高山右近の像
妹のすすめで京都からの帰り路、高槻で降り駅周辺をぶらつくことにした。
ここは明治4年の廃藩置県まで約200年間高槻城があり城下町として栄えていたところだ。

こどもが作ったと思われる看板 これっていいよね。

散策コースにある保存樹木
一時期キリシタン大名の高山右近が城主を勤めていた。大阪と京都の中間に位置しているためか
秀吉と光秀の山崎の戦いでは秀吉側の先鋒を勤めている。父親がキリシタンであったため少年の頃
洗礼を受け、秀吉のバテレン追放令が出された時信仰を捨てることを拒否して領地と財産を
すべて捨てる決断をしている。その後加賀の前田利家のところに身を寄せていたが1614年の
家康のキリシタン国外追放令によってルソンに出国マニラ到着40日後に死亡したとのことである。
僕にはとうてい理解できない生き様だ。江戸時代の為政者がいかにキリスト教が人々に与える影響を恐れたか
分かる気がする。

高山右近の像 キリスト教会の入り口に立つ