず整形外科でのリハビリは週に1回受けています。

私の目標は相変わらず右手を後ろに回してその手が肩甲骨まで楽に上がることですが、ウエスト止まりだった手が、ほんの少しだけそれより上に上がるようになってきたかな、というところで、ちょっとずつは良くなってきてはいます。
先日のリハビリでは担当の理学療法士さんに、
「あと少しというところまできていますよ」
と言われました。
痛みのない状態で自然に上がるようになれたら着物が着て帯まで締められるのになぁ。

兎に角相変わらず真面目に整形外科には通って、自分自身のリハビリも可能な限り頑張って続けていきます。今後の道のりが長いのか短いのかは「神のみぞ知る」というところでしょうか。
試練はまだ続きます。

川口着付個人教室
 http://www.wbcs.nir.jp/~yoko

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

腱板断裂手術後半年が経過しました  ー術後の着せ付けデビュー出来ました‼️ー

2024-01-14 10:57:07 | 腱板断裂
昨年末12/27、手術からちょうど半年が経過したところで主治医の診察があり超音波の検査がありました。

先生からは、
「順調に回復しているので、様子を見ながら力仕事をしてもいいよ、(可動域についてはまだ手術前までには戻っていないので)リハビリはこれからも根気強く続けてください」
と言われました。
毎年恒例の成人の日の着付けは、大勢の着せ付けをしなければならない現場は既に断っていますが、
「近所でお一人だけ着せ付けられたらいいな、と考えている」
というと、
「それは是非やってみてください」
と言われました。

そうは言われても実際手術後半年力仕事をしてきていないので、
『きちんと力が入るのか、本当にお着せすることができるのか・・・』
まずは自宅にあるボディに恐る恐る振袖を着せてみました。
すると20分程度で着付けることができ、力も問題なく入るし肩の痛みもなかったので、この日を術後のデビューと決めて準備をし始めました。

そんなある日成人の日の直前の土曜日に結婚式に参列予定の友達から
「母の介護で忙しくて式に着て行く洋服の準備が出来ていない、着物ならあるんだけど、着せて貰えないかな?」
と相談をうけ、着せつけることになったので術後初めてのお客さまはその友達になりました。そして
「さすが川口さん、全然苦しくなく着崩れも無くて沢山ご馳走を食べて来られたわ」
と言われ、少し自信が持てました。
彼女には
「術後第一号のお客さまだよ」
というと、
「それは光栄だわ。でも、本当にここまで回復できて良かったね」
と言われました。
そして成人の日当日、お一人のお嬢さまの着せ付けも無事に終えることができました。
お客さまであるお嬢さまにもお母さまにもお祖母さまにも本当に喜んでいただけて、
『私はだから、着付けが好きなんだなぁ…、私はやはり、着付けが好きなんだなぁ…。』
とつくづく思いました。

まずは第一関門突破です。
まだ自分の背中の上方に手を回すことは痛くて出来ないので着物をまともに着て帯を締めることはできませんが、これからも根気強くリハビリを頑張って
「自分で着物を着て帯を締める」
という第二関門を突破したいです。


川口着付個人教室
 http://www.wbcs.nir.jp/~yoko

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

腱板断裂手術後5ヶ月が経過しました

2023-12-30 17:10:31 | 腱板断裂
腱板断裂手術後丸5ヶ月が経過しましたが、4ヶ月を過ぎたところで受けた主治医の診察以降、病院での診察は受けておらず整形外科には相変わらず週に2回理学療法士によるリハビリにのみ通う日々でした。通常3割負担の保険診療内で受けられるリハビリは術後150日までとなっていて、それ以降は医師が必要と認める場合のみ、今までよりも少ない単位ではありますが保険内でのリハビリを受けることができます。今後は今までよりも通う頻度は若干少なくなる見込みです。

術後4ヶ月を迎えた頃と現在ではやはりほんの少しずつですが良くなっているという表現しかできない感じで、やはり日にち薬なのだな、と思います。それでも私の中で画期的に出来るようになったことといえば、背後に手を回すことが出来るようになったことでしょうか。
今までは後ろに手を回そうものならそれだけで激痛が走っていました。
自分で着物を着て帯まで締めようとするならば後ろに回した手を肩甲骨位まで上がるようにしたいところです。そのため後ろに手を回すことすらままならない状況では
『一体いつになったら自分自身で着物を着て帯まで締めることが出来るようになるのか・・・』
と不安ばかりが募っていましたが少しだけ光が見えてきました。
今のところは後ろに回した手がウエストあたりまで動かすのがやっとです。それより上はやはり痛いので、まだまだ理想まで治るのには時間がかかるのかとは思いますが、まずは一歩前進です。家で自分でするリハビリも頑張っています。

お仕事の方は相変わらず口頭指導を中心とした着付けのご指導しか出来ていませんが、成人式が迫ってきました。着せ付けのお仕事で行かれる生徒さんたちに何とか成功してもらえるように、これからも誠心誠意頑張ります。

川口着付個人教室
 http://www.wbcs.nir.jp/~yoko



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

腱板断裂手術後4ヶ月が経過しました

2023-11-03 11:39:00 | 腱板断裂
現在腱板断裂手術後丸4ヶ月が経ちましたが、可動域や痛みの具合ついては術後3ヶ月の時と大きくは変わらない感じです。
整形外科でのリハビリも週2回通い、自宅でのお稽古も基本的には力をかけない、口頭指導を中心としたものとなっています。そうは言っても、ほんの、ほんの少しずつは良くなってきているという感じはしていて、例えば食器戸棚から食器を取り出そうとする時に、
「前はこの食器を取り出すのがギリギリだったけれど、もう少し上にある食器も取り出せるようになった」
とか、お風呂での洗髪の時は手が頭まで届くのが今までよりほんの少し楽になり、
「洗いやすくなった」
みたいなことを感じることが増えてきています。
このように、劇的に手術前の、元気だった頃の状態に戻ることはないにせよ、身体は治ろうとしているのだな、と思います。

この、自分の意思とは反して、自然治癒力に頼って治ることを待っている期間というのは、仕事も日常も思うようにいかないし、いつまで耐えたらいいのか予定もたたず、苛立つことも多いです。しかしながら、現在は成人式に着せ付けの仕事に行かれる生徒さんたちのご指導に出来うる限り全精力を注入しなければならないので、弱音を吐いている場合ではありません。
何はともあれ、
「今、やるべきことをやる」
「今、やれることをやる」
しかありません。

プロ野球では、日本シリーズで盛り上がる現在ですね。
少し前の、パリーグのクライマックスシリーズではマリンスタジアムに足を運んでロッテを応援していました。その後残念ながらパリーグ覇者とはなれなかったものの、10回裏0対3の絶体絶命のピンチから4対3と奇跡的なサヨナラ勝ちをし、夢や感動を与えてくれたロッテ球団の
『今日をチャンスに変える。』
というスローガンは私自身の心にも響くものがありました。私の今の治療も長い人生の中で、
『何かが好転するチャンスに変えて、人生を楽しむきっかけになれば』
と思います。

川口着付個人教室
 http://www.wbcs.nir.jp/~yoko




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

腱板断裂手術後3ヶ月の検診がありました

2023-10-10 21:07:47 | 腱板断裂
先日、術後3か月が経過したところで主治医の検診がありました。

検診の直前には術後初めての超音波検査があり、その画像を見られて
「再断裂もないし、順調だと思います」
と言われ、ホッと胸を撫で下ろしました。

前回の術後2ヶ月検診の時は、ベッドに横になった状態でどの位右腕が挙上出来るかチェックされましたが、今回は
1.立ったままの状態で前方に右腕と左腕がそれぞれどこまで挙上出来るか
2.右腕を下げた状態から、後ろにどの程度回るか
のチェックがありました。右腕は前方に125度まで上がりましたが、後ろに回すのはお尻をつたって、真ん中までギリギリ行くか行かないかといったところが限界で、その状態から背中の上の方に上げるなどは痛くてとてもできませんでした。それでも、
「3ヶ月では、こんなもんですよ。順調に回復していると思います」
と言われました。  

来年の成人式の着せ付け(力仕事)など、今月の半ばまでに私自身が受けるか否かのお返事をしなければならないお仕事について、どのように対処すべきかご相談したところ
「次回の超音波検査(12/27)の結果を見て力仕事ができるか否かの判断をするので、
1.そもそもそれまではまだ力仕事をしてはならない
2.今月半ばまでのお返事については、現時点では無理であるので、念の為お受けしない方が良い」
と言われました。
私自身、現在からあと半月ほどでどの程度回復するかが未知数である状況で、見切り発進して
「仕事を引き受ける」
とお返事をしたならば、仮に回復できていない状況でも何が何でも仕事を受けなければなりませんし、またそれが仕事となればクオリティを下げるわけにはいかないため、無理をするのは明らかです。

手術後から今まで長いことこのことでは悩んでいましたが、自分の身体のことを最優先に考えて、きちんと治すためにはやはり無理せずに諦めることも考えなければならないですね。今まで断ることを知らず、前ばかり見て突っ走ってきた私にドクターストップをかけていただいたことは、有り難く思いました。ある意味吹っ切れました。

帰るや否やクライアントさんにご連絡をしたところ
「今後のことを考えればやはり無理をなさらない方が賢明かと思います。今回は残念ですが、しっかり治ってまた一緒にお仕事できる日を待っています」
とお返事をいただき、嬉しく思いました。

やはりこの怪我の完治には時間がかかるようです。
引き続き出来ることを少しずつ増やしながら、それにいちいち喜びを感じながら、また周りにも少し甘えながら慌てずにボチボチ過ごしたいと思います。


川口着付個人教室
 http://www.wbcs.nir.jp/~yoko
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水平線から朝日は必ず登る

2023-10-03 15:51:34 | 腱板断裂
腱板断裂の手術後3ヶ月が経ちました。

自宅や整形外科でのリハビリをせっせとしていますが、なかなか今までと同じように仕事ができるようになる感覚が想像できず、苛立つ日々です。
よく、痛みを「陣痛」の痛みに例えることがありますが、陣痛はある意味産んでしまったら解放されるのに、この怪我の痛みはいつ終わるのか想像がつかないだけに、陣痛経験者の私としては正直陣痛よりも辛い試練だと思っています。

『今後、もしもこのまま右腕に力が入りにくい状況が続いたら…?』
『もしも右腕の可動域が元に戻らなかったら…?』
『これからも後ろに手を回すと激痛が走る状況が続いたら…?』
『(手術は右肩でしたが)もしも左肩にも痛みが出てきたとしたら…?』

常に周りには明るく振る舞っていても、また、命まで取られる怪我ではないのだと自分に言い聞かせてみても、色々なケースを想像しては、その場合はどんなことができるのか、或いは諦めなければならないのかなどなど、想定問答を繰り返しています。そして現状不自由であることに苛立ったり、今後、手術前と同じような仕事が出来なくなってしまう不安を感じたりしては、気分が萎えてしまう日々を送っています。

そんな時、先日日経新聞を読んでいましたら、北川和徳氏が執筆された「スポーツの力」というタイトルのなかで、2度目の肘の手術を受けられた大谷翔平選手について、次のように評されていました。

1.ケガをしたことへの後悔いらだち、手術への迷いや不安など一切感じさせない笑顔に脱帽した。
2.「起きたことは変えられない」「手術が成功してつらいリハビリを終えてもパフォーマンスが戻るかは未知数」だが、「自分がコントロールできないことは思い悩まない」という振る舞いをしている。

それを読み、彼の強靭な精神力には脱帽するとともに、私もそうあらねばならないとある意味励まされました。しかしながら、そうは言っても弱い自分が出てきては後ろ向きなことばかり考えてしまう私もいます。

そんな中、back number(バンド)の「水平線」という曲を聞いた時、その歌詞に改めて励まされました。

「耐える理由を探しながら
いくつも答えを抱えながら悩んで
あなたは自分を知るでしょう」

もう少し色々なことに耐えながら、悩み過ぎることなく悩みながら、私は自分という存在を今以上に深く知るのでしょうか。

川口着付個人教室
 http://www.wbcs.nir.jp/~yoko

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする