大山崎山荘美術館で開催しているアンドリュー・ワイエス展を訪れた。この絵がワイエスの作品とは知らなかった。確かどこかで見た記憶がある。はてどこだったのか?所蔵しているニューヨーク近代美術館?雑誌?画集?全然思い出せないが強く印象に残っている。この会場ではこの絵が展示されているのではなく部分的なスケッチなどの習作が数点展示されていた。解説によるとモデルとなったクリスティーナ・オルソンは下半身が麻痺した女性で、草の上に腰をおろして寛いでいるのではなく、このようにして這って進むことしか出来なかったそうです。この時55歳だったそうだが僕にはもっと若々しく見える。障害を持った女性が力強く生きる姿を描こうとしたと解説にあった。会期は12月8日(日)まで。
作者が度々訪れたアメリカ・メイン州にある追憶のオルソン・ハウスを描いた約60点の作品必見です。
三門
臨済宗建仁寺派の総本山。鎌倉時代1202年の創建。開山栄西禅師は二度の入宋を果たし日本に禅を伝えた。また中国から茶種を持ち帰り栽培を奨励したため
「茶祖」と云われているそうな。境内にはお茶の木がたくさん植えられており初めてお茶の花を見ることができた。少し枯れかかっていたが可憐な白い花がこれ。
法堂(はっとう)
風神雷神図屛風 俵屋宗達筆 (複製)
雲龍図 (複製)
天井の双龍図 (本物)
今回の旅の目的地の一つを訪れた。人数制限をした完全予約制。文化財を守るためにはこれ必要。オーバーツーリズム対策だ。僕の班は10名。内外国人カップル二組。ガイドの先導で園内を一周。全コースが飛び石となっており周りに生えている苔を踏んではいけないので歩きにくい。もっと歳をとって車椅子にでもなったら見学できなかっただろう。今回訪れることが出来て良かった。桂離宮は後陽成天皇の弟・八条の宮初代智仁としひと親王により宮家の別荘として創建されたもの。1615年頃に造営が始まり火災に遭うこともなく完全に創建当時の姿を今日に伝えている由。池の中には五位鷺や鴨が遊んでいる。
月見台 目の前に池がある
この石の上を歩く 苔踏み厳禁
なんだなんだ! 江戸の町に怪獣現る
ビデオの長さ 25秒
お寺の次はエンターテインメント。入場券に2種類あった。はて?どうするか。入場するだけかすべてのイベント、ショーが含まれる券の選択。とりあえず入場してみて決めることにした。まずは腹ごしらえ。生ビールが御用提灯に入ってきた。ジョッキは持ち帰れるのでこれ妹のお土産。江戸の町並みに現れる怪獣や新選組屯所前で写真撮影。遠くでチャンバラの殺陣をやっている侍もいた。忍者ショーのチケット売り場が見つからず、仕方がないので行列に並んだところ押されるまま入場。団体客だったのね。ただ食いならぬただ観。悪気はなかったけどラッキー。チャンバラショーを見てアメリカで見た西部劇のガンアクションと似た演出に笑ってしまった。
奈良旅行の次は古都京都だ。前々から見たいと思っていた仏像を目的に広隆寺を訪ねた。居ました居ました。パンフレットによると国宝第一号なんだって。このポーズは「一切衆生をいかにして救おうかと考えている」姿を表しているのだそうだ。とても穏やかな気品のある仏さまですね。広隆寺は推古天皇十一年(603)に建てられた聖徳太子建立の日本7大寺の一つに数えられるとのこと。旅は続く・・・
関西の旅行から帰着して1週間が経った。記憶を頼りに旅行記を続ける。最初に訪れたのは法隆寺。我が家の前に住んでおられたお嬢さんが嫁がれて法隆寺の近くに住んでおられたので久しぶりに再会。車で送り迎えをしていただいた。僕の時と同じで修学旅行の学生の群れの中を歩く。とにかく広い。もう一度見たかった仏像百済観音に再会。やはり独特の雰囲気があり一度見たら忘れ難い。造られたのは飛鳥時代7世紀前半~中期、作者は不明。名称から朝鮮半島から伝わったものかと思ってしまうが日本産の楠木で造られており日本で制作されたものと考えられている由。近世から明治時代までは虚空蔵菩薩と称されていた。容貌が日本人離れしているせいか朝鮮風な観音様だな~てなことで百済観音を称されるようになったそうだ。
山口県立美術館に久々に出かけた。以前パリの美術館で数々の日本の仏像を見て面白かったのだがこの秋、奈良を訪ねてみたいので予習のつもりなのだ。仏像なんて面白いの?と云われる向きもあろうと思うが面白いんだな!これが。この頭部と両手が失われた木彫りの仏像をご覧あれ。果たしてどんな顔だったのか?両手はどんな形だったのか?興味をそそられませんか?僕はこれを見た時、同じく頭部が欠損しているが魅力的なルーブル美術館のサモトラケのニケを想起したのだ。仏像に堪能した後昼飯に瓦そばをいただきNHKホールで「光る君へ」展を見て帰路についた。
高山右近の像
妹のすすめで京都からの帰り路、高槻で降り駅周辺をぶらつくことにした。
ここは明治4年の廃藩置県まで約200年間高槻城があり城下町として栄えていたところだ。
こどもが作ったと思われる看板 これっていいよね。
散策コースにある保存樹木
一時期キリシタン大名の高山右近が城主を勤めていた。大阪と京都の中間に位置しているためか
秀吉と光秀の山崎の戦いでは秀吉側の先鋒を勤めている。父親がキリシタンであったため少年の頃
洗礼を受け、秀吉のバテレン追放令が出された時信仰を捨てることを拒否して領地と財産を
すべて捨てる決断をしている。その後加賀の前田利家のところに身を寄せていたが1614年の
家康のキリシタン国外追放令によってルソンに出国マニラ到着40日後に死亡したとのことである。
僕にはとうてい理解できない生き様だ。江戸時代の為政者がいかにキリスト教が人々に与える影響を恐れたか
分かる気がする。
高山右近の像 キリスト教会の入り口に立つ
三千院からの帰り地下鉄の乗り換えで今出川駅から地上に出た。
下鴨神社に歩いて行きかかったが同志社大学の横を歩いていると相国寺が近くにあることが判明。
急遽行き先を変更。一人旅は予定をすぐ変えられるのでその点いいのだ。
パンフレットによれば相国寺(しょうこくじ)は室町幕府三代将軍足利義満が1392年に創建した
臨済宗の大本山である。応仁の乱や天明の大火と云った戦乱や火災によって幾度も諸堂を失いながら
再建を繰り返し今日に至っている。
法堂(重要文化財) 豊臣秀頼が1605年に再建
★法堂内天井のばん龍図 狩野光信筆 所定の場所で手を叩くと龍が鳴く
★方丈の裏側
開山堂の庭園 開山夢窓国師像を安置する堂
参道 右手の建物は同志社大学か?
参道
併設の承天閣美術館で「若冲と応挙展」開催中であった。京都に旅しなければまず見ることが叶わなかっただろう。
話が前後したが虹を見たのは相国寺の東門を出た時である。
★印の写真は内部が写真撮影禁止のため相国寺のホームページより借用した。
下鴨神社に歩いて行きかかったが同志社大学の横を歩いていると相国寺が近くにあることが判明。
急遽行き先を変更。一人旅は予定をすぐ変えられるのでその点いいのだ。
パンフレットによれば相国寺(しょうこくじ)は室町幕府三代将軍足利義満が1392年に創建した
臨済宗の大本山である。応仁の乱や天明の大火と云った戦乱や火災によって幾度も諸堂を失いながら
再建を繰り返し今日に至っている。
法堂(重要文化財) 豊臣秀頼が1605年に再建
★法堂内天井のばん龍図 狩野光信筆 所定の場所で手を叩くと龍が鳴く
★方丈の裏側
開山堂の庭園 開山夢窓国師像を安置する堂
参道 右手の建物は同志社大学か?
参道
併設の承天閣美術館で「若冲と応挙展」開催中であった。京都に旅しなければまず見ることが叶わなかっただろう。
話が前後したが虹を見たのは相国寺の東門を出た時である。
★印の写真は内部が写真撮影禁止のため相国寺のホームページより借用した。
東寺の北大門を出たところに観智院(ホームページはこちらをクリック)がある。
ここの床の間には宮本武蔵筆の鷲の図が描かれている。何故この絵がここにあるのかガイドさんに尋ねたところ
吉岡一門との三度に渡る戦いの後、3年ほどの間この寺に身を寄せていたそうでその時に描いてもらった由。
床の間の脇にも襖画として竹林の図が描かれている。なにしろ400年以上前の作品なのでかなり傷んでおり
はっきりとした輪郭は薄れているものの二羽の荒鷲や竹林の力強い筆使いは緊張感に溢れていた。上のホームページでみることができます。
東寺の後は今は残っていない西寺跡を目指して西に進んでいると羅城門跡の標識を発見。
今は公園の中に石柱と看板があるだけだがここは平安京のメインストリートである朱雀大路の南端に
設けられた都の表玄関にあたる大門でこの門を境に京の内外が分かれてそうだ。
980年に暴風雨で816年に引き続き2度目の倒壊をした後は再建されることはなかったと書かれている。
腹が減ってきたので食い物屋を探し回ってやっと見つけたのがこのお店。
入ってみてびっくり。昼間と云うのに居酒屋は大盛況。みんな飲むは飲むわ。
ビールのあては九条ネギたっぷりのだし巻き卵をいただきました。
疲れた~。この日の歩数。19,585歩
ここの床の間には宮本武蔵筆の鷲の図が描かれている。何故この絵がここにあるのかガイドさんに尋ねたところ
吉岡一門との三度に渡る戦いの後、3年ほどの間この寺に身を寄せていたそうでその時に描いてもらった由。
床の間の脇にも襖画として竹林の図が描かれている。なにしろ400年以上前の作品なのでかなり傷んでおり
はっきりとした輪郭は薄れているものの二羽の荒鷲や竹林の力強い筆使いは緊張感に溢れていた。上のホームページでみることができます。
東寺の後は今は残っていない西寺跡を目指して西に進んでいると羅城門跡の標識を発見。
今は公園の中に石柱と看板があるだけだがここは平安京のメインストリートである朱雀大路の南端に
設けられた都の表玄関にあたる大門でこの門を境に京の内外が分かれてそうだ。
980年に暴風雨で816年に引き続き2度目の倒壊をした後は再建されることはなかったと書かれている。
腹が減ってきたので食い物屋を探し回ってやっと見つけたのがこのお店。
入ってみてびっくり。昼間と云うのに居酒屋は大盛況。みんな飲むは飲むわ。
ビールのあては九条ネギたっぷりのだし巻き卵をいただきました。
疲れた~。この日の歩数。19,585歩
京都に着くと駅の南側に見える東寺の五重塔。これを見るとああ京都に来たんだなと思ってしまう。
ただこれまではいつも駅の北側ばかりを訪れていたので今回どうしても訪問したかった。
パンフレットによれば国宝・五重塔は836年弘法大師の創建着手に始まるが雷火などに
よって焼失すること4回におよび現在の塔は1644年徳川家光の寄進によって建てられた由。
高さ55メートル。本瓦葺き。日本では唯一の高さでもあり雷が落ちやすかった。柔構造のため地震には強く
地震による倒壊は一度もないとのこと。
内部はすべて撮影禁止のため写真は外部のみ。内部の様子は東寺のホームページをご覧あれ。こちらをクリック
国宝、重要文化財ばかりです。
瓢箪池から重文・講堂(室町時代)を望む
五重塔横から重文・講堂(室町時代)を望む
ただこれまではいつも駅の北側ばかりを訪れていたので今回どうしても訪問したかった。
パンフレットによれば国宝・五重塔は836年弘法大師の創建着手に始まるが雷火などに
よって焼失すること4回におよび現在の塔は1644年徳川家光の寄進によって建てられた由。
高さ55メートル。本瓦葺き。日本では唯一の高さでもあり雷が落ちやすかった。柔構造のため地震には強く
地震による倒壊は一度もないとのこと。
内部はすべて撮影禁止のため写真は外部のみ。内部の様子は東寺のホームページをご覧あれ。こちらをクリック
国宝、重要文化財ばかりです。
瓢箪池から重文・講堂(室町時代)を望む
五重塔横から重文・講堂(室町時代)を望む
東寺の五重の塔
義理の弟の三回忌法要に参加して秋の京都を散策して来た。
東寺、相国寺、大原の三千院を訪れたがまさに紅葉の真っ盛り。
どこに行っても外国人で溢れかえっていた。
帰って来たばかりなので今日は予告編。旅レポは後ほどのお楽しみ。
相国寺
三千院
(散歩記録 5千歩越え 11月1~20日実績 20分の11 一日平均 5,702歩)
久々に山口県立美術館・浦上記念館を訪問。
ここはかって僕の中学時代の美術教師A先生が館長を務められていたところで
昔、母と姉と僕の三人で訪れて直接先生に案内されて以来の訪問だ。
昔ヨーロッパに居た時に大英博物館で浮世絵の特別展示を見たことがあり
今回の展示もその時の規模に匹敵していた。
葛飾北斎の富嶽三十六景と歌川広重の東海道五十三次の全作品 いっき見だ。
その完成度の高さにヨーロッパの印象派の多くの画家たちが驚愕し影響を受けたのも頷ける。
よいものを見させていただいた。特別展示は5月28日に終了しました。
何枚か見てみましょう。
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ここはかって僕の中学時代の美術教師A先生が館長を務められていたところで
昔、母と姉と僕の三人で訪れて直接先生に案内されて以来の訪問だ。
昔ヨーロッパに居た時に大英博物館で浮世絵の特別展示を見たことがあり
今回の展示もその時の規模に匹敵していた。
葛飾北斎の富嶽三十六景と歌川広重の東海道五十三次の全作品 いっき見だ。
その完成度の高さにヨーロッパの印象派の多くの画家たちが驚愕し影響を受けたのも頷ける。
よいものを見させていただいた。特別展示は5月28日に終了しました。
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