half moon bay

酒と釣りの友 天国の mさんヘ

わが家の漫画集 第八話

2021-06-29 09:55:58 | 日記
母によるとおじいちゃんは昔、経営している会社の工場でボヤが発生した際、

よせばいいのに屋根に上がって消火中、落下して大怪我をしたそうである。

そう云う僕も小学3年生の時、二階の踊り場に上がって遊んでいるときに地上に落下して

大怪我をし一カ月近く入院したことがあった。僕にも間違いなくおじいちゃんの血が流れているようだ。

ひょっとしたらあの時死んでいたかも知れない。あの時母はどんな気持ちだったのだろうか?

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障子の張替え 

2021-06-26 13:42:47 | 日記
わが家には6畳間の離れがある。

これは昔、家業の工場があった盆栽場の横に建てられていた茶室を引き家して移設したものだ。

親父が病気をして半身が不自由になってからは両親はここで過ごしていた。

親父が死んでからお袋はしばらく一人で離れに居たがなにかことが起こっては

心配なので母屋の方に移ってもらった。僕は親父の亡くなった年に東京から帰省していたのだ。

そのお袋も昨年、98歳の長寿を全うした。

お袋にとってはこの離れは夫と過ごした思い出の詰まった場所なのか

洗濯の時はいつも縁側に座って洗濯物を畳んでいた。

だいぶ障子が傷んでいたのでこのたび張替えをした。その数8枚。

やはり張り替えてみるととてもすっきりとして気持ちがいい。

もう少し整理整頓して僕も母屋からこちらに引っ越そうかな。









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わが家の漫画集 第七話

2021-06-24 11:14:47 | 日記
お袋によるとおじいちゃんは晩年病気がちだったようだ。

異常なくらいな薬好きで江戸時代の漢方医者のように自分で薬を調合していたそうだ。

今でも我が家には薬研(やげん)、薬道具箱、乳鉢、乳棒、こね鉢、天秤と各種分銅ならびに

怪しげな薬の材料の残りなどがある。

嬉々として薬を調合している姿を何度も目撃したと云っていた。想像するだに恐ろしや! 


【ウオーキング記録】 6,000歩以下は省略

日にち 歩数 距離キロ
6/22  10286 7.5
6/21 7365 5.4
6/20 11421 8.4
6/12 9534 7.0
6/10 8067 5.9
6/9 9915 7.3



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胡瓜とインゲン豆の収穫 2021

2021-06-23 17:26:36 | 家庭菜園
「 おひかえなすっておくんなせ~  あっしは桑港のピエールと云うケチな野郎でござんす。 」 スケこましのピエール

「 おめ~あれか? 先ごろやられなすったズッキ組の親分の姐さん専属の按摩じゃなかと? 」 キューカン組の親分

「 No kidding.  いや失礼いたしやした。桑港ぐらしが長かったもんでつい英語が出ちゃって・・・ 」

「 ほんでピエールはんとやら。 なにしにおいでなすった。」

「 こちらさんにもコロナ組の野郎たちがちょっかいを出し始めたと聞きましたんで。」

「 そのことよ。手下どもがずいぶんやられちまって大弱りよ。」

「 親分どうです。この際これまでの縄張り争いは水に流してうちと手を組みませんか?」

「 玄関先じゃなんだからまー上がってくんね~ お~い 客人だ。とりあえずひと風呂あびてゆっくりしね~。」



「 あんたが噂のピエールね。コロナ組のチンピラをふたり殺ったらしいじゃないの。頼もしいのね。あたし強い男って好き。(ウインク) 」 キューカン組のおナス姐さん

 (参ったな~。いつものパターンでまた腰を揉ませられるんとちゃうかいな。)と心配しつつ期待するピエールであった。


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わが家の漫画集 第六話

2021-06-22 10:34:18 | 日記
おじいちゃんは僕が生まれて11ヵ月後に亡くなったのでどんな人だったのか全く記憶がない。

盆栽と釣りが大好きだったようだ。

盆栽の方は埼玉の「九霞園」(【 既出記事 】盆栽 春夏秋冬)から買っていたようで数年前一度僕も訪ねてみた。

戦前、娘と嫁(僕の母)と連れだって訪ね離れの部屋ですき焼きをご馳走になったと母が云っていた。

戦争中で食べるものが乏しかった時期で余程うれしかった記憶だったのだろう。

漫画を見ると食い意地がはった短気なおじいちゃんだったようだ。

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トンボの産卵 2021

2021-06-21 09:05:12 | 生き物たち
トンボの産卵 2021


ビデオの長さ 約1分30秒
BGM reflections


池でメダカを飼育していると一年で少なくとも一回はトンボの産卵現場に出くわす。

トンボの幼虫のヤゴはメダカの天敵なのだが自然界の摂理なのでいたしかたない。

【 既出記事 】衝撃映像ヤゴジェット

産卵風景をご覧になったことがない方、必見です。

とんぼが小さいので画面を拡大してご覧ください。

拡大方法はYouTube画面の右下の   をクリックするとPC画面一杯に拡大できます。

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わが家の漫画集 第五話

2021-06-20 11:23:02 | 日記
僕がまだ小さかった頃、家の裏側に家業である工場の従業員用にニワトリ小屋があった。

ときどき何かのお祝いの席を設ける際だったのかニワトリをつぶしていた場面を見た。

残酷にも一羽を捕まえて包丁でばっさり首を切り落とすと首なし胴体となったニワトリが

だっと駆け出して数メートル先でばったりと倒れた。

幼心には恐怖の瞬間であった。

今この歳になってみると一瞬の殺戮は生き物の苦痛を最小限に抑える

理にかなった方法であることが分かる。

何年か前に90センチ10キロのブリを釣り上げたことがあるが

金槌で何度頭を叩いてもなかなか成仏しなかった。

一撃で仕留められず可哀そうなことをしてしまった。

生き物を殺すときには殺戮に躊躇してはならない。

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わが家の漫画集 第四話

2021-06-19 07:37:51 | 日記
僕は小学生の頃、不眠症だった。

経験したことがある人は分かると思うがこれはかなり苦しいものだ。

昔の子供たちは午後8時頃には寝かされるのだが僕の場合寝付けないと柱時計のチクタクと云う音が気になって

益々目が冴えてくるのだ。一時間ごとにボ~ンボ~ンと鳴る柱時計に苦しめられる。寝つきが悪くなるので

反動で寝起きが悪くなる。そんなことが何年続いただろうか?

今は全く逆で寝床に就いたらすぐにばったんきゅー朝は早よから目が醒める。

おじいちゃんは晩年まで不眠症だったようだ。


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ブログ開設4,383日目の朝

2021-06-18 05:54:34 | 日記
Half Moon Bay
Photo from the google website




酒と釣りの友 天国の mさんへ

あなたへの私信として2009年6月18日に始めたこのブログも今日で4,383日が経過いたしました。

あなたが天国へ旅立たれてから早くも12年6か月という歳月が流れたのですね。

病床にあったあなたがメール代わりにただ一人開いてくれていたわがブログも 今日現在

閲覧 1,880,986 PV ( 延べ閲覧ページ数 )

訪問者   575,929 IP ( 延べ訪問者 IPアドレス数 )


となりました。信じられないでしょ!



政治にも経済にも無反応。なんの己の主張をするでもない拙いこのブログを天国のあなた以外、一体全体どなたが覗いてくれているのでしょうか。

時折コメントを寄せていただいている僅かの友人にしか知られていない匿名ブログですので多くの訪問者がどなたなのか見当もつきません。

編集姿勢は当初より酒の話、釣りの話、当時一緒に飲み歩いたサンフランシスコの今の様子、日本のメジャーなマスコミが決して取り上げないような

日常の馬鹿ばかしくも見てちょっと笑ってしまう海外の映像やニュースでしたが、ここ数年は海外メディアの電子版をチェックするのが面倒くさくなっ

て、すっかりご無沙汰しておりますのでこの看板も過去のものとなりました。


次なる目標はそれぞれ 200万PV閲覧数、60万IP訪問者数 です。 mさん も大好きだった釣りでもしながらのんびりとこのブログを続けて行きたいと思っています。



数多くの顔も名前も知らない皆さんへ  

ご訪問いただき誠にありがとうございます。心より御礼申し上げます。

今後ともどうかよろしくお願いいたします。


【最初に書いたブログ第一号】  金門橋

【何故か閲覧数が多い人気記事】

  一位 あの頃きみは若かった 入江美樹さん 

  二位 値段を聞いてびっくり!? 太宰府天満宮の「飛梅お守り」


アホらしき 写真を見つけて 大笑い

あきれられてもいい 馬鹿にされてもいい たまに天国の mさん大笑い   



View of San Francisco





金門橋沖で釣ったsalmon



half moon bay で釣った halibut



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わが家の漫画集 第三話

2021-06-16 09:19:27 | 日記
僕は子供の頃から朝寝坊だった。

ところが今や3時か4時に一度目が醒めてしまう。

トイレに起きてしまうのだ。もう一度床についても5時か6時にはまたもやトイレ起床だ。

なんのことはない。お年寄りが早起きなのは生理現象なのだ。

おじいちゃんもそうだったのね。僕は今やおじいちゃんの享年をはるかに越えてしまった。

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瀬戸内が招くよ

2021-06-14 09:29:57 | 
雨予想で諦めかけていた今月の釣り行き、当日朝船長の判断で決行。

雨具持参で乗り込んだが杞憂でした。

ご存じ祐ちゃんは今回も自分で用意した道具で勝負に出たが不発。



「 あそこで道具を変えたのがいけんかったの~」とK船長に一喝される。



僕もたびたび地球を釣って𠮟られる。 この船長張本並みに「喝」が好きなのだ。

家でいつも奥さんに叱らている反動なのか知らん? と要らぬ心配をしてしまう僕なのだ。



本日の釣果。
鯛36,カサゴ12,ギザミ11,他合計69尾 (三人合計)
珍しいホウボウを船長ゲット 初めて釣れたのを見た


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わが家の漫画集 第二話

2021-06-14 08:28:32 | 日記
おばあちゃんは魚屋さん並みの包丁さばき 【 既出記事 】母とおばあちゃん


おじいちゃんはかなり釣り好きだったようだ。

岸信介元首相の後援会長をやっていたので度々ご一緒していたようだ。【 既出記事 】あの頃きみは若かった 岸信介元総理


僕は釣り好きの血を受け継いでいるようだが典型的な下手の横好きでいつも船頭さんから

教育的指導を受けている身だ。

母によると母の父ともポンポン船に乗って瀬戸内で釣りの勝負したようだが

海なしの三次から来た相手に少し大人気ないような気がしないでもない。とにかく負けず嫌いだったようだ。

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親父の「我が家の漫画集」を発見

2021-06-12 09:43:27 | 日記
お袋の遺品を整理していたら親父の「我が家の漫画集」を発見。

最初のページは亡父(僕のおじいちゃんのこと)の思い出だ。

昭和23年~24年頃とある。1話から53話まである。

まずは第一話からシリーズを始める。ご覧あれ!


看病しているのはおそらくお袋か?
姉からのメールでおばあちゃんであることが判明 この時まだ僕は生まれていないのだ。


ところで昨日2回目のコロナワクチンの接種を受けた。

患部に若干の痛みがあったものの一回目とほほ同じ程度。

今はもう全然気にならない。これでほんとにワクチンの効き目があるのかな~と逆に不安になる僕だった。

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瀬戸内のハワイへ再び

2021-06-07 13:39:04 | 日記
またミクロな生物を見たくてやって来ました山口県は由宇町「潮風公園みなとオアシスゆう」

由宇町は岩国市にあり米軍基地が近いため砂浜はアメリカ人の家族連れであふれていた。

バレーボールで遊んだりサーフボードみたいな板に乗って漕ぎ出す連中。すっかり夏気分だ。






皆水着姿だ。



僕はミクロ生物館で顕微鏡を覗いた後はいつもの6キロの散策コースへ出発。



途中投げ釣りをやっている連中に釣果を聞いて見た。

カワハギ5匹にカサゴが数匹。カレイが釣れることもあるらしい。今度釣り道具持参で来てみようかな。


【ウオーキング記録】 6,000歩以下は省略

日にち 歩数 距離キロ
6/06  12660 9.3
6/05  9582  7.0 
6/04  8786  6.4


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ちょっと遠出をしました。

2021-06-03 17:07:43 | 
近くを散歩すると大体同じコースになって単調になるので少し遠くまで車で行って

目的地の周辺を歩いてみることにした。

お袋と何度か行ったことのある源平の古戦場「柳井市の池ノ浦」だ。



ごらんのように景色の良いところだ。



説明版に書かれているようにここは源平の古戦場跡だ。下記★印に書き起こし。



この山を平家軍は源氏軍から逃れるため船を担いで山越えしたとのこと。



すぐ近くにある平家神社にも行ってみた。



この急な階段をお袋は90歳頃登ったが金毘羅さんの奥社まで登ったことを考えると

” a piece of cake " だ。アメリカ人がよく使うフレーズ。朝飯前って云う意味。





目の前の島を船が行く。 ビデオの長さ 1分






【ウオーキング記録】 6,000歩以下は省略

日にち 歩数 距離キロ
6/02  7339  5.4
5/31  7375  5.4
5/30   9599     7.0
5/28   8192     6.0
5/27   8895     6.5
5/26   11200     8.2
5/25   7969     5.8
5/18    8356    6.1


★ 池の浦には、屋島(やしま)の合戦(1185年3月22日)に敗れた平家の軍勢の一部が室津半島に立てこもり、激しく戦ったという古戦場がある。池の浦の合戦は説明板(上の写真)
をそのまま引用して紹介しておくので興味のある方はお読みください。

合戦の模様は「風土注進案」によると、平家の軍船が大島あたりから池の浦の松原を見て漕ぎ寄せてみると、そこに大きな潟があった。これは願ってもない隠れ場所である。
ありがたや天の助けとばかり、さっそく軍船を潟の中へ漕ぎ入れた。源氏の方から見ていると、遠く雲間にただよっていた平家の白旗がかき消すように消えてしまった。不思議に思って船を進めていると、群れ集まったかもめが帆柱の上を「こよ・こよ」と鳴いて西へ渡る。その群れについて行くとそこが池の浦で、大池に平家の軍船がひそんでいた
かもめの暗示によって平家の軍船はたちまち見つかり、池の浦の江の口で激しい合戦が始まった。平家方は破れその一部は相の浦へ、一部は皇座山を越えて赤間関へ落ちのびた。そのとき主君を奉じて越えた山が皇座山と呼ばれるようになり、平家の軍船が通った坂が平家坂、また舟を引き上げ、かついで山を越えたので船越の地名が残されたという。

なお、宇積の妻崎から200m奥に勝負が迫という古戦場がある。ここは落ちのびた平家が源氏の追手と激戦して、一人残らず討死したところでこの名がある。
その後、池も埋まり荒れた地のままになっていたので、領主・浦元敏が領民に耕作させたけれども五穀が実らずしかも種々の怪異が起こったので、怨霊のしわざだと考え、地中に埋もれていた刀剣・矢じりなどを掘り出しそれをご神体として祭り、平家大明神と称した。これは享保11年(1726))のことである。

その後は怪異も止み、五穀は実るようになった。平家大明神は明治4年(1871)に祭神を安徳天皇とし、社名を池浦神社と改めた。
池の浦の合戦以来、このとき鳴いた鳥を「平家だおし」と呼び、平家滅亡の命日が来ると、平家の恨みをこめて、「こーい、こーい」と悲しく鳴いて空を渡るという。今でも夜になると、その鳴き声を聞くことがあるという。最後に、皇座山を越えて赤間関(壇ノ浦)へ落ちのびた一部の平家軍はどうなったのか?
この池の浦からさらに西へ追われること、1185年3月24日。下関市の壇ノ浦にて大将・平知盛は挽回を狙った戦いを繰り広げる。最終合戦となった壇ノ浦の戦いである。
平家軍は奮戦するも、敗北を悟った平家一門は入水し、6年にもわたる長き内乱に幕を閉じた以後、平家一族は歴史の表舞台に再び現れることはなかった。

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